やっぱり皮がスキ 15
H⑤
自転車で家に帰ると、ガレージにはお母さんのクルマが停まっていた。その横に自転車を停めて、いつも通りを心がけながら、玄関のドアを開けた。
「ただいま」
「おかえり。お弁当どこで食べてきたの?」
キッチンに立ち、夕食の支度をしているお母さんが振り返りながら云った。
「フジミ模型。カイたちが思ったより早く迎えに来たから、持って行って食べてきた」
想定していた返事をして、リュックから空になった弁当箱を差し出した。
「そう。じゃあ、手洗ってきなさい」
特に気にも留めていないようだ。よし、作戦成功と言っていいだろう。
「はーい」
素直に洗面所に向かい、ハンドソープで手を洗う。それから自分の部屋へ向かおうとすると、お母さんがさらに声を掛けてきた。
「おばあちゃんがエクレア買ってくれたけど、食べる?」
エクレアは大好物だけど、いまはそれよりも早くやりたいことがある。
「後で食べる」と返事をして、駆け足で階段を上がった。
自分の部屋に入ると、リュックからデフギアを取り出した。
丁寧にパッケージを開けて、生のデフギアを触る。これこれ、このために僕は大冒険を成し遂げたのだから。
ギアの左右の軸を摘まんで、ネジネジしてみると、おおっ、逆方向に廻る! これで上手くコーナーを曲がれる理由も調べてみたけど、まだ半信半疑だ。とにかく早く装着してみよう。
予備のドライブシャフトを取り出して、デフギアの右側から差し込む。そして、プロペラシャフトとピッタリ噛み合う位置に合わせて右前輪のホイール位置に印をつける。デフギヤを装着するとコーナリング性能があがるから、トレッドを少し拡げて安定性を増してやることもできると、高校生のお兄さんに教えてもらった『スピードマイスター・ブログ』に書いてあった。今までより前輪のトレッドを片側2ミリずつ、トータル4ミリ拡げることにする。
糸ノコでガリガリと、それでいて印からズレないように慎重に削っていく。直径2ミリのドライブシャフトはすぐに切断できた。切断面をヤスリで調え、右前輪側は完成。左側も同様にデフギヤに差し込み、丁度よい長さに印をつけ、糸ノコで切断する。
できた。
カットしたドライブシャフトにホイールを付け、左右からシャーシの軸受けを通してデフギヤに差し込む。ピッタリだ。プロペラシャフトとの咬み合わせも、キツくもなくユルくもなく丁度いい。
改めて左右のタイヤを逆方向に回してみると、スムースに回転した。もちろん同じ方向へもスムースに回転する。
ようし。これでカイのスルスペック・ニューガンガルにも対抗できるかもしれない。早く走らせたいな。どんな感じにコーナーを廻っていくんだろう。
楽しみだな。
ワクワクしながら取り外していたパーツを、元の姿へと組みなおしていると、突然ドアが開かれた。
「ハヤト、これなに?」
険しさを含む声に恐々と振り返り、お母さんの手にしているモノを見て、全身が凍り付いた。
「これ、お弁当箱に入ってたけど、電車に乗ったの?」
しまった。取り出すのを忘れていた。作戦では、帰って来て伊予土居駅の改札を無事に通り抜けた後、途中にあるスーパーのゴミ箱に捨ててくる計画を立てていたけれど、マツシマヤで歯医者のお姉さんやジェフに会って、帰りもクルマで送ってもらったりしたので、切符のことをすっかり忘れてしまっていた。
僕は凍り付いて何も答えられない。
「ねぇ、電車に乗ったとして、どうして切符がここにあるの? どこに行ってきたの?」
ヤバい。ヤバすぎる。電車の運賃を誤魔化して松山に行ってきたなんて白状したら、僕はもうおしまいだ。誤魔化さなくちゃ。うまく誤魔化さなくちゃ。でも、焦れば焦るほど何も浮かばない。
「正直に云いなさい! どこに行ってきたの⁉」
ついに、お母さんの雷が落ちた。
終わった。もう終わったのだ。僕の命を賭けた作戦は失敗に終わり、僕の人生は終焉を迎えたのだ。
「松山に、行ってきた」
初乗り運賃で電車を乗り継ぎ、松山駅では切符を無くしたことにして改札を通り抜けたこと、マツシマヤでスピードスターのイベントに行ったこと、帰りは向こうで偶然会った歯医者のお姉さんのクルマで連れて帰って来てもらったことなどを正直に話した僕に、お母さんは激怒した。何と言って怒られたかはほとんど覚えていない。ただただ怖くて「ごめんなさい、ごめんさない」と泣きじゃくるしかなかった。
そして何より最悪なことに、僕のガンガル・スピードスターは、グレードアップした僕のマシンは、スピードスターボックスごと取り上げられてしまった。
僕は一段と声を挙げて泣いた。
もう終わった。来週の東予予選には出場できない。それはつまり、僕の人生が本当に終わってしまったことを意味している。
ひとしきり泣きじゃくったあと、お母さんに「お風呂に入ってきなさい」と言われ、僕は黙って従った。お父さんが帰ってきて、晩ご飯を食べているときも、人生が終わってしまった僕には、コロッケもカボチャも味がしなかった。ただ嚙み潰して呑み込むだけだ。食後に食べたエクレアは、甘いとは思ったけれど、おいしいとは思わなかった。
ご飯を食べた後、お母さんがいないところで、お父さんからも優しく叱られた。
「一人で松山まで行ったんだって? 凄いな、よく行けたな。でも、電車賃を誤魔化したりしちゃいけない。正規の運賃を払わずに電車に乗るのは、泥棒と同じだからな。もう二度とやっちゃダメだそ」
うん、と答えたけれど、もうそんなことをする必要もなかった。だってスピードスターは取り上げられてしまって、僕の人生は終わったのだから。
次の日はご飯とトイレとお風呂以外の時間、ずっと部屋に閉じ篭って過ごした。何も手に付かない。やる気もしない。テレビの中でタレントさんたちが愉しそうに話しているのを見ることさえ辛かった。
ベッドに寝ころんで考える。
なんでこんなことになってしまったんだろう。
切符さえきちんと捨てておけば、こんなことにはならなかったのに。そもそも、お父さんかお母さんが松山に連れて行ってくれれば、電車賃を誤魔化してまで行くことはなかったんだ。悪いのは、お父さんとお母さんだ。
頭の中がどんどん悪い方へと向かっていく。お父さんのことも、お母さんのことも、嫌いになってしまいそうだった。
晩御飯のとき、BSイレブンでは『モビルフォース・ガンガル・エターナル』の再放送をやっていた。ファースト・ガンガルの15年後を描いた物語だ。毎週視ているのだけど、今日はまともに視ていられなかった。新型ガンガルが躍動する姿を見ると、取り上げられたスピードスターのことが頭を過ぎり、また悲しくなった。
その次の日、8月13日の月曜日。お父さんとお母さんは朝から仕事に行った。大きな家に一人っきりになると、なんだか少しホッとした。お父さんやお母さんの目を気にせず、落ち込んでいられる。
お昼のお弁当を味のしないまま時間を掛け、なんとか全部食べ終えたとき、家のチャイムが鳴った。恐る恐るインターホンの画面を覗く。一人のときにチャイムが鳴ったら、必ず画面で確認して、知らない人だったら出てはいけないと、お母さんから言われている。
画面の中には三人の子供が映っていた。カイたちだ。
「フジミ模型行こうぜ!」
カイがスピードスターボックスを掲げて見せた。
「ごめん。僕のスピードスター、お母さんに取り上げられて、もうできないんだ・・・」
「どうして? 何かあったの?」
ミライが心配そうに問い掛ける。
「実は、松山でやってたスピードスター・マイスター展に一人で行ってきたのがバレて、怒られた」
「一人で松山まで行ったの?」
今度はリュウが驚いた声を挙げた。
「うん。電車賃を誤魔化したのもバレて、二重に怒られた。だから、しばらくスピードスター出来ないんだ」
するとカイが半分怒ったような声で言った。
「出来ないって、東予予選来週だぞ。どうするんだよ?」
「ごめん。僕は参加できそうにないから、三人で頑張ってきて」
「そんな・・・。お母さんに謝って返してもらえないの?」
ミライが悲しそうな声を挙げた。
「うん。難しいと思う。だから、僕のことは気にしないで、三人で行って来てよ」
少しの間沈黙があって、カイが口を開いた。
「じゃあ、今日は三人で行ってくる。でも、まだ時間はあるから、東予予選は諦めるなよ」
もう無理なんだと思いながら「うん」と答えると、ようやく三人はフジミ模型に向かった。その後姿を眺めながら、僕はまた泣いた。
何にもしないまま時間が過ぎた。火曜日の朝、僕は無言で朝食の席に着くとお母さんが言った。
「東京のケイイチおじさんが、遊びに来ないかって言ってくれてるけど、行く?」
お母さんのお兄さんで、色白でヒョロっとしてて弱そうだけど、東京でロボットの研究をしているスゴイ人だ。ガンガルのこともメチャクチャ詳しい。
そしてもう一つ、ケイイチおじさんに会えれば、ジェフが探している博士のことも判るかもしれない。
「行く!」
僕は久しぶりにお母さんと会話した。
お父さんとお母さんが仕事に向かうと、すぐに行動を開始した。自転車で安田歯科へと向かう。まだ始まってないみたいだけど、そおっとドアを開けて中を覗いてみると、お姉さんが待合室に掃除機を掛けていた。
振り向いたお姉さんと目が合うと「あれ、ハヤトくん」とお姉さんから切り出してきた。
「聞いたよ。お母さんにバレちゃったんだって? 叱られたでしょ?」
人の不幸をからかうように言うなんて、なんてデリカシーのない大人なんだ。でも僕はいちいちそんなことで腹を立てたりしない。
「うん。スピードスターも取り上げられた」
取り乱すことなく答えたのに、まだからかうような口調は変わらない。
「そっか、まあ、キセルしちゃったんじゃあ、怒られるよねぇ」
からかいながらも、なんかいま、よく判らない言葉を言ったな。
「キセル?」
「電車賃を誤魔化すことをキセルって言うんだよ」
へぇ、そうなのか。でも、そんな言葉を知っているからといって、立派な大人というワケではないからな。
「ふぅん。でも、お母さんに叱られたこと、なんで知ってるの?」
「昨日、お母さんが『迷惑かけました』って謝りに来てくれたのよ。ついでだったし、迷惑なんて掛かってなかったんだけどね。一応フォローはしておいたよ。『ハヤトくんとっても大人しくてイイ子だったし、それだけ熱中できることがあるのは、良いことじゃないですか?』って」
なんだよ、恩を着せようって魂胆か? その話は流してやる。
「ふうん。それより、ジェフはまだこっちにいるの?」
「いるよ。クレジットカードがまだ使えないみたい」
よし。じゃあ、ジェフの役に立てるチャンスはまだある。
「僕、東京のオジサンちに遊びに行くんだよ。そのオジサンは東京でロボットの研究をしていて、もしかしたらジェフが探しているパーツのことも何か知っているかもしれない」
一息に話した僕の言葉を聞き終えたお姉さんは、なんだか不敵な顔をして一言呟いた。
「マジで?」
何か、良くない悪だくみを思い付いたような顔だ。
『やっぱり皮がスキ 16』へつづく