やっぱり皮がスキ 9

H③

 エスカレーターで7階へ上がった。
 ガンガル・スピードスターは、どこだろう? キョロキョロと周りを見渡してみる。
「あっちだ!」という声が僕の傍をすり抜けていった。中学生くらいのお兄さんたちのグループだ。その後について行ってみると、あった。入口のゲートには、新型ガンガル・スピードスターの大きなイラストが描かれている。
 ゲートを潜ると正面に、新型ガンガルとジョア専用ズクの完成車が飾ってあって、何人かが食い入るように眺めている。ロールバーやウイングの形が純正品とは違う。じっくり観察したかったけど、ゆっくりしている時間は無い。早くデフギヤを見つけて帰らないと。
 会場の奥へ進んでいくと、コースで走らせている人たちの歓声が聞えた。松山の人たちのマシンも見てみたかったけれど、我慢してさらに奥へと進む。本体キットのコーナーを抜け、塗料や工具のコーナー、さらにバンダム純正オプションのコーナーを抜けるとあった。サードパーティーのコーナー。フジミ模型のお兄さんが言っていたサードパーティーとは、バンダム純正以外のパーツのことだとネットに書いてあった。
 まずはダイショウのコーナーを探す。ベアリングやシャフト、ホイールなど駆動系のパーツが中心だ。デフギヤ、デフギヤ、・・・ない。売り切れたのだろうか。何カ所かのフックが空になっている。
 仕方がない。次はカクイだ。カクイのコーナーは大きい。ボディーやバンパー、ガイドローラーなどの外装系から駆動系まで沢山のパーツを揃えている。
 ギヤがズラリと並んでいるところを中心に、僕は目を皿のようにしてデフギヤを探した。でも、ピニオンやカウンターギアばかりで、デフギアが見付からない。ここにも空のフックが幾つかあるから、もう売り切れてしまったのだろうか。
 僕は泣きそうになった。危険を冒してまでこんなに遠くまで来たのに、手に入らないなんて。
 いや、泣いている場合じゃない。このまま手ぶらで帰るワケにはいかない。絶対にデフギヤを手に入れて、カイの新型ガンガルに勝つんだ。
 周りには沢山の中学生や高校生のお兄さんたちがいたけど、その間を掻き分けるようにして、もう一度、デフギヤを探した。ギヤ関係以外のパーツの中も丹念に探した。すると、2メートルほど離れたところのスポンジタイヤの山の中に、なにか違うパーツのパッケージが埋もれているのが見えた。目を顰めてよくみてみると、パッケージの文字は『Differential Gear』と読めた。きっとデフギヤだ。
 周囲の人たちを強引に掻き分けつつ、デフギヤに近づいた。
 もうちょっと、もうちょっとだ。
 必死に手を伸ばした。もう一息。くそう。僕が大人だったら、こんな中学生たちなんてあっという間に弾き飛ばしてやるのに。
 もう少し、あと10センチ、5センチ、3センチ、やった、届いた! と思ったそのとき、反対側から手が伸びてきた。
 デフギヤのパッケージを掴んだのは、ほぼ同時だった。
 相手は大きな大人の手だ。
「離せ、これはオレのだ!」
 その大人が叫んだ。
「嫌だ、僕が先に見付けたんだ!」
 いくら相手が大人でも、絶対に渡すワケにはいかなかった。
 大人の大きな声に驚いたように、間にいた中学生たちが離れていった。しゃがみこんで腕を伸ばしていた僕の目の前に、大人の足元が見えた。お父さんのより大きな靴だ。見上げると、怖い顔をしたオジサンが、僕を見下ろしていた。
「いいから、よこせ。子供にはまだ早い!」
 強引に引っ張り上げられ、デフギヤを掴んだ僕の左手の指が離れそうになる。慌てて両手で掴みなおした。
「嫌だ、これは僕のだ!」
 両手をデフギヤに伸ばした僕の身体は寝そべるような態勢になった。絶対に離してははダメだ。死んでも離さないぞ!
 僕は両手の指に精一杯の力を込めた。そのとき、
「ちょっと、やめたら。子供相手にみっともないよ」
 女の人の声が聞えた。
 誰だろう? いつもイイ子にして頑張っている僕のために、女神さまが助けに来てくれたのかな?
 デフギヤを掴む手の力は緩めないように気を付けながら、チラリと声のした方を見た。
 全然知らない普通の女の人だった。
「ダメだ。オレはこれを探しに来たんだから」
 怖い顔の大人は、それでも離してくれないばかりか、さらに力を込めてグイグイと引っ張られ、僕の身体はズルズルと引き摺られた。
 だけど女の人はそれ以上助けようとはしなかった。やっぱり女神さまなんかじゃなく、ただの女の人だったんだ。「わたし、子供やお年寄りには優しいの」とアピールしたかっただけなんだ。
 指先の感覚が少しずつ無くなってきた。やばい、このままじゃデフギヤを取られてしまう。2時間半もかけて遥々やってきたのに、何も手に入れることなく土居町へ帰ることになるのだろうか。ちくしょう。大人だというだけで、力ずくで奪い取るなんて、卑怯じゃないか!
 もうダメだ。力が入らない。パッケージのビニールに指が滑り始めた。デフギヤが、僕のデフギヤが、手から離れてしまう。いやだ。いやだー。
 と思ったその時、フッと相手の力が抜けた。
「イテテテ・・・」
 大人の痛がる声がした。見上げると、怖い顔の大人の男よりも、もっと大きな人に腕を捻り上げられていた。
「何すんだよ、これはオレが先に・・・」
 大きな人は何か言ったけど、なんて言ったのか判らなかった。よく見ると外国人だ。
「ハヤトくん?」
 そのとき、誰かが僕の名前を呼んだ。さっきの女神さま、じゃない、ただの女の人だ。
「ハヤトくんだよね? どうしたの、こんなところで?」
 ただの女は僕の目の前に屈み込んだ。誰だろう? 僕のことを知っているみたいだけど、あいにく僕が知っている大人の女の人は、担任のヨシカワ先生くらいだ。
「わたし、ほら、安田歯科の」
 ただの女はそう言って、鼻から下を手で隠した。
 あれ? どこかで見たことあるような。
「あっ、歯医者のおねえさん」
「そう。歯医者のおねえさん。どうしたの? お父さんかお母さんは?」
 怖い顔の大人との戦いにも、決してヒケを取らなかったこの僕に対して、この女はまた子供扱いしようとする。
「いない」
 敢えて、ぶっきら棒に答えた。
「いないって、迷子?」
 迷子って、まだ子供扱いするつもりか。
「ううん。今日は一人で来た」
 毅然と答えた。それくらい朝飯前なのだよという感じを出した。
「えぇっ、一人って、土居から?」
「うん」
 当たり前なのだよ。
「どうやって?」
 どうやって? 電車だと素直に答えれば、電車賃はどうしたのと聞かれるだろうか? 誤魔化したことは黙っておきたい。じゃあ、一人でどうやって来たと言えばいいのか。電車以外に選択肢はない。
「・・・電車」
 電車賃のことを聞かれたらどうしよう。お母さんに貰ったと答えようか。
「一人で電車に乗ってきたの? 松山まで?」
「うん」
「もしかして、このイベントのために来たの?」
「そう。ここでしか買えないパーツがあるから」
 よし、このまま話題を電車から違う方へと誘導しよう、と思ったそのとき、お姉さんの隣で外国人が屈み込んた。
「**********************・・・」
 なにかを語り掛けられたけれど、なんて言っているか全く判らない。僕は外国人とお姉さんの顔を交互に見た。お姉さんはポカンとした顔で外国人を見ている。さてはお姉さんも判っていないのだな。大人なのに。
 すると、外国人は何かを思い出したように、胸ポケットから白くてツルリとした小さなモノを取り出した。それに向かって、もう一度話しかけた。
 すると手に持った白いモノから日本語が聞えた。
「すみません、装置を少し見せていただけませんか?」
 小学五年生の僕に向かって、こんなに丁寧な話し方をしてくれる大人を始めて見た。お姉さんは驚いた顔をしている。もしかしたら、外国人の僕への振る舞いを見て、いままで僕を子供扱いしてきたことを恥じているのかもしれない。紳士な人には紳士に対応すべきだ。僕は握りしめていたデフギアを外国人に渡した。
 外国人はそれを丁寧に観察している。一瞬、そのまま持ち逃げされるんじゃないかと不安が過ぎったけれど、ニコリとして返してくながら、何か喋った。
「ありがとうございました。残念ながら、わたしが探している装置とは違うようです」
 少し遅れて小さな白いツルリとしたモノが喋った。あれって翻訳機なんだ。
 相変わらず僕を一人前の人間として応対してくれる。僕はこの外国のお兄さんが好きになった。
「お兄さんも、スピードスターやってるの?」
 思わず声を掛けると、僕が言った後に、翻訳機が何か喋った。それに対して、お兄さんが答える。
「わたしに兄弟はいませんが、わたしが担当しているのは、早い星ではなく、真のマシーンです」
 兄弟のことは聞いてないんだけど、でも『真のマシーン』ってなんだろう? もしかして、本物のガンガルを開発してるのかな?
 でも、自立二足歩行ロボットは小さいのしか見たこと無いし、ガンガルのような人が載って操縦するロボットは、まだ出来てないはずだ。いや、待てよ。この人、外国人だし、アメリカだったら出来ているかもしれない。アメリカ空軍は宇宙人と協力してUFOを開発しているってリュウも言ってたし、UFOが作れるなら、二足歩行ロボットなんて簡単だ。もしかしてアメリカ軍の研究者だろうか。だとしたら凄いな。いろいろ聞かせてもらいたい。
 僕が羨望の眼差しで外国人を見上げている間、歯医者のお姉さんは、怖い顔の大人と何か言い争っていた。

『やっぱり皮がスキ 10』へつづく


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