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断片を寄せ集め、縫い目だらけ。それでも残せば誰かにと

うぇるかむ とぅ ぱすたふるわーるど!
こんちゃ!ぱすたです。

先日、Xにて
とある漫画を読んだことがきっかけで、このnoteを書こうと思いました。

今回の内容
ぱすた6歳、川崎病に罹患した

を、今更ですが少し思い返して、残してみようと思い立ち、羅列していくものとなっております。

日頃から追いかけている方というわけではないのですが、たまたまTLに流れて来て、当時6歳とはいえ、記憶があるものがちらほら。。このままだと加齢とともに失われるかなぁと思うので、
誰かの何かの参考や足しになれば、
ぱすたよ、忘れないようにね(笑)
の意を込めて書いていきます。

ぱすたにもあった、可愛い可愛い6歳の頃

始めての夏休みに心躍らせていた少年は
8月に入り、怒涛の日々を過ごすこととなります。

なんだか、身体が暑い………
どうしようもなく力が入らない。
指先1つ動かせない。

ぐったり、というのが的確な状態で、小児科へと担ぎ込まれたことを覚えてます。

そして、精密検査を受けた後、
上記にて紹介したい漫画の如く、一分一秒でも早く車で〇〇病院へ向かって下さい。
これが紹介状です。
連絡は私からしておきます。さあ早く。

と、言われ、親が血相を変えて車を走らせ、大きな病院へと移動しました。

そして、そのまま入院。
熱は40℃を超え、とにかく時間との勝負の様相を呈しておりました。

点滴が始まり、「痛い。針が刺さったまんまだ。。やだ」って思ったような思わなかったような。でも、カーテンの閉められた窓側を向くと、点滴がぶら下がっており、全身全霊で寝返りを打とうとして、ゴロンと反対を向いた時、扉から洩れる廊下の灯りが薄暗かったようなという記憶だけがあります。


大掛かりな手術はなく、あくまで血液製剤?点滴?に薬が入っており、投与するためのサインを顔面蒼白で書いてたんだよ。と、親は今でも語ってます。

人間と言うのはタフなもので、子供に至っては身体が動くようになれば、自然と「普段通りに」「えー、病院じゃあゲームしちゃだめなの?」(当時、ぱすたは携帯ゲーム機を許されておらず、もっぱらTVを見るくらいの娯楽しかなく、退屈の極みのような入院後半を過ごしていました。)

症状も落ち着き、ここから長い長い長い、一応高校卒業(大学?二十歳?)まで毎年のように検査を受け、後遺症や何か心臓に起こらないか確認する通院を続けてました(といってもだいたい1年に一回くらいに集約されていきましたが)。

そんな入院中に、一番の驚きは
隣のベッドのなんかダウナーな兄ちゃんが、看護師さんに黙って、薬をコーラで流し込んで、プハーっと美味そうにしてたことを目撃したことです。
お水で飲めよと教わっていた薬を、躊躇なくコーラで、曜日によってはスプライトやファンタオレンジ、ペプシなど、色んな味の炭酸飲料で飲んていた光景が、いまでも瞼に焼き付いています。。。兄ちゃん元気かな?(笑)名前も覚えてないけど

〜〜〜

少なくとも、ぱっと見では風邪のヒドイものなのだろうと思うほど、分かりづらい病気です。
川崎病の原因が突き止められたら、それはこんな学のないぱすたでも、論文を齧りついて読みたいほど、原因不明なことが恐怖を増幅させますよね。

いかに早い治療を受けられるかが鍵となります。

そして、私のように6歳で発症するのは、当時の大きな病院でも2番目に大人に近い年齢でして、基本的には赤ちゃんが発症することが多いとされています。
なので、罹患した本人に記憶があり、どんなだったかを説明できるのは稀であろうと思われます。

どうか諦めず、
風邪だと高を括らず、
冷静かつ豊富な知見による判断をしてくれる医師を見つけ出して、

幼い命の灯火を、一人でも多く救ってほしいと思ってます。

もう、あんなしんどいのは、無理かな🥲

また何か思い出せたら、追記していこうかなって思います。

健康第一!!!

それでは!
see you,soon

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