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新人や若手の育成で大切なこと

有り体に言えば、進歩を段階的に確認するってだけだ。

  1. できない⇒ほぼできる

  2. ほぼできる⇒できる

  3. できる⇒確実にできる

  4. 確実にできる⇒ほぼ教えられる

  5. ほぼ教えられる⇒教えられる

  6. 教えられる⇒確実に教えられる

↑↑↑は、【できるようになる】【教えられるようになる】を成長のプロセスとして考えているが、人によっては3.まででいい人と、4.以降に進む人が分かれるので、注意が必要。
できるけど教えられない、教えるくらいなら自分でやってる方がいいって職人気質の人もいるからね。

でだ!潰れてしまう新人によくある話だが、教える側が1.できない⇒3.確実にできる、ということを無意識に考え指導をしてしまっていること。

『ほぼできる』=『ミスがある』ということなのだが、『確実にできる』=『ミスがない』ということなので、教えている最中や、一人でやらせた結果を見て、ミスがあるといちいち細かいことを言い出す。
「なぜミスをしたのか!」って。

新人には「なぜミスをしたのか」のちゃんと理由がある。『未熟者だから』だ。

『未熟者』だから、『ほぼできるようになる』ための指導が必要。
『経験の浅い者』だから、『できるようになる』ための指導が必要。

というように、段階を追って指導をしなければ人は育たない。
育ったとすれば、それは育成したのではなく、勝手に育っただけだ。


全く泳いだことのない人を10人集めて、泳げるようにするため、足のつかないプールにいきなり落としたらどうなるか。

2:6:2の原理で考えてみると、2人は泳げないなりになんとかプールの縁にたどり着くだろう。

↑↑これを『育てた』と言っていいのか?

また、よくあるのが、『私の真似をして』ってやつだ。

自転車に乗れない人に、『私の真似をして』と言って、真似られるのか?

音痴な人に、『私の真似をして』といって、上手く歌が唄えるのか?

『私の真似をして』=『私には教える技術がないのでこんな指導しかできません』と馬鹿をアピールしているようなものだ。

真似ができないから『できない』のだ。



だから、真似をするためにはどうすればいいのかのコツを教えることから始めないとダメ。

コツを教えるためには、背景だったりメカニズムだったり理屈だったりと、知識や知恵を授けなければダメ。

ということはだ!
教える側が感覚的にしか分かっていないと教えられないということ。

従って!
教える側も、教えるための知識が必要ということだ。

しかし、感覚的になんとなくそれとなく理屈ではないが、上手く教えられる人がいる。
これは持って生まれたもの。

そうでない人は、教えるための技術を学ぶことから始めないと、新人を潰してしまうことになるし、上述したように、運良く勝手に育ってしまうってことになる。


教えるための技術や教え方を学びたければ、私に聞け!


そんな感じ。

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