やっぱり皮がスキ 12
H④
オシッコをしたいワケではなかったけれど、トイレに行ったら少し出た。手を洗ってトイレを出たところで、ジェフのスマホが鳴った。
「テイヒア」
ジェフはそう言うと、スマホを操作しながら離れていった。「テイヒア」ってなんだろう。恐らく軍の研究機関からの連絡だ。プロジェクト・コードのようなモノかもしれない。
離れた場所にあるベンチに腰を掛け、ジェフは真剣な顔で話している。怒っているようにも見えた。きっと部品が見付からなくて困っているのだろう。上司から怒鳴られて、言い返しているのかもしれない。
何か手伝ってあげたいけれど、小学生の僕に出来ることは無いだろう。東京でロボットの研究をしているケイおじさんなら、なにか判るかもしれないけど。
「喉渇いたよね。どれがいい?」
歯医者のお姉さんが急に話しかけて来たので驚いた。別に喉は渇いていない。
「買ってあげるから、どれがいい?」
別に要らないのだけど、人の好意を踏みにじるのは良くないと、お父さんが言っていた。
「いいの?」
「いいよ。遠慮しないで」
「じゃあ、これ」
ウィルキンソンの炭酸水を指さした。
「これがいいの? これ、甘くないヤツだよ」
また子供扱いだ。五年生にもなってファンタとか飲んで喜んでるヤツらと一緒にするなって。
「知ってるけど、これがいい」
「ホントにいいの? これ飲んだことある?」
クドイって。どんだけ子供だと思ってんだ。
「ある。コレがいい!」
「そこまで云うなら良いけど・・・」
お姉さんは渋々130円を投入した。僕は悠然とウィルキンソンのボタンを押す。キャップを開けてゴクリと飲んだ。
ちょっと酸っぱい炭酸が喉をシュワシュワと刺激した。そりゃ、どっちが美味しいかといえば、ファンタの方が美味しいけど。
お姉さんは自分の飲み物も買うと、キョロキョロしながら訪ねてきた。
「ジェフはどこ行ったの?」
「あそこ」
シュワシュワする喉を気にしながら、ベンチに腰掛けたジェフを指さした。
「上司の人と連絡付いたのかな?」
あれだけ真剣な顔で話してるんだ。大事な話に決まってるじゃないか。まあ、この人にそんなことを言ってもしょうがない。
「わかんないけど、『テイヒア』って言ってあっちに行った」
「テイヒア?」
「軍の秘密コードかなにかだ」
「軍の秘密って、ガンガルの話?」
しまった。ジェフがアメリカ軍の研究者だということは、秘密だった。
「いや、うそ。なんでもない」
「なに? ジェフのこと? ジェフって軍人なの?」
勘付かれた。なんとか誤魔化さなければ。
「いや。ガンガルの話」
お姉さんの目がイジワルな目になった。
「さっき、ジェフと何か約束してたよね? 何を約束したの?」
うっ、聞かれてたか。でも話すワケにはいかない。僕を一人前の男として扱ってくれたジェフとの、男と男の約束だ。
「いや、別になにも・・・」
「そう。教えてくれないんだ。ハヤトくん、今日、お母さんに内緒で来たでしょ?」
なんで、そのことを! マズい。ちょっとマズい展開だ。
「・・・・」
「小学生が一人で松山なんていけないなぁ。お母さんに知れたら怒られるだろうなぁ」
いや、それは、それだけは、困る。
「・・・・」
僕が黙っていると、お姉さんは一段とイジワルな顔をした。もはや、イジワルというより、いじめっ子の顔だ。
「ジェフと何を約束したのか、教えてくれたらお母さんには黙っててあげるけど」
ジェフとの約束を破るワケにはいかない。でも、お母さんに知られることはもっといけない。無賃乗車したこともきっとバレてしまう。
お姉さんの顔が、二年生のときのクラスのいじめっ子の顔と重なった。イジメられそうになった僕を守ってくれたのは、カイたちだ。それから僕はカイたちと遊ぶようになった。
イジメられたときの惨めな気持ちがぶり返してくる。
「ジェフのこと話したら、お母さんには内緒にしてくれる?」
「もちろん」
お姉さんは嬉しそうに答えた。ちくしょう、こんな女に負けてしまうのか。
「内緒だよ。誰にも言っちゃダメだよ」
「わかってるって」
ゴメン、ジェフ。僕はまだ子供だ。大人には敵わない。いや、大人のいじめっ子には敵わない。せっかく僕を一人の男として接してくれたジェフを裏切ることになるなんて、本当に情けない。でも、お母さんには絶対に知られてはならない。
「ジェフはアメリカ軍の研究者で、本物のガンガルを開発しているんだ。そのために必要なパーツを探しに日本にやって来たんだ」
喋ってしまった。
ジェフを裏切ってしまった。
それなのに、意を決して打ち明けたというのに、お姉さんはさっきまでのイジワルな顔を緩め、ポカンとしている。
「約束って、そのことを誰にも言わないってこと?」
「うん」
「そうなんだ。ふーん」
お姉さんはガッカリしたような顔をした。
なんだよ、その態度は? 男と男の約束を破ってまで告白したのに。でも、僕との約束は絶対に守ってもらわないといけない。
「お母さんには言わないでよ」
「わかってる」
「絶対だよ」
「大丈夫よ」
大丈夫かなぁ。女の人は口が軽いからなぁ。お母さんには言わなくても、家族や友達に喋ったことが廻り廻ってお母さんにまで伝わったりしないかなぁ。僕のことを取るに足らない子供扱いしているし、イマイチ信用できないんだよな。
「本当にごめんなさい。すみません、待たせました。」
ジェフが戻ってきた。その瞬間、お姉さんの視界から僕は消え去った。
「大丈夫ですか? 会社の人とは連絡取れました?」
「はい。ただ、クレジットカードの件は確認しますのでお待ち下さいと申し上げました。すぐには利用できない場合がございます」
「そうですか。じゃあ、今夜はウチに泊まってください」
「どうもありがとうございました。ご不便をおかけして本当にごめんなさい」
僕の頭上を行き来する二人の会話を呆然と眺めることしかできない。僕だってジェフを助けてあげたいけれど、ジェフを家に連れていけば、松山に行ったことを話さなければいけなくなる。悔しいけれど、僕はまだ子供だ。
土居インターを降りてすぐ、「ハヤトくんのおうち、どの辺?」と聞かれたけれど、駅に自転車を停めてあるので土居駅まで送ってもらうことにした。
駅の近くまで来たところで、ジェフに聞いた。
「ジェフはいつまでいるの?」
「よし、よく判りませんが、カードが復活したらすぐに出発します」
ケイおじさんに相談すれば、ジェフが探しているモノについて、なにか判るかもしれないけれど、そうするにはお母さんにお願いしないといけない。それは難しい。
「じゃあ、明日はまだいる?」
「判りません。明日はもう出発しなければならないかもしれません」
「そう・・・」
「ハヤト、元気を出してください。また、いつか会いしましょう」
「うん」
ジェフが窮屈そうに身体を捻り、大きな手を差し出して来た。その手を握った僕の手は、ジェフの手の中にスッポリと隠れてしまった。
『やっぱり皮がスキ 13』につづく