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軒端の葵(中編)

はじめに
※ポケモンSV二次創作。オモ主。
※シリアスかつ嫌なモブ出ますがハッピーエンド。
※パルデア組成人済。ポピーちゃんアカデミーに通っています。他諸々の捏造設定があります。
※実在の人物の和歌を登場・アレンジさせています。ご注意下さい。

*****

 それから2日間、オモダカは通常の業務に加え、マスコミ関係者の通達や広報部との打ち合わせ、会場のセッティングを綿密に行った。
 会見を中止にしたりすれば、あの男は下手に勘繰って容赦なくアオイを襲うだろう。それだけはあってはならない。
 また同時進行で、自身の死後皆が混乱しないよう引き継ぎや事業に関する様々な書類のデータを密かに作成した。
 祝い事を血に染めてしまうのは申し訳ないことこの上ない。だが何をおいても、アオイの命には代えられない。
 訴えかけてくる相棒ポケモン達を押しきり、オモダカは着々と準備を進めていった。

 🌺

 会見が明日に迫った。
 アカデミーの理事長も兼任しているオモダカは、学園に関する引き継ぎ書類の作成を終えた。
 この座も、ネモかアオイに譲ることになるだろう。翌日死ぬ身だというのに、アオイの姿を見たくなって廊下を歩く。
 アオイも今日は授業だった筈だ。ポピーのクラスで古典文学をすると今朝話していた。
 近付くにつれ、アオイのハキハキとした声が聞こえてくる。
「では、かつてカントーを治めていた人が詠んだ詩を紹介したいと思います」
「カントー? パルデアじゃなくて?」
 幼い声が最もな質問をする。アオイが明るく答える。
「他の地方の詩や歌も知っておくと楽しいですよ。こんな言葉の表現があるんだと学べますからね。あとはふとした事で思い出して、幸せな気持ちになれたり、わかるなぁってなったり」
 廊下側の窓が少し開いている。悪いとは思いながらもオモダカは覗き見た。
「さて、その人はカントーの領主になって5年目の、そのお祝いの席で暗殺されました」
 生徒達から悲しげなため息が漏れた。
「彼の死後、周りの人へ別れを告げる詩が見つかりました。彼は歌人──歌を詠む人──でもあったのですが、それはまるで、自分の死をわかっていたような内容でした」
「エスパータイプのポケモンが手持ちにいたんですか?」
 ポピーが質問する。アオイは考え込み、
「どうでしょう。あるいはむしポケモンのしらせ、というものだったかも」
 それから電子パネルに触れ、生徒達に向き直った。
 パネルには、次のような詩が表示されていた。

『出でて去なば主なき宿となりぬとも
軒端の梅よ春を忘るな』

「『わたしが去って主人のいない家になっても
軒先に咲く梅の花よ、春を忘れず咲いてください』という意味です」
 アオイは解説した。
「この詩の形式は、古くはジョウトで詠まれていたもので、短歌といいます。ジョウトの隣りにあるカントーでも詠まれるようになり、時代が少し下ってからはホウエン、シンオウでも短歌が作られるようになりました。
 ちなみに、この短歌のように亡くなる時や死ぬ予感がした時に詠むものを『辞世』と呼びます」
 それから、アオイは詩を詠んだ人物について詳しく説明し、こう締めくくった。
「彼は他にも多くの短歌を詠んでいますから、興味のある人はエントランスの本棚で探してみてください」
 はーい、と生徒達の返事と同時に、チャイムが授業の終わりを告げた。
 オモダカは静かに立ち去った。
 濡れた顔を、誰にも見られたくなかった。

 その日の夜。
 疲れているでしょうとアオイを早々に休ませ、オモダカはひとり書斎で、愛しの伴侶へ送る詩を綴っていた。
 淡い紫の一筆箋に最後の一文字を記す。後はどこにしまうかだ。
 ふと、ペンケースが目に飛び込んできた。
 昨年の誕生日祝いにアオイが買ってくれたもの。青地に鮮やかな花々が施されている。
 オモダカはその下に一筆箋を差し込み、遺書代わりの各種書類データを入れたメモリを一緒に置いた。
「……嫌」
 ぽつりと独り言が漏れる。
 アオイには幸せになってほしい。彼女は強く美しい人だ。きっと良い人を見つけられる。周りの人々も彼女を助けてくれる。パルデアだって、彼女と仲間達がいれば安泰だ。
 頭では分かっている。でも心では。
「嫌、アオイが、他の人と結ばれるなんて……」
 何とか涙を押し殺す。それでも願う。どうかこの詩がアオイに届きますように。
 丸く折り曲げられたオモダカの背中を、美麗なポケモンが見ていたことには、本人も気付かなかった。

 🌺

 入籍発表会見当日。会場控え室。
 とうとうこの日が来た。オモダカは鏡に向き合い自身の顔を見た。
 いつも通りの顔色、表情が出来ている、と思いたい。
 遺すべきものは遺した。あとは一人死ぬだけだ。
 今日のオモダカはスーツ姿ではなく、黒と紺のロングドレス姿だ。いつも下ろしている髪もアップにしている。
 アオイが見たら、絶対に褒めてくれるだろう。死に装束とも思わずに。
 アオイもきっと、美しく着飾っているだろう。その姿を、心から愛でたかった。
 心残りがあるとしたら、それだけだった。
 お陰で、相棒達から一体だけ、どこかに行った者がいたことには、ついぞ気が付かなかった。

 会場控え室別室。
「オモダカさん、ずっと元気なかった。大丈夫かな」
 アオイは二本足立ちの猫ポケモンに語りかけた。アオイの一番の相棒ポケモン、マスカーニャだ。
 マスカーニャは小首をかしげながら鏡台に肘をついた。
 今日のアオイは髪をアップにし、淡い翠のロングドレスに身を包んでいる。
 成人してオモダカと婚約して以来、毎年互いの誕生日ディナーで着ているドレスだ。しかしこの姿のアオイを見ても、別室のオモダカは表だけの笑みを浮かべるばかりだろう。アオイはため息をついた。
 一回り年上の伴侶は、一昨日の夜から様子がおかしくなってしまった。発表会見を告げた時にはあんなに嬉しそうだったのに、打って変わって思い詰めたような恐れているような表情で過ごすようになっていた。
 キラフロル達も歯噛みしている様子だったし、何より婚約発表の時は文章を一緒に考えたのに、会見の準備は自分一人で行うの一点張りだった。なにかと自分を避けているような感じがするのだ。
 思い当たる節もないアオイは再度ため息をついた。そんなアオイに、マスカーニャが肩をつついてくる。
 振り向くと、マスカーニャは仰々しい態度でお辞儀してきた。顔を上げるなり、宙からぽん、と小さな赤紫の花を出し、そっとアオイの髪に飾ってくれる。
「わぁ、ありがとう。ウスベニアオイだね」
 アオイは相棒の喉をくすぐってやった。マスカーニャはゴロゴロ喉を鳴らして甘えてくる。
 いつの間にか、アオイの心は和らいでいた。
 その時。
「クウ」
 背後でポケモンの声がした。
 振り向くと、オモダカの相棒達の1体、クエスパトラがじっと見つめている。
「クエスパトラ? テレポートしてきたの?」
 問いかけると、クエスパトラは長い首を小さく縦に振るや否や、ぱっ、と淡い紫の紙を出現させた。
「わ」
 アオイは慌てて紙を掴んだ。一筆箋だ。
 早速何か書かれていないか見てみる。
「──オモダカさんの字だ」

『出て去なば主なき宿となりぬとも
 軒端の葵よ夏を忘るな』

 美しい字で綴られた短歌。しかも、昨日アカデミーで取り扱ったものにアレンジを加えている。
「──私が出ていってしまったなら、この家はご主人がいない家になるけれど、軒先に咲く葵の花は、夏を忘れずに咲いてほしい」
 誰がどう見ても辞世の歌だ。今日この場に似つかわしくない、別れの詩。
「オモダカさんは、どうしてこんな詩を?」
 独り言のように言うと、クエスパトラが徐に嘴のような鼻でアオイの額を軽くつついてきた。
 刹那。

 ──『入籍会見、でしたっけ。そこで私とゲンガーがもたらす死を受け入れること』
『黙って頷くとでも?』
『抵抗してもらっても構いませんよ。ただしあなたの伴侶が命を落としますが。なお誰かに話しても抵抗しても同様です』
 ──『嫌、アオイが、他の人と結ばれるなんて……』
 ──話しているアオイ。それを黙って聞いているオモダカの背後に、刃を持った男と悪霊同然のゲンガーが──

 クエスパトラが見せる過去と未来の映像がぷつりと途切れ、アオイは気を失いそうになったが踏み留まった。
 ここで倒れて人を呼ばれたら、今も必死で堪え忍んでいるオモダカを傷付ける事になる。
 何より戦くようでは、頂点に立つ彼女の伴侶を名乗る資格はない。
 アオイはクエスパトラに無言で頷いた。クエスパトラはテレポートし姿を消した。
「マスカーニャ」
 相棒を呼ぶ。マスカーニャも不敵な目でアオイを見つめ返した。
 やることは、たった一つだ。

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