見出し画像

『長崎すひあすくわっど』1.すひあすくわっど、参上

 同日。時は下って、給食の時間。みなと中学校2年1組の教室。

「はぁ? ふざけんなってアンタ板チョコしか食べんやろうが!」
「うるさい、それ以外のスイーツも食べるわ」

 十亀コハクと久貝アコヤは、今日も今日とて争っていた。



 長崎県長崎市。九州の西端にある港町。
 古くは交易で栄え、現在は観光に力を入れているこの街の南側──正確にはオランダ坂の下──にある長崎市立みなと中学校では、もうすぐ午後の授業が始まろうとしていた。

 コハク達2年生は、3年生と共にグラウンドに集まっていた。
 といっても体育の合同授業ではない。そのため、みんな体操着ではなく長崎市で統一された中学校の制服──白のセーラーブレザーに紺のネクタイもしくはリボンタイとボトムス、指定のスニーカー──を着用している。
 部活紹介に引き続いて行われる、新入生歓迎オリエンテーリングツアーの時間なのだ。
 始まるまではまだ時間があるので、みんなお喋りに花を咲かせている。

「1年生の案内、懐かしかねー」

 愛嬌のある顔にしみじみとした表情を浮かべてコハクは言った。琥珀色の目と、ポニーテールにしたセミロングの髪は午後の光にきらめいている。

「うちらもしてもらったよね」

 とコハクが言うと、

「コハク、久貝とペアになったらどうすっと」

 ツバキがからかってきた。ベリーショートがきまっているコハクの友人である。

「そーそー、ケンカばっかして1年生ちゃん置いてかんとよ」

 ツバキにうなずくのは、同じくコハクの友人ウミネ。おかっぱ風のショートヘアの女の子である。

「やめて! ホントになったらどうすっと!」

 コハクはあっという間に苦虫を噛み潰したような顔になった。

「今日も給食のびわゼリー取り合いになって最悪やったし!」
「でもじゃんけん勝ったやん」

 ツバキに慰められても、コハクは頭を抱えて、

「なして今年も同じクラスなんやろ……。あーやぜかー……」
「でも本人、気にしとらんみたい」

 ウミネはアコヤの方をちらりと見た。
 アコヤは澄ました顔(眼鏡をかけてはいるが、それでも彫刻のように綺麗だった)で、周囲の目も気にせず、ワイヤレスヘッドセットイヤホンで何かを聴いていた。
 ショートカットにした、少し癖のあるミッドナイトブルーの髪は、日の光をあびて別の色がきらめいているように見える。髪と同じ色をした目は、眼鏡越しにどこか遠くを見つめている。
 コハクは認めたくなかったが、絵になるような光景だった。

「うちはアイツのすましたとこが好かんと! さっきみたくたまに突っかかってくっし!」

 ケッ、とコハクは言った。

「まあまあ」
「気にくわんとやろ。なんたってコハクは……」

 ウミネとツバキがコハクをなだめたタイミングでチャイムが鳴り、2年生の先生たちがやってきた。コハクはお喋りをすぐにやめて、

「おーい、先生来たばい!」

 とみんなに呼びかけ先生達の方を向いた。

「えー、では今から、新入生への学校案内を始めます。2年生はくじ引きをしてもらって、同じ番号を引いた人とペアを組んで、同じ番号の1年生ペアの案内をしてもらいます」

 コハク達の担任、田川憲一先生の声と共に、新入生達が校長先生に連れられてぞろぞろやってきた。
 昨日入学した1年生は、学年が1つしか違わないはずなのに、コハク達よりもだいぶ幼く見える。

「かわいい!」

 ウミネが小さく黄色い声をあげる。
 ツバキもニヤニヤと、

「バド部入る子おらんやろか」
「部活紹介頑張っとったもんね」

 コハクは笑った。
 1年生が2・3年生と向かい合わせに並んだところで、校長先生が話し始めた。

「くじ引きを始める前に、先生から1年生の皆さんにひとつお話ししたいことがあります。
 自慢になってしまいますが、在学中の先輩達の中に、『ヒーロー助けのヒーロー』と呼ばれている人がいます。すぐにいなくなってしまうそうなので誰なのかはわかりませんが、警察官と一緒にひったくり犯を追いかけ捕まえたり、行方不明になった人を探して見つけたり、つい数日前には、学校近くで起きたぼや騒ぎにいち早くかけつけ、消防士が来る前に消火したり、はたまた小さいお子さん連れのお母さんの荷物持ちをしたり……。とにかく、誰かのために頑張っていたり戦ったりしている人を助ける人が、この学校にはいるのです」

 生徒達がざわざわし始める。

「それ聞いたことある」
「女子ってことしかわからんらしか」
「名前言わんとかミステリアスかね」
「でもなんでウチの学校の人ってわかったとやろ」
「みなと中のバッジ着けとったらしか」
「あとウチのバッグも下げとったとって」
「あーねー」
「かっこよ」

 長崎市では数年前から中学校の制服が統一されており、各学校の区別は生徒が着けている校章バッジもしくは通学用バッグで行われている。
 そのため、生徒がどこの学校に通っているのか知りたい時は、ブレザーの襟に付けられたバッジやバッグを確認すればよいのだ。
 校長先生は咳払いし、話を締めくくった。

「もし、この人だ! と思い当たる人と一緒になった時は、心構えを聞いて手本にするように! では、くじ引きスタート!」

 かくしてくじ引きが始まった。コハクが引いた数は2だった。

「えーと、2の人は……」

 つぶやきながら、コハクは同じ番号の人を探そうとした。
 次の瞬間、

「呼んだか?」

 認めたくないほど美しいアルトな声が、背後から聞こえた。
 コハクはぎくりと肩を強ばらせ、ギギギ……、と振り向き、そして愕然とした。

「久貝……、アコヤ……」

 アコヤだった。ヘッドセットイヤホンはさすがに外しており、ネックレスのように首にかけている。
 アコヤは思い切り顔をしかめ、

「気安くわたしの名を呼ぶな」
「うっさか! って……」

 アコヤの番号の紙が、コハクの目にとまった。

「アンタの番号、まさか……!」

 恐る恐る聞くと、アコヤは黙って紙を突きつけた。

 『2』

 コハクは頭から氷水をかぶったように真っ青になり、巨大なたらいを頭に落とされたような衝撃を感じてめまいがした。

「なんでよりにもよってアンタなん!?」
「それはこっちの台詞だ」

 アコヤは汚いものを見るような目を向けてきた。

「びわゼリーぶんどりやがったヤツと一緒なんて」
「はぁー? ぶんどっとらんしー? じゃんけんで勝っただけやしー?」

 コハクが煽ると、アコヤは鼻で笑い、

「単なるまぐれだろ」
「運も実力のうちたい!」

 と、

「あれ、おふたりとも……」

 恐る恐るといった感じの声に、コハクは振り向いた。
 男の子と女の子が、コハクとアコヤの後ろに立っていた。
 男の子はふわふわした亜麻色の髪と目をしており、女の子はまっすぐで艶のある黒髪と目をしていて、ふたりの顔はどことなく似ていた。
 また、男の子は真新しいセーラーブレザーにスラックスを、女の子は膝丈のスラックスを合わせており、どちらもネクタイをきちんと締めている。
 ふたりとも着崩すことなく制服を整えて身に付けており、その佇まいからは上品さが感じられた。
 今朝の子達だと気付いてコハクが黙っていると、男の子が口を開いた。

「あの、『ヒーロー助け』……」

 コハクは慌てて「しーっ!」と口に指を当ててから、

「今朝はどうもね。ふたりも『2』?」

 と、聞き返した。ふたりはうなずいた。

「ええと、うちは2年1組の十亀コハク。こっちはクラスメートの……」
「久貝アコヤだ」

 コハクが言う前にアコヤが名乗る。
 双子もペコリと頭を下げて、

「僕は瓊之浦ハリといいます。1年2組です」
「私は、瓊之浦ルリ、です。ハリ兄さんとは双子で、クラスメートです」
「ああ、どうりでなんか似とると思うた!」

 コハクは目を丸くした。そして首をかしげて、

「って、瓊之浦って……」

 そこで先生が号令をかけた。

「ではそろそろ、案内開始!」



 一通り校内を歩き回り、人気のない廊下に来た時だった。

「あの、今朝は助けていただいてありがとうございました、ヒーロー助けのヒーローさん」

 ハリがルリと共に頭を下げる。

「あー、別によかとよ、ハリくんルリちゃん」

 コハクはひらひらと手を振り笑った。

「あ、呼び捨てでいいですよ」
「私も、です」

 双子──ハリルリは気軽に答えてくれた。

「えと、じゃあ……。ハリ、ルリ、なんでうちが……」
「瓊之浦って、長崎の名家だろ? しかも相当金持ちの」
「いやちょっと!?」

 コハクは思わず叫んだ。アコヤが面倒くさそうに見てくる。

「なんだ?」
「話に割って入んなさ! ってかいきなりそげん話聞くもんじゃなかやろ! プライバシーってもんはなかと!?」
「お前以外と繊細なんだな、脳筋なのに」
「プライバシーついでにアンタの辞書には遠慮の文字もなかとね!」
「ない。あと謝るという文字もない」
「断言すんなさ!」

 ケンカを始めるコハクとアコヤに、ハリが苦笑い気味に、

「お気になさらず。本当のことですし」
「まー長崎に住んどる人で名前を知らん人はおらん、ってうちのじいちゃんも言うとったけど……」

 コハクは祖父の言葉を思い出して言った。
 しかし直後、ハリが、

「とは言っても、僕らは親と暮らしてますし、お屋敷にいるのは祖父と祖父の秘書さん兼執事さんのふたりだけですから」
「なんか漫画とかでしか聞かんワードが出とるよ!?」

 コハクはあんぐりしてしまった。
 アコヤはなぜか冷静に、

「金持ちは私立校に行くもんだと思ってたが、なんで公立校に?」
「家訓のようなものです。色んな人を見てこいって」

 ハリが答えると、アコヤは

「なるほど」

 と素直にうなずいた。さらに、

「金持ちに会うとは思わなくてな。悪かった」

 とアコヤが謝ったので、耐えきれずコハクはツッコんだ。

「アンタ、自分の辞書に謝るっていう字はなかとか言うとらんかった?」
「悪いと思ったら謝るぞ」
「そいならそうて文章書いとけ!」

 ルリがおずおずと、

「あの、さっきから気になっていたんですけど……、おふたりは、どういったご関係なのでしょう?」
「超絶嫌いなクラスメート」

 即答する声がかぶって、コハクとアコヤは一瞬だけガンをつけあった。
 それから互いに、びしっ、と指を差し合う。

「だいたい、コイツ授業中タブレットで辞書ばっかし見とるくせして、当てられたら答えらるっとが腹立つとさ」
「たまに寝てるやつにだけは言われたくないと思わないか?」

 アコヤの言葉を皮切りに、ふたりは今度こそガンをつけあった。

「うっさか、サボりイヤミ。『ヒーロー嫌い』とか中二病なん?」
「そっちこそただの脳筋のくせに何なんだよ、『ヒーロー助けのヒーロー』なんて呼ばれやがって」
「久貝先輩は、十亀先輩がそういう事してるって、ご存知なんですか?」

 ルリが首をかしげる。アコヤは素直にうなずいた。

「ああ。他の連中はこいつが名乗らないのもあって気付いてないがな」
「でも、どうして自分だって名乗らないんですか」

 ハリがコハクに問いかける。コハクは手をひらひらさせて答えた。

「いや、かっこよかとはそういうのでお金稼いどる警察の人とか消防士さんとか生活回しとるお母さん達やし、後、今朝小学生助けようとしてアンタ達ふたりもね。うちは単なる勉強イマイチな中学生やし。ふたりも他ん人には言わんでよかよ」
「わかりました」
「先輩がそうおっしゃるなら」

 ルリとハリがうなずくのと反対に、アコヤはため息をつき、

「この際だから聞いてやる。なんでそういうことしてるんだ?」
「アンタに答える義理はなか」
「そうかよ」

 舌打ちするアコヤに、コハクははっ、として、

「って、もしかして、ハリルリにうちのこと言うたとって……」
「ああわたしだ。名乗らない姿に虫酸が走ったんでな」
「あーなるほど……。って、何でうちってわかったとね!? ツバキとウミネしか言うとらんとに!」
「それは……」

 その時だった。

「変質者ー!」

 誰かの叫び声が聞こえてそちらを振り向くと、ホラーな動画かAIイラストで見るような、エスニックかつ不気味な仮面をかぶったスーツ姿の人物がいた。
 コハクもアコヤも、即座に同時に駆け出す。肉薄したのも同時だった。
 そして──これまた同時に正拳突きをお見舞いし、見事倒した。

「じいちゃん仕込みのケンカ殺法なめんな!」
「案外覚えてるもんだな」

 それぞれつぶやいていると、変質者がうごめいた。
その様子を目のすみにとらえて、コハクはと振り向いた。変質者の体がぶるぶる震えて、胴体がじりじりと浮き上がってきている。
 コハクは言葉を失った。アコヤも何も言わない。コハクと同様の状態らしい。

「離れて!」

 鋭い声と同時に、誰かがコハクとアコヤを変質者から引き離した。入れ替わりに、ふたりの人物が宙に飛び出した。
 刹那、変質者の姿が変わった。恐ろしげな仮面はそのままで、長い腕のビッグフットのような異形の姿になっている。
 そんな変質者もとい仮面の怪物の前に降り立ったふたりの人物がいた。
 ひとりはホワイトスノーの髪と目をしていて、それらと同じ色の衣裳──東洋と西洋が混じったようなデザインで、短いマントがついている──をまとった少年。
 もうひとりは瑠璃の髪と目を持ち、やはりそれらと同じ色の衣裳──もちろん東洋と西洋が混じったデザインで、短いマントが付いたもの──をまとった少女だった。
 少年が名乗る。

「我が名はぎやまん」

 少女が名乗る。

「我が名はびいどろ」

 声を揃えて、

「星のすひあすくわっど、参上」

 ぎやまん、と名乗る少年がこちらを振り向いた。

「避難は?」

 すると、コハクとアコヤの背後にいた誰かが言った。

「こちらのおふたりだけです」

 コハクは振り向いた。そして思わずときめいた。
 眼光鋭いエスプレッソの目と、それと同色の整った髪。自分より一回り年上と見受けられる、若々しくもダンディさ溢れる渋い紳士がいた。
 同時に、自分を助けてくれたのはこの人と、前にいるふたりだと、コハクは悟った。

「お願いします」

 びいどろと名乗る少女の頼みに紳士はうなずき、

「おふたりとも、こちらへ」

 と促した。その言葉にコハクは我に返った。
 そうやった、こいつもおったとやった。
 コハクは素直に従った。アコヤも同様だった。
 駆け足で校舎裏に避難すると、戦いが始まったらしく轟音が響いた。
 コハクは思わず振り返った。仮面の怪物は、よくしなる鞭のように腕を振り回してぎやまんとびいどろを襲っている。
 ふたりはひらりひらりとかわしているが、怪物の腕に邪魔されなかなか攻撃出来ないようだった。
 しかし怪物がぎやまんとびいどろを叩き潰そうと拳を振り下ろした瞬間、ふたりが腕をつかんだ。

「とった!」

 コハクは声をあげた。
 ふたりは息ぴったりに怪物をひっくり返すと、手を繋ぎ声を揃えて、

「スタースフィア・ローズウィンドウ!」

 ぎやまんとびいどろの頭上に、大浦天主堂のバラ窓に似た紋様が浮かんだ。
 そこから瑠璃色と銀色の無数の星が放たれ、化物に降り注ぐ。
 ところが。
 怪物はふたりの技を素早くかわすと、空中に浮かんでいたびいどろとぎやまんをはっしとつかみ、握りつぶそうとした。

「ああっ!」

 コハクは悲鳴を上げた。
 ぎやまんとびいどろはもがきながら、小さく叫ぶ。

「ここで……、負けたら……、おばあ様どころか、みんなを……!」
「助け、られない……、守れない……!」

 その言葉が耳に届いた刹那、コハクは駆け出していた。
 そして、あの時のことを──父の葬儀のことを思い出していた。
 ヒーローを助ける人間になりたいと決めたきっかけ。そう呼ばれる人や、頑張っている人の手伝いをするようになった原点。
 今でも思い出す度に、胸がじくじく痛む記憶だ。
 それでも──

「うちは、ふたりを助けたか!」

 コハクは心の底から叫んだ。隣でアコヤも走っている。
 瞬間、何かがコハクの顔を掠めた。
 それは、鼈甲色をした、輪っかの形の石だった。コハクは思わず立ち止まった。
 石はコハクの目の前までやってくると、淡い光を放ってふわふわと浮いた。
 コハクはためらいもなくつかみ、なぜかアコヤを見ていた。
 アコヤも石を持っていた。螺鈿のような水色の虹の光を放つ、丸い石。
 流れるままに、コハクもアコヤもふたつの石を合わせた。
 すると。
 体が光に包まれ、何も見えなくなった。
 しかし怖さは感じなかった。むしろ清らかな感じがして、力が漲る。
 光がおさまった瞬間、ふたりで化物に突進し、化物の手に蹴りを入れた。
 化物は叫び、ぎやまんとびいどろを放り出した。手分けして受けとめ、にらむ化物に静かに名乗っていた。

「我が名はらでん」
「我が名はべっこう」

 声を揃えて、告げる。

「海のすひあすくわっど、参上」

いいなと思ったら応援しよう!