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#青ブラ文学部#放伐と禅譲

✡️禅譲は平和的に王朝を譲ること。放伐は武力で前王朝を退場させること。どちらも正当な王朝交代とみなされる理論です。


即座に思い付いたのが、イソップ童話【北風と大陽】である。
物語は多くの方がご存知だと思いますので記載しません。

北風=放伐
大陽=禅譲と仮定し愚考。

善悪の規範的なるこの物語。
初めて読んだのは多分幼稚園時だと思います。
読後、違和感覚えました。
あまりにあからさまに
恣意的に創られているから。
教訓なので仕方がないと思いますが…
其処に触れると話が始まらないので
割愛します。

国を統治、民を統治する。
或いは職場、地域、バーチャルの世界に於いてもリーダー、支配する者は存在するわけで。
その力量、才能無くしては君臨出来ないであろう。
完全なる北風、大陽は居ないというのが私見です。放伐と禅譲は相反しない。濃さと量の違いかと。

かつて、若きモーツァルトに会った宮廷作曲家サリエリが嘆いたように
「才能と人格は比例しない」
共感します。


喩えとして、この.noteの世界で
才能あるクリエイターさんを考えてみる。
尊敬に値する方=才溢れる方
=徳のある人格者
ならば、高圧的にご自分の枠に
取り込まない。
寛容さ、受容力の無い方こそが、高慢に独裁的に、下位なる者を裁くのです。命令を下す。
上も下もあるものか!と個人的には考えますが、逆らえばどうなるか
愚民たりし者は知ってるのです。

少なくとも対等である筈の
noteの世界が、

放伐であれ
禅譲であれ
支配、統治、命令されるという事実
下手すれば削除、排除されることを。

ちっちゃい心の持ち主と断じざるを得ない。
【喩え】としての思考。
わたしの記事を読み不快になられた方あらば、そう、あなたはモーツァルトです。
お喜び下さいませ。

わたしは、サリエリの足元にも及ばぬ
ただ1人の愚民、権力者に迎合しない自由人です。

*下記に繋がる雑文です。

*この作品もフィクションです。


山根あきらさん、宜しくお願い致します。お題の主旨に添っていなければ、
破棄して下さいm(__)m


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