やっぱり皮がスキ 34
J⑫
「朝まで、一緒にいて欲しい」
それって、どういうことだ? いい歳をした男女が二人、朝まで一緒にいるというのは、そういうことだよな。いやでも、27歳とはいえ、まだあどけなさの残るマドカに限って、そんなこと云い出すはずがない。
そう思いながら隣を見ると、まっすぐに空になったビアグラスを見詰める横顔は、成熟した女性のそれだった。
やっぱり、そういうことなのか。躊躇いがちに口を開く。
「オレ、明日には帰らなくちゃいけないんだ。もう二度と、会えないかもしれないんだぜ」
マドカのセクシーな眼差しがオレを射抜く。ドキリとした。
「判ってる。ずっと一緒にいて、なんて云わない。今日一晩だけでいいの。一緒にいて欲しい」
そう云われれば、断る事などできなかった。
ケイイチにもらったジャイロセンサーを装着したボーディングロイド一号機に搭乗する。起動ボタンを押すとメインモニタに『Starting Bording Roid』という文字が右から左に5、6回流れると、ゲーゲロ・マップが立ち上がり、モニターの中央にはフォートスチュワート陸軍駐屯地の南西端、第108格納庫の位置が示された。
「こっちは準備オッケーだ。そっちはどうだ?」
インカムからサミーの声がクリアに聞こえた。
「オールレディ。いつでもいいぜ」
格納庫の側面ギャラリーには、モニターを覗き込むサミーと、こちらを眺めるマッシュとオルテガの姿があった。
「よし、じゃあ微速前進」
「ラジャー」
軽く息を吐いて、ジョイスティックをゆっくり前方へ倒していく。軽快なモーター音と共にコクピットが少し左に傾き、右足が踏み出される。「そのまま、そのまま」心の中で祈る。やがてシューとエアーが抜けるような音がして、コクピットが水平に戻った。成功だ。一歩踏み出せた。すぐさま今度は右に小さく傾くと、モーター音と共に左足が踏み出された。シューという音と共に左足も格納庫の床を踏みしめた。
「やった、やったぞ。歩いたぞ!」
思わず叫んでいた。ギャラリーではオルテガがガッツポーズをし、マッシュは両手を上げている。
続けざまに右足を踏み出す。さらに左足。歩いている。ボーディングロイドが歩いているぞ。
やったんだ。オレたちはこのポンコツを再生させたんだ。
と思った矢先、メインモニター真っ暗になり、中央に「DANGER」という赤い文字が明滅し始めた。同時にけたたましく警告音が鳴り始める。
なんだ⁉
すかさずインカムからサミーの声。
「ヤバい。脱出しろ!」
その声に即座に反応してシート左下の脱出レバーを引こうとした。しかし、左腕が動かない。警告音は鳴り続けている。
「おい、どうした? ジェフ、早く脱出しろ‼」
サミーの悲壮な声が耳に響く。
「ダメだ。腕が動かない。ちくしょう、どうなってんだ」
ピピー、ピピー、ピピー、・・・
「サミー、出られらない。どうすりゃいいんだ?」
「もうダメだ。間に合わない! ジェフ、おまえのことは忘れないぞ!」
「待ってくれサミー、なんとかしてくれ、サミーー--!!」
ピピー、ピピー、ピピー、・・・
そこで目が覚めた。
6時に設定していたアラームが鳴り続けている。右手でスマホを掴みアラームを止めてから、左手が痺れているのを感じた。
左腕にはマドカの頭が乗っている。
昨日はほとんど眠れていなかったから、ギリギリまで眠らせてあげよう。
頭をそっと持ち上げて枕を敷く。その拍子に寝返りを打ち、マドカの白い背中が露わになった。シーツを掛け直して、オレはそっとベッドを降りてシャワーに向かう。
熱いシャワーを浴びながら、昨夜のことを思い返す。USAにもアジア人女性に目がないヤツは一定数いるが、ヤツらの気持ちが判らなくもない。マドカの肌はきめ細かくてシルクのように滑らかだし、リアクションも控え目でとても煽情的だった。情熱的なローズとは対極だ。このまま日本に留まり、マドカの家で農作業を手伝うのも悪くないと一瞬考えたほどだ。
しかし、それは現実的な選択ではない。この旅での想い出として胸の中にしまっておくのが、オレにとってもマドカにとっても一番の方法なのだろう。
「マドカ、そろそろ起きた方がいいよ」
頭を撫でながら声を掛ける。時刻は6:45になっていた。
「んんん・・・」
辛そうに瞼を開き、「ジェフ、*****」と、何か云ったが判らない。眠そうな顔でしばらくボンヤリしていたが、枕元の時計を見てようやく目が覚めたようだ。
「*****」
何かを呟きながら上体を起こすとシーツが捲れ、小振りな胸が露わになったが、気にする素振りも無く抱きついてきた。
「グッドモーニング」
日本人特有のイントネーションが耳元で響く。
「Good Morning」
ネイティブのイントネーションで返すと満足したように身体を離し、服を着た。そして何事も無かったかのように、「7時のロビーで」と云い残し、オレの部屋から出ていった。
成田エアポートに到着し、チェックインを終え改めて二人と向き合った。
「ミス・マドカ、ミスター・ハヤト、本当にありがとう。二人のことは絶対に忘れないよ」
ハヤトに握手を求めると、小さな手で握りながら、
「ジェフ、ビデオを送ってください! それから私は英語を勉強し、英語でメールを送ります」
と健気なことを云ってくれる。
「OK、楽しみにしてるよ」
握っていた手を放してハグすると、恥ずかしいのかハヤトは微妙な顔をした。
続いてマドカにも声を掛けてハグをした。
「マドカ、ありがとう」
「ジェフ・・・」
その一言だけで、彼女の想いが全て伝わってきた。昨夜を共に過ごしたことは、正しかったのだろうか。しばらくの間、マドカが辛い想いをするのではないかと考えると、後悔の念が滲む。それでも、あのとき彼女の申し出を断ることはできなかった。仕方がない。この責めはオレが負わなければならない。「申し訳ない」と胸中で謝りながら、マドカを抱きしめた。
そして、搭乗ゲートへ向かう。
ハヤトが懸命に手を振っている。マドカの哀しそうな目が、じっとオレを捉えていた。
こうして短かくもレアな旅が、ようやく終わった。
「こっちは準備オッケーだ。そっちはどうだ?」
インカムからサミーの声がクリアに聞こえた。
「オールレディ。いつでもいいぜ」
格納庫の側面ギャラリーには、モニターを覗き込むサミーと、こちらを眺めるマッシュとオルテガの姿が見えている。
日本から持ち帰ったジャイロを装着し、初めての歩行テストが行われようとしていた。駐屯地に戻ってから3日が経っている。パレードは2週間後に迫っていた。
「よし、じゃあ微速前進」
「ラジャー」
軽く息を吐いて、ジョイスティックをゆっくり前方へ倒していく。軽快なモーター音と共にコクピットが少し左に傾き、右足が踏み出される。「そのまま、そのまま」心の中で祈る。やがて「シュー」とエアーが抜けるような音がして、コクピットが水平に戻った。成功だ。一歩踏み出せた。すぐさま今度は右に小さく傾くと、モーター音と共に左足が踏み出された。「シュー」の音と共に左足も格納庫の床を踏みしめた。
「やった、やったぞ。歩いたぞ!」
思わず叫んでいた。ギャラリーではオルテガがガッツポーズをし、マッシュは両手を上げている。
続けざまに右足を踏み出す。さらに左足。歩いている。ボーディングロイドが歩いているぞ。ジョイスティックを右に傾けると、その場で足踏みをしながら右を向いた。ギャラリーの面々を正面に捉えさらに前進し、ギャラリーの直前で停止させた。
「やったぞ! オレたちはこのポンコツを再生させたんだ‼」
そう叫ぶサミーの声を聞きながらコックピットを飛び出した。サミーとオルテガ、マッシュが手を広げて迎えてくれる。
その光景に不思議な感慨を覚えた。
困難なことをやり遂げると、こんなヤツらとでも一体感らしきモノが芽生えるのだな。
『やっぱり皮がスキ 35』につづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?