組織運営をスケルトン化してはいけない
国会でも地方議会でも会社でも、最近スケルトン化を図る、なんて言葉を聞くことがある。
とんでもない話だ。
数値化できるもののスケルトン化はいい。
しかし、感情が複雑に絡んでくることまでスケルトン化すると、真実が隠れてしまう。
人間なので感情は無視できない。
情緒を無視すると、感情的な対立が起きてしまう。
すべてをスケルトン化すると、感情も情緒もない、それこそAIに生成してもらった文章のような議論しかできない。
おそらくスケルトン化しようとして上手く行っていない最たる例が、今話題の広島県安芸高田市の石丸市長だ。
失敗しているとは思わないが、上手く行ってはいない。
どんなに間違っていても、それを公然と指摘し、上から目線で正そうとする。
そこには相手を慮り、相手の矜持を尊重する姿勢はない。
だから意固地になる。
目的を達成するためなら、相手を公然と批判し、小馬鹿にし、プライドをズタズタにすることさえ厭わない姿勢には敬服するが、滑稽でもある。
目的を達成したいのなら、歩み寄る必要はないにせよ、根回しやお世辞、下手に出る、傾聴、くらいはすべきだ。
これができない石丸市長は、我欲を市政に当てはめているだけだ。
それはそれで面白いんだが。
最短で目的を達成するために頭を下げられない人間は信用できない。
時間をかけてでも目的を達成するために、人を傷付けていいと考える人間は信用できない。
スケルトン化しようとするから、こういうことが起こる。
裏でこそこそ根回しをすればいい。
公然と批判せず、裏で頭を下げてお願いすればいい。
結局は、自らの目的達成のための手段をどう取るかだけなのだ。
スケルトン化すればするほど、敵は増える。
敵が増えるから、目的の達成が遠退く。
目的の達成が遠退くから、その要因を正したり攻撃したりする。
結果、敵がさらに意固地になる。
でも、自分は正しいことをしていると思っているので変わろうとしない。
↑↑これがスケルトン化しようとする者のダメなところ。
100%正しいことをするよりも、80%の正しさと10%の曖昧さと10%の悪の許容をする方が、目的達成は近づく。
見える化したらダメな部分があることを真に理解すれば、物事は今より上手く行くんだよ。
そんな感じ。