高倉健/父生前の日記
昨日、高倉健氏の訃報を父とホームで知る。
以後、父はまたしても、ナーバス。
死に遅れた、死にたい病に取り付かれている。
「健さんより、オレは年上ったい、あぁ、長く生き過ぎた・・死ぬにも死ねん。
いつまで惨めな奈落で過ごさにゃならんとか!」
父の舎弟たるオジサン曰く
”会長!死んだときが寿命です”
実に端的ながら真理だと思う。
幼い頃から不在の多い父との数少ない思い出は映画鑑賞である。
それも、タイトルに挙げたような任侠映画。
鶴田浩二氏に、幼いわたしは惚れていたw
成長しても、彼の古い昭和気質に
男臭さに魅入ったものだw
それにしても、幼稚園の頃から、小学校低、中学年、夜に決まって連れてってくれる映画ったら、
「兵隊やくざ」「座頭市シリーズ」 故・勝新
「人生劇場」「任侠伝シリーズ」故・鶴田浩二
「網走番外地」「唐獅子牡丹」 健さん。
当事は映画が二本立てであった。父は片方の作品に何の躊躇も無かったのか?
いや、任侠道だって、十分に問題ではあろうがw
一番鮮烈に脳裏に残っている映画
「世界残酷物語」である。
何しろ、モザイク無しのドキュメンタリー。
子ども心に、何故、あの人たちは裸のままなのか?と疑問に思ったものだ。
差別ではないかと。
長い時経過して、ちび黒サンボが発禁になった・・・
そんな比では無かったのだ。人種差別、いや、同じ人間を人間と尊重せず撮った映画だ・・(記憶定かではないが、泣きたくなった自分のその日を思えば、
酷い視点のドキュメントだったろうと。)
幼い目に、男性のイチモツが
怖ろしげに巨大な化け物として
生きて動いているサマに驚いた。
悪意と侮蔑に満ちた映画!
話が逸れた。
高倉健氏は、「野生の証明」「幸せの黄色いハンカチ」など、役者として転身したが、
どうしてもわたしの好きな健さんは、背中に刺青彫った姿、
池辺良氏とともに、
毎度御馴染み、彼の歌がBGMー
殴りこみの背に背負って、粋な着物を血の色に染め、
細く見えるのに、美しい筋肉質の上半身姿であった。
父よ、かっこよく死ねずともいいではないか。
いい加減、諦めよ。
っつーか・・あなたが刺青彫るのを身体張って止めた祖父を思い出せ!
「親父に一つだけ感謝しとる、若気の至りで、身体に墨を入れずに済んだ・・」
あなたは、確かに言ったでは無いか。
その通りですよ、一つだけじゃなく感謝すべきことの多さったら、貴方の闘病生活、障害者生活の年数など比べようもないのだ。
ヤクザな父ではあったが、
一応、真っ当に会社のトップにまで上りきれたのは、
父の才覚と情熱もあったと尊敬の念は抱いているが、
背中に刺青あれば、さすがに、門は狭く閉じられたろう。
もうすぐ父誕生日。 それも鬱の要因かぁ。
最近、断食モード突入、
死ぬ為の努力をしているようだが、
死なせてたまるか!ですよ、お父さん。
貴方の妻を、多くの外敵と思うモノから守り抜き、看取った後なら・・
彼岸の祖父も、「ようやった!頑張ったのう」と、
貴方を迎えに来てくれるかも知れませんね。
裕次郎が死に美空ひばりが死に・・当事の父は若く闊達で現役でもあったため、
単に「昭和の象徴がまた一つ減った・・」と嘆いただけであったが
老い病んだ身には、愛して止まなかった高倉健氏の逝去は、堪えたのだろう。
ホームで嘘ばかり吐いてるくせに!!「俺は、鶴田浩二と同じたい、特攻隊の生き残りだ」
もう・・おばかさん。
明日は父が我慢出来ないであろうチーズケーキでも持って行こうっと♪