やっぱり皮がスキ 16

J⑥

 マドカのご家族には本当に良くしてもらった。みんな優しいし、ディナーはどれも美味しいし、サイコーだ。マドカの家に来させてもらって本当に良かった。
 ASAHIには少し警戒もしていたのだが、勧められるまま沢山飲んでしまったけれど、昼間ほど酔っ払うことも無かった。もしかしたらASAHIの所為ではなく、風呂に酔ったのかもしれない。あの気持ち良い湯には、アルコール成分が含まれていたのだろうか?
 ディナータイムも終わり、お爺さんの家に戻ると、昼寝をさせてもらった部屋にベッドメイクが為されていた。みんなあっちの家にいたのに、いつの間に? 一度も見掛けていないが、どこかにメイドが隠れているのだろうか? 明日見かけたらチップを渡してあげなければいけないなと思っていると、お爺さんが顔を覗かせた。慌てて高性能翻訳機を翳す。
「もう一杯飲むべきか?」
 ん? 飲みなおそうと誘ってくれているのか?
「OK、飲みましょう」
「ホナラはこっち」
 意味の分からないことを云って歩き出したお爺さんについて行くと、玄関でジャパニーズ・サンダルを履いて外に出ようとする。昼間の暑さも和らぎ夜風も心地よくなっていたから、ガーデンで飲むのだろうかと、オレも靴を履いて後に続いた。しかしお爺さんはガーデンには向かわす、そのまま暗い夜道へと進んでいく。
「どこへ行くの?」と後ろから問い掛けると、「最初から!」との答え。何のことだか判らない。
 5分ほど歩くと、日本語のサインボードに灯りの灯った小さな店に到着した。バーだろうか。
 お爺さんが躊躇なくドアを開くと、中から大音量の音楽が、皺枯れた歌声と共に溢れ出してきた。
 お爺さんの手招きに導かれるように、店の中に踏み入れる。昼間覗いた地下のショッピングモールにあったような、カウンターだけの狭い店だ。マドカのお爺さんに負けず劣らずのお爺さんが一人、先客として席に着いていて、マイクに向かってがなり声をあげている。これはカラオケだな。カラオケが日本発祥だと云うのは知っている。
 カウンターの中には派手なメイクの年齢不詳な女性が立っていて、席に着いたお爺さんとオレに冷たいハンドタオルを手渡してくれた。年齢不詳とは云っても、マドカよりは相当年配だ。
 その女性とマドカのお爺さんが何やら言葉を交わしているが、大音響の所為で翻訳機が反応しない。ウォッカかテキーラのような透明の液体が入ったボトルが目の前に置かれ、女性が氷を入れたグラスに注いで、さらに水のような液体を加えて掻き混ぜた。お爺さんがそれを持ってこちらに向ける。乾杯をしようとしているらしい。オレももう一つのグラスを掴み、お爺さんのグラスにカチリと合わせた。
 恐る恐る一口啜ってみる。ダウンタウンのスシ・バーで飲んだサケに近い匂いだが、味はほとんどない。旨くは無いが飲めないということもない。
 ようやく大音響が途絶え、バーテンダーの女性が適当な拍手をした。これで高性能翻訳機が機能しそうだ。
「ようこそ。どんな友達?」
 女性がマドカのお爺さんに尋ねた。
「孫娘のボーイフレンド、ケンです」
 ケンって誰のことだ?
「へぇ、マドカちゃんの? 外国人? カッコイイ!」
 女性の値踏みするような視線がオレの上半身を舐める。先客の爺さんもこちらの会話に割り込んできた。
「それは難しい。これはハリウッドスターですか? 日本語がわかりますか?」
 マドカのお爺さんが翻訳機を自慢げに翳した。
「今日はこういう素晴らしい製品があって、これがそれに通訳してくれます」
「少し話してください?」
 先客の爺さんに急かされ、仕方なく口を開く。
「わたしはジェフです。アメリカのジョージア州から来ました。よろしくお願いします」
 爺さんたちが湧いた。
「それは凄いことです。わたしはヨコタです。わたしたちは同級生です。ケイコさんも同じですね?」
「やめる! この爺さんたちと一緒に行きましょう」
 女性バーテンダーは笑いながら嫌がる素振りを見せたが、翻訳がおかしいのか、言葉と仕草が一致しない。
 素振りからしてクラスメートでは無いにしても、この爺さんたちと同年代? とてもそんな風には見えない。やはりジャパニーズ・レディは若く見えるのだな。
 その後も爺さんたちから色々と質問を受けたが、方言が酷いのか、ただ単に酔って呂律が廻っていないのか、翻訳機から出てくる言葉は意味不明なモノばかりで、適当に返事を返す。そのやり取りが気に入ったようで、爺さんたちの酒宴は深夜まで続いた。

「xxxxxxxxx」
 誰かに身体を揺すられて目を覚ます。
若い女性。誰だっけ? 黒髪の東洋人。そうか、ここは日本だ。
「おはよう・・・」
 なんとか声を絞り出す。怠い。しんどい。味のしないアルコールを飲み過ぎてしまったようだ。
「xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx」
 マドカが日本語で何かを捲し立てた。何を云っているのかさっぱり判らない。翻訳機はどこだ? と思いながらも身体が動かせない。
 マドカはガサゴソしていたが、再び何かを話し始めた。
「兄がセンサーに詳しい人に連れて行ってくれます。だから早く起きなさい」
 高性能翻訳機の声を聞き、一気に目覚めた。
「本当?」
「うん。お迎えに来ますので、お早めに着替えてください。これは洗濯物です」
「本当にありがとう!」
 興奮気味にお礼を云ったつもりが、まだ身体は眠り足りないようで、声がうまく出なかった。
 怠い身体にムチを打つように着替え、マドカの家に急いだ。
 マドカの家の居間では、お兄さんがスマートフォンを弄っていた。
「おはようございます」
「ああ、おはようございます。慌てる必要はないのですが、ゆっくり準備してください」
「ありがとうございます」
 お礼を云うと、マドカがタオルと歯ブラシを持ってきた。
「これで顔を洗ってください。歯ブラシはありますか?」
「ありがとう。歯ブラシは持ってる」
 洗面所で顔を洗い、歯を磨いてから居間に戻ると朝食が用意されていた。トーストにサニーサイドアップ、それからトマトジュースだろうか? 赤い液体。
「急いで食べなさい。不機嫌そうな人、あなたを待たせるのは悪い」
 マドカが急かすが、お兄さんはノンビリと制した。
「慌てる必要はありません。最近の農機具は故障が少なく、うめき声がオフィスを騙しているだけです」
 うめき声がオフィスを騙す? オレはどこに連れていかれるんだ?
 そんなオレの疑念を余所に、マドカはお兄さんに盾突いた。
「なにより、『急いで電話して! 急いでいた!』と云った!」
「そうです、アメリカの人に『日本人は焦る』と思わせたくないのです」
「その小さいプライドは何ですか?」
 意味のよく判らない兄妹の諍いを横目に、急いでトーストを平らげる。

 お兄さんのクルマに乗せてもらいマドカの家を出た。ホンダのワンボックスカーでマドカのバッテリーカーのような窮屈さは無いが、このサイズのクルマであの狭い道を通り抜けられるのか心配だ。
 それにしても身体が怠い。思わず欠伸が零れた。
「昨日、その直後に寝ませんでしたか?」
 お兄さんが狭い道をスイスイ通り抜けながら話しかけてきた。
「はい、お爺さんにもう一杯飲もうと誘われて、近くのバーに行きました」
「結局。魔女みたいな老婆が経営するお店ですよね?」
「魔女かどうかは判りませんが、年齢不詳な女性はいました」
「あはは。その人はおそらく81歳か82歳です。なぜなら彼女は老人より約4歳下だからです。お元気ですね?」
「はい。とても80オーバーには見えないパワフルな方でした」
 高性能翻訳機が理解できる言葉で話してくれると、会話がスムースだ。
 やがて、狭い道を抜けると一面を農場で埋め尽くされた最中にポツンと一軒、殺風景な建物が見えてきた。
「そちら側。それがイサキ農業機械の土居営業所です」
 控え目なサインボードに『ISAKI』という文字が読めた。
 ガラガラのパーキングにクルマを停めると、お兄さんは慣れた足取りで建物の中へと入り、左手のドアをノックした。
「はーい」というノンビリした返事を確認し、ドアを開く。
「失礼しまーす。あぁ、今日はできなくてごめんなさい」
「いいえ、とにかく私は自由です。ここでお願いします」
 小太りでよく日焼けした男性が笑顔で迎えてくれた。歳はよくわからないが、体型はお兄さんとよく似ている。
「こちら、話したジェフです」
 お兄さんの紹介に続き、自己紹介をする。
「はじめまして。ジェファーソン・ジェンキンスと申します」
「ワオ。それは翻訳者ですか? そんなことがあると聞きましたが、初めて見ました。イサキ農機具技術営業部のクラモチです」
 差し出されたネームカードはイングリッシュで書かれていた。Kuramochiさんね。
「それで、あなたはジャイロを探していますか?」
 ミスター・クラモチは早速本題に切り込んだ。
「はい。特殊なリングレーザージャイロなのですが・・・」
「リングレーザーですか? 航空機ですか?」
 うわ、どうしよう。まさか軍用自立二足歩行ロボットとは云えないし・・・。
「いえ、えっと、レーシングカー的な・・・」
 咄嗟に思い付いたのは、ガンガルの玩具のクルマだった。
「それは車の姿勢を意味しますか? もしかしてインディカー?」
 クラモチさんが前のめりになった。ちょっとマズい展開かも。
「えぇ、はい・・・。これはまだ秘密なのですが、近々レギュレーションが変更され、2~3年後からアクティブ・サスペンションが解禁されそうなのです」
「本当に? ねえ、それはすごい。モータースポーツが大好き!」
 しまった。細かいことを聞かれると、答えられないぞ。
「それはどのチームですか? いいえ、シャーシはワンメーカーであるため、チームではありません。シャーシはどのメーカーでしたか?」
 食い付かれちゃったよ。シャーシは確かアメリカ製じゃなかったよな・・・。
「えっと、シャーシはイタリアの会社ですが、わたしはフリーでクルマのデザインをしていまして、メーカーから設計を委託されています」
 脇汗が滲み出る。
「あー、そうなの? しかし、リングレーザージャイロは、サイズと重量の両方でグラム単位で重量を量る必要があるレーシングカーには不適切ではありませんか?」
 いや、そんなの知らねえけど・・・。
「で、ですので、小型軽量化した特殊なリングレーザージャイロを開発した技術者が日本にいると聞きまして、その方を探しに来ました。ドクター・ミウラという方を聞いたことはありませんか?」
「ミウラ博士? うーん、私はそれをよく知らない。所属する大学や研究機関をご存知ですか?」
 一般人はともかく、同胞のエンジニアにも知られてないって、やっぱり大した学者じゃないのではないか?
「いえ。それが、ドクター・ミウラという名前しか判らないんですが・・・」
「そうですか・・・。それでも、学者を探しているなら、それは都会でより良いです。なぜそんな田舎に?」
 ご尤もだ。それは重々承知しているが、ここにいる理由を説明するのは難しい。
「それには、深い事情がありまして・・・」
 クラモチさんの(困ったなぁ)という声が聞えてきそうな表情に空気が重くなる。そんな空気をお兄さんが掻き混ぜた。
「それでは、他に何か知っていますか? 年齢と外観の特徴」
「全く無いワケでは無いのですが・・・」
 アレを出しても大丈夫だろうか?
「それは何ですか? 聞いて教えてください」
 クラモチさんも前のめりになり、(困ったなぁ)空気はやや薄らいだ。
「で、では、これなんですが・・・」
 デイパックから例の似顔絵を取り出した。
 部屋は再び(困ったなぁ)空気に満たされる。
 暫くの沈黙の後、クラモチさんが無理やりテンションを上げるかのごとく声を発した。
「理解した。私は技術営業担当者なので専門知識はあまりありませんが、本社の技術スタッフならご存知かもしれません。今日は日曜日なので、明日は大丈夫か確認します。これをコピーしてもいいですか?」
 なんだか心許ないけれど、頼れるモノが他にない以上仕方がない。ストローにも縋りつきたいとはこのことか。
「もちろんです。ありがとうございます。よろしくお願いします」
「いいえ、インディカーの開発をお手伝いできることを誇りに思います。あなたのベストを尽くして下さい」
 妙な期待感を抱かせてしまった。作り笑いで何とかその場をしのぐ。
 帰りにお兄さんにお願いして、コーナーストアに寄ってもらった。クレジットカードが復活しているかを確認するためだ。
 レジの若くない女性に確認してもらうと、まだ限度額をオーバーしたままだった。
 サミー、どうなってんだ。早くなんとかしてくれ!

『やっぱり皮がスキ 17』へつづく


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