とりとめのない話
うつ病だったころの私が恋しい。あのときの私は感情が溢れ出て今よりも語彙力に飛んでて破壊衝動があった。なんどもガラスを割りたくなる心を必死に押さえつけていた。
今は、おかしいくらい正常だ。いや、本当の真人間からしたら私はまだおかしいのだと思うけど、比べる相手は過去のもっと狂ってた自分だ。
もう3年遅れている。過去は取り戻せない。なのに私は危機感ろくに湧いていない。危機感を沸かないことに危機感を持っているが、怠惰な私はあまりにも行動力がない。
真人間にもなれない。病んでいた生ぬるい私にも戻れない。私はこれ以上私が削れるのが耐えなれなくて死にたくなる。どんどん感情が減っている感覚がする。
これを皆は思春期よりも大人になったのだと、成長したのだと思うのかも知れないが、私は削れていく感覚がするのだ。
数年前、公開されたシン・エヴァンゲリオン劇場版を当時の友人と見に行った。
その前日、虐待してきた母親の再婚相手が今までの事を謝ってきた。
アルコールのせいだった…なんて言い訳をして、キリスト教に目覚めた途端これだ。私が許さなくても神が許してくれるらしい。なんか、祈ってた。(アルコールがなくても今でも私のことを「キチガイ!」なんてろくに日本語もわからない外国人が流暢にその単語は言えるのだから言い訳だった)
私は(じゃタイムマシン作って過去取り戻せよ、そしたら許してやるよ)なんて喉まで支えていた科白を抑えた。許せるはずもなく、明日シンエヴァ見に行くのに嫌な気分になったな…なんて思いながら自分の部屋に戻った。
次の日、シンエヴァの内容は父親を許すシーンが含まれていた。吐き気がした。いや、映画自体は感動したのだ。大泣きした。面白かった。しかし、シンジ君が選んだ選択肢が私を裏切ったような気がしたのだ。また、世間様が許す心を持てと私に責め立てているような気分がした。
警察は私に「きのせい」「きっとそんなこと思ってなかった」と諭すだけだった。別に許さなくて良い選択肢があるのは分かっている。
でも、この絶妙なタイミングは世界が私に「親を許せ」「愛せ」と告げているようで吐き気がしたんだ。
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