溢れよ
*泥の中から出て来ながら、蓮は美しい花を咲かせる。
だが、その蓮の花の鮮やかな赤色を、
叛逆者の血しぶきと見るか、生身の喩えと見るか、
エロチシズムの煩悩と見るかは、私たちの自由というものでなければならない*
(寺山修司)
赤、白、黒、極彩色、淡色
直線、曲線、円、角、対称、歪
カタチにせよ色にせよ、それらは、それを観る方の心の有り様に
あるということ、思考も感情も同じく、
画一的なる
唯一無二の真など無いのだと
常々思うわたしは、
上記の寺山修司の詩に出会ったとき、いたく感じ入ったのである。
当初、告白するならば、
あの歌、”蛍飛んでいけ、乳房を突き破り、愛しいひとの元へ飛んでいけ”、のフレーズを(とても共振するということもあり)具現化しようと、
胸から真紅の線と光を描き始めた。
がー
血飛沫にしか見えぬ。
これでは救いの無いグロ絵だと・・観るわたし自身が萎えたこともあり方向性修正。
高慢と観るか、陶酔と観るか、祈りや希望、或いは単なる幻惑、夢想と見るか、
それも、皆さまのご自由ということで。