やっぱり皮がスキ 1

J①

 最悪だ!
 ミュージカルが観たいというから奮発して、フォックスシアターのS席と、ウォルドルフ・アストリアのセミスイートを予約したというのに。
 折角の休暇が台無しだ。
 8月のジョージアの蒸し暑い風が、苛立ちをさらに募らせる。
 あの尻軽女め。よりにもよって相手はサブマリナーだと? くそっ、オレは海軍兵の航海中の暇潰しだったってワケか。
「タンクのパイロット⁉ ステキ! ワイルドじゃない‼」
 とか云って出会ったその日のうちに燃え上がったあの夜は何だったんだ⁉ 何度も何度も耳元で囁かれた「最高よ、愛してる」の言葉は、オレに向けたモノじゃなかったのか?
 最悪だ!
 腹立たしくも情けない気持ちを全身に纏ったまま、四日間の休暇を終え、フォートステュワート駐屯地のロッカールームでユニフォームに着替える。
 イライラをぶつけるようにトラウザーのジッパーを引き上げたところで、背後から声がかかった。
「ようジェフ、バケーションはどうだった?」
 第17機甲部隊長のブラッドだ。
「最高だったよ」
 振り向きもせず吐き捨てるように答えた。
「そりゃ良かった。追い打ちを掛けるようだが残念なお知らせだ。ボスが呼んでるぜ」
 ブラッドの不穏な言葉に、ジャケットを羽織りながら振り向いた。
「ボスって、大隊長?」
「いや、その上」
「旅団長が? オレに?」
 ブラッドはお道化たように両手を広げる。
「あぁそうだ。何の用件かは聞くなよ。知らないからな」
 何の用だ? 旅団長が一兵卒を呼び出すなんて、殊勲の表彰か、もしくは軍規違反か。もちろん殊勲を上げた覚えはない。じゃあ、軍規違反? オレ、何かやらかしたか?
 思考を巡らせハッとする。
 もしかして、あの尻軽女がロシアかチャイナのスパイだったりして?
 顔が青ざめる。
 しかし、そう考えると合点がいかなくもない。あれだけの美人が、オレなんかにホイホイついてきて、その日のうちにベッドインだもんな。オレが軍属だったからなのか?
 なにか軍の機密を漏らさなかっただろうか? といっても、何が機密かもよく判らない。
「最近、ランチ用のバンズの調達先が、長年付き合いのあったダウンタウンの老舗から、アダム・ストリートに新しくできたベーカリーに変更されたんだ。何故だと思う? 賄賂? 賄賂っちゃぁ賄賂なんだけど、どうやらコリアンドラマオタクの調達部隊長が、パン屋の店主からパクだかキムだか云うコリアン女優のサイン色紙を貰ったらしいんだ。サイン色紙一枚だぜ。信じらんねぇだろ?」的な話はしたが、マズかっただろうか?
 意識が女スパイ(仮)・ローズの元へと飛んで行ってしまったオレに、ブラッドが忠告する。
「何をやらかしたか知らないが、早く行けよ。怒らせると厄介だぜ」
 意識を引き戻され、毅然と答える。
「な、な、何も、やらかしてねぇよ・・・」
 喉から出た声は、全く毅然ではなかった。
 おずおずとロッカールームを出るオレの背中を、ブラッドの冷やかすような声が追いかけてきた。
「グッラァック!」

 旅団長室の前に立つ。階級章の角度をチェックし、咳払いを一つしてからドアをノックする。
「ジェファーソン・ジェンキンス一等曹長です」
「入れ」
 耳障りの悪い、ひしゃげたガチョウのような声が返ってきた。
「おはようございます、サー」
 部屋に入るなり敬礼の姿勢を取る。
 執務机の手前に立つホプキンス旅団長と、その隣にはアンダーソン副司令官。そして、彼らと向かい合う側に、3つの兵士の背中があった。
 旅団長と向かい合う側に整列している3名に並びながら、チラリと横を見る。
 知っている顔が二つ。いずれもタンクドライバーだが、あまり仲良くはなりたくない連中だ。酒場でのケンカに後輩イビリ、ドラッグ・パーティーにイカサマ賭博と悪い噂に事欠かない、懲罰部隊にいないことが不思議なくらいの駐屯地内でも名の通った不良コンビだ。
 残る一人は初めて見る顔だ。ユニフォームからメカニックであることは判るが、草臥れた雰囲気も含めてベテランではあるようだが。
 それにしてもメカニックのジジイはともかく、素行の悪いオッサンたちと並んで呼び出されているこの状況は、悪い予感しかしない。
 オレは一体、何の罪に問われるのか?
 もしかして、サイン色紙を受け取っていたのは調達部隊長ではなく、ここにいる副司令官だったりして。
 背筋を悪寒が這い上がった。
 緊張感溢れる部屋の空気を解きほぐすかのように、ホプキンスがオレ達4人をゆっくりと一瞥すると、ガチョウの声がする口を開いた。
「サミー・ブライアン准尉、マッシュ・アイランド曹長、オルテガ・オーウェン曹長、ジェファーソン・ジェンキンス曹長、貴様ら4名に第88機甲部隊への転属を命ずる」
 へ?
 一気に緊張が緩む。
 どうやら、情報漏洩容疑で軍法会議に掛けられるワケではなさそうだ。それにしても88? 機甲部隊ってそんなにあったっけ?
 全員が同じ疑問を抱いた様子だ。マッシュが代表して質問する。
「サー、第88機甲部隊とは?」
 その問いには、アンダーソン副司令官が答えた。
「新たに創設した部隊だ。別名、ボーディング・ロイド部隊」
 ボーディング・ロイド?
 タンクドライバー3人がポカンとするなか、メカニックのサミーが声を上げた。
「ボーディング・ロイドだって⁉ あんなポンコツで何をやろうってんですか?」
 准尉ごときが副司令官に対してはありえない剣幕だ。
「まあ、落ち着け」
 アンダーソンは部下の無礼な振る舞いを咎めることなく続けた。
「二か月後に、ここフォートステュワート駐屯地の設立70周年記念式典が開催される。そこで3機のボーディング・ロイドをパレードに参加させてくれればいい。たったのハーフマイルだ」
 たったそれだけ? それだけのために、部隊を新設したのか? どんなマシンだか知らないが、その程度なら1、2度起動訓練をすれば問題ないのではないか?
 オレの疑念などお構いなく、サミーの興奮は収まらない。
「ハーフマイル? あんなポンコツ1インチだって動きませんよ!」
 尚もアンダーソンは冷静さを保ち続けた。
「だからキミを呼んだんだ。『プロジェクト・ガンガル』の数少ない生き残りにして、サブチーフ・メカニックだったキミをね」
 間髪入れずに興奮したメカニックは云い返した。
「冗談じゃない。オレはゴメンですよ。あのガラクタとは二度と関わりたくありません。帰らせてもらいます」
 背を向けようとしたジジイに、遂に旅団長がガチョウの声を荒げた。
「待ちたまえ! これは命令だ」
 半身の状態で、サミーは動きを止めた。
「それに、もう一つ聞いてほしいことがある」
 ホプキンスは勿体ぶるような間を開けてから続けた。
「近頃、装備品の在庫が合わなくなっていてね。ゴーグルやボトル、レーションなんかが足りないらしい。いや、大した数ではないんだよ。月に1個か2個ずつだ」
 この旅団長は何をケチ臭いことを云っているのだと訝しんでいると、半身のジジイの表情が強張ってきているように見えた。
「別に大したことではない。それだけなら大したことではないんだが、見付けてしまったんだよ。ネットオークションに出ている、うちの装備品だと思われるゴーグルやボトルが……」
 ホプキンスは僅かに笑みを浮かべている。対してサミーの顔は真っ青だ。
「いや、これはキミたちには関係のない話だな。旅団長の愚痴だと思って聞き流してくれ。さて、どうかなブライアン准尉、転属を受け容れてくれるかな?」
 サミーはゆっくりと向き直り、俯いたまま消え入るような声で答えた。
「はい。よろこんで……」
 なるほど。ここに集められた者は、それぞれに何らかの弱みを握られているということか。
 素行が悪いと評判の二人はともかく、オレは一体どんな弱みを握られているのか。まさかの情報漏洩容疑か?
「他の者もいいかな?」
 ホプキンスが残りの三人を見渡した。
「いいぜ」
「しゃーねーな」
「・・・はい」
 異を唱えられる空気では無かった。
「では早速、作戦を開始しろ! ミッション・コードは、『ボーディングロイド』、作戦指揮はアンダーソン副司令が直々に取られる」

 広大なフォートステュワートの敷地をジープで走る。駐屯地の施設配置図にも載っていない第108格納庫へ向かって。
「それにしてもジイさんよう、セコイことやってんだな」
 後部座席からオルテガが茶化すように声を掛けても、助手席のサミーは何も答えない。腕を組んでムッツリと押し黙ったままだ。
「じゃあ、そっちの兄ちゃんは、何やったんだ?」
 バックミラーを覗くと、オルテガと目が合った。オレに聞いているらしい。
「なにも」
 心当たりが全く無いワケではないが、この時点で女スパイは登場させない方が賢明だ。
「なんもねぇワケ無ぇだろう。こんな罰ゲームみてぇな転属なんてよ。何やらかしたんだよ。云えよ!」
 しつこい野郎だ。もう一人の不良オッサン・マッシュはニヤニヤしながらオレたちの遣り取りを眺めている。
「だから何もやってないって。そういうアンタたちこそ、何かやったから飛ばされたのか?」
「さぁ、どうだかなぁ」
 惚けるオルテガに対して、マッシュがつっこむ。
「何かやったとしても、見付かるようなヘマはしねぇよ。コイツはどうだか知らねぇけど」
「なんだとテメェ!」
「そうだろうが!」
 後部座席で二人は胸倉を掴み合った。コイツら仲間同士でもお構いなしか。先が思いやられる。
 溜息を吐いたとき、隣のサミーが吐き捨てるように云った。
「おい、着いたぞ」
 右前方にピカピカの建物が聳えていた。減速しながらエントランス前にジープを寄せる。
『フォートステュワート兵器研究所』
 建物の威容のせいか、後ろの二人もピカピカを見上げて大人しくなった。
 すげぇ。ここで開発された兵器をオレたちで動かすのか? とても罰ゲームとは思えない。むしろ抜擢なんじゃないのか。
「ここじゃねぇ」
 オレの感慨を打ち消すようにサミーが云った。
「この裏だ」
 うら?
 再びアクセルを踏み込んで、研究所の裏手に廻る。
 ピカピカの建物の陰から、こじんまりとした格納庫が見えてきた。まるで第二次大戦の資料映像から復元したかのようなオンボロだ。
「おいおい、なんだここは? 歴史博物館か?」
 騒ぐオルテガを無視してサミーがさっさと車を降りた。
「黙ってついてこい」
 格納庫の巨大なスライド・ドアの脇にある普通のドアを開け、サミーが中に入っていく。オレたちも後に続いた。
 暗くてよく見えない。庫内の空気はヒンヤリとしているが、薄らと油とカビが混ざったような匂いがした。
 壁伝いに奥へと進んでいったサミーが大きなレバータイプのスイッチを入れると、一斉に天井の照明が点灯する。
 その光に照らし出されたのは、巨大な脚。
 おおっ、スゲェ!
 いや、スゲェのか、これ?

『やっぱり皮がスキ 2』へつづく


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