やっぱり皮がスキ 25
J⑨
やっと渋滞を抜け、しばらく走ってHAMAMATSUというレストエリアに入った。
「それはすでに限界です。少し寝る」
と云ってマドカはハンドルに突っ伏した。
ハヤトもバックシートで横になってぐっすり眠っている。オレも少し眠っておこうとシートに深く身体を沈め眼を閉じた。
「・・・ねぇ」
耳元で誰かの囁く声が聞えた。
「ねぇジェフ、もう一度」
「んん・・・」
甘い唸り声のような返事をしながらぼんやりとした意識で考える。誰だっけ? 聞いたことがある声だ。
「ねぇったら、ねぇ」
女はオレの腰のあたりを揺さぶった。
「んん・・・」
オレは唸り声しか返せない。焦りを募らせたように女は強く揺さぶった。
「ねぇ、ジェフ起きて」
この声、絶対に知っている。記憶の糸を手繰り寄せている間に、腰への揺さぶりは徐々に激しく細かくなっていった。
振動がバイブレーションのように早く細かくなっていき、甘い吐息が耳を衝いてくる。ついにオレは声の主を思い出した。
「ローズ!」
そこで眼が覚めた。
なんだ、夢か。しかし、腰へのバイブレーションは続いている。そこで再びハッとする。
電話だ。
ポケットのスマホを取り出しながら、クルマを降りだ。サミーからだ。
「Hello」
「寝てたか? 悪い」
全然悪びれた風もなく、サミーの声が返ってきた。
「いや、大丈夫だ。それよりどうだ?」
「カードが復活したらしい。もう使えるはずだ」
「マジか! やった。これで動ける」
「それは良かったが、宛はあるのか?」
「いま、ケーヨ・ユニバーシティのロボット技術者の元へ向かっている。明日には接触できる予定だ」
「ケーヨ? 聞いたことねぇな。そいつはドクター・ミラーと関係のある人間か?」
「その可能性は低いだろう。だけど、ケーヨ・ユニブには、日本のロボット業界団体の事務局があるらしいから、ミラーだかミウラだかの所在は確かめられるかもしれない」
「そうか、わかった。そっちの方はよろしく頼む。ところで・・・」
サミーが何か言い淀むような間を空けた。
「なんだ?」
「オレたちはどうもキナ臭いことに巻き込まれちまったようだ」
「キナ臭い? そんなの旅団長室に呼ばれた時からキナ臭かったじゃねぇか」
「まぁそうだが、マッシュとオルテガが例の秘書官を吊るしあげて吐かせたんだが、奴さんたちは何かを隠すために第88機甲部隊を編成したようだ」
「何かって?」
「裏金だ。使い込んだ金の行き先を、ボーディングロイドの開発費と見せかけるためにオレたちは利用されているのかもしれない」
「なんだって? そんなことのためにオレは日本くんだりまでやって来たってのか?」
「まぁ、そういうことになる」
「なんだよそれ・・・。それにしても、あの秘書官からよく吐かせられたな?」
「それな。マッシュの野郎がダウンタウンのバーで偶然秘書官を見掛けたそうだが、そのとき、ヤツが女に金を渡してたって云うんだ。それをネタにしたらしい」
「なんでそれがネタになる? 娼婦に金を渡したって何ら不思議はねぇだろう?」
「それがだな、その女ってのはマッシュたちの間では有名なヤツで、ダウンタウンで片っ端から軍属を捕まえてはベッドを共にするってんで、どこかの国のスパイじゃねぇかと噂の女だったんだ」
ゲッ、その女ってまさか・・・。
「おい、その女の名前は?」
「ローズって云ってたな。結構な美人だそうだ」
マジか? やっぱスパイだったのか。いや、でも、なんでだ?
「なんでスパイの女に秘書官から金が出るんだ?」
「どうやら旅団長が飼ってる女のようだ。基地内外の情報を集めているらしい」
なんてこった。チャイナでもロシアでもなく、駐屯地内のスパイに引っ掛かるなんて。これでオレの転属にも合点がいった。調達部隊長の話かどうかは判らないが、旅団長の神経に触ることを喋ってしまったらしい。
「それで、これからどうする?」
「どうつっても確たる証拠を掴んだワケじゃねぇし、下手に動きゃオレらは懲罰部隊行きだ。当面はヤツらの云う通りに動くしかねぇ」
「そうか・・・」
裏金の証拠か。駐屯地の裏帳簿でも掴まない限り、どうにもならないか。
「ジェフ、おまえ何か知ってたのか?」
サミーの唐突な話の転換に動転する。
「し、知るワケねぇだろ!」
裏金のことなんて当然知らないが、旅団長のスパイに引っ掛かったなんて、口が裂けても云えない。
「そうか? いや、女の名前なんて気にするから、何か知ってたのかと思ってな。まあ、このことはもう少し探ってみるから、おまえはドクター・ミラーに専念しろ」
「わかんねぇけど、わかったよ」
「パレードまであと一カ月だ。ジャイロが手に入ったとして、調整を考えれば二週間は欲しい。急いでくれ」
「できるだけはやってみるよ」
「頼んだぞ。じゃあな」
くそ、オレたちはお偉いさん方の私腹を肥やすお手伝いをさせられてるってのか? やってらんねぇなぁ。
でも、その前に腹が減った。カードが復活したと言ってたな。腹ごしらえでもするか。
スマホには午前2時20分と表示されている。さすがにこの時刻ではレストランは閉まっていたが、眩しいほどに煌々とライトの灯ったコーナーストアに人が出入りしている。
店に入ってサンドイッチを探すが、どうやら売り切れてしまったようだ。空になった棚が多い。仕方がない、ライスボールにするかと物色していると、後ろから誰かが「わっ」と背中を押した。
振り向かなくても判った。ハヤトだ。
「目が覚めたのかい? まだ夜中だぜ」
ハヤトはきょとんとしている。そうか、翻訳機を車の中に置いてきてしまった。
「あ、ごめん。翻訳機置いてきちゃった」
と云いながら、手で翻訳機の形を模したり、クルマの方を指さしたりしてみる。
通じたのか、ハヤトが口を開いた。
「な、に、し、て、る、の?」
一瞬、なにを云ったのが判らなかったが、彼の発音を反芻するとイングリッシュだと理解できた。
「なんだハヤト、イングリッシュ喋れるのか? いや、腹減ったからなんか食べるもの買おうと思って」
あれ? またキョトンとしている。伝わってないのだろうか?
お腹が減ったとジェスチャーで伝えてみる。するとまたハヤトがイングリッシュで答えた。
「お、な、か、す、い、た?」
「イエス!」
よし、伝わった。
「ハヤトも腹減ってないか?」
「う、ん、へ、て、る」
すぐに返事が返ってきた。
「よし、じゃあ、どれでも好きなの選べ。カードが復活したから何でも買ってやるぞ」
「*******」
なにか云いながらハヤトはライスボールを手に取った。
「OK」
オレはツナ・マヨネーズと、テリヤキ・ビーフを手に取ってドリンクコーナーへ行き、小さな缶のコーヒーを取る。ハヤトにも勧めるとウィルキンソンを手に取った。前にも同じのを飲んでいたな。日本の子供は甘いドリンクは好まないのだろうか。
そしてレジへと向かう。ちゃんと復活してんだろうな? 649円の支払いにカードを差し出して、少しドキドキしながら見守った。
「ありがとうございました」
レジのナイスガイが、日本で何度も聞いた言葉と満面の笑顔と共にカードとレシートを差し出してきた。やった、使えた。
一旦クルマに戻り、マドカを起こさないようにそっとドアを開け、翻訳機を取り出した。
「あっちのベンチで食べよう」
「うん」
コーナーストアの方へ戻り、ベンチに並んで腰を下ろすなり、ハヤトが口を開いた。
「カード使えるようになったの?」
「ああ。さっきサミーから電話があって、サミーって云うのはオレの上司なんだけど、カードが復活したって」
やっぱ翻訳機があるとコミュニケーションがスムースだ。改めてすごい発明だな、これ。
「アメリカに帰れて良かったです」
「そうだな。でも肝心なモノがまだ見付かってないからなぁ」
そう返すと、ハヤトは明るく励ましてくれる。
「ケイおじさんに聞いたら、きっと何か判るでしょう」
「そうだと良いな。さあ、食べようぜ」
レジ袋からハヤトが選んだライスボールとウィルキンソンを手渡し、オレもツナ・マヨネーズを手に取った。
パッケージを破ってさっさと食べ始めたハヤトに対して、オレのはうまく開けられない。どうなってんだこれ。海藻はどうやって取り出すんだ? モタモタしながらなんとか取り出し、ライスに海藻を巻き、頬張った。なるほど、別々にパッケージングすることで、海藻のパリパリ感を保ってるんだな。美味しいけど、面倒臭せえよ。ホント日本人ていうのは細かいところに拘る人種だな。
ライスボールを食べ終え、ハヤトとタンクの話をしているとマドカがやってきた。休憩に入ってからまだ3時間ちょっと。充分眠れたとは思えないが、大丈夫だろうか。
「わたしはここにいた」
なんの主張だ?
「腹が減ったので、ハヤトとライスボールを食べてたんだ」
「ああ、いいね。私もお腹が減りました」
そうだ、これまでのお礼をするチャンスだ。
「何か食べる? カードが復活したから奢ってあげるよ」
「へぇ、カードが使えますか? 良かったです!」
「ありがとう。今までいろいろと世話になったから、そのお返しに」
そう云うと、マドカが意外な反応を示した。
「今はさよならを言わないでください」
サヨナラなんて全然云ってないんだけど、なんでそうなる?
するとハヤトが間に入って翻訳機の翻訳をしてくれた。
「ジェフは、これまでカードで何かを買ってくれてありがとうと云うはずです」
いや、そんなことは云わない。
すかさずマドカが返す。
「私はそれをそのように聞きませんでした、しかしなぜあなたは知っていますか?」
オレだってそのようには云ってない。でも二人の会話は成立してるっぽく、ハヤトが少し恥ずかしそうに云った。
「わたしとジェフは親友だから」
・・・・・・・
一瞬の沈黙の後、「しばらくトイレに行きます」と云ってマドカはトイレに向かった。
その後姿を見送りながら一連の遣り取りを反芻してみたが、やっぱり判らない。オレの感謝の気持ちが伝わったとは思えないが、取り敢えずハヤトには応えておこう。
「そうだな。オレたちは親友だ」
『やっぱり皮がスキ 26』へつづく