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父の顔
「何をどう言ってもつまらんのぅ。」
と、父がふっと笑う。
その顔があまりに寂しくて
帰宅後も脳裏から離れない。
豪胆でまさに九州男児そのものだった父、
やんちゃを重ねた十代
そして、企業を興した二十代
転身して、経済より誇りを望んだ三十代
父の人生は(父が手記をとうの昔、現役の頃、わたしに預けたのだ)
まさに波乱万丈、そして、輝かしい業績を残した人生であった。
8年前、突然倒れ、脳出血と判断、緊急手術、その後、リハビリと
生き延びた父の晩年の寂しさよ。
怒る顔には慣れていた。
いや、常にわたしはおどおどしていた。
父の良い娘であろうと、懸命に努力してきた。
結局、父が元気な頃は
一度たりとも褒められたことはない。
この8年、父が徐々に確実に弱り介護の手を必要とし
彼にしてみれば屈辱的であろう言葉や情けない自分の状態を
どれほど、憤怒・悲嘆したことか。
会う度に
「長う生き過ぎた。もう誰も居らん」と言う。
おそらく、一昨日の夜、下の世話を頼む為にベッドの傍のコールを
鳴らし続けたのだ。夜間の介護師さんの手は足りない。
夜10時に世話をすれば、明け方4時におしめ交換。
それが我慢出来なかったのだ。
顔なじみの介護師主任さん曰く
「もう~夜通し、えっとですね、計70回ですよ!五分に一回です。
ね、○○さん、わかる~?夜間は人が二人しか居らんとよ。ね、○○さんだけが
入所しとんと違うんよ。わかるやろ?皆、頑張りようと!
これ以上、鳴らすと・・・コール取り上げるしか無いとよ。厭やろう?」
わたしの前でその調子で、彼女は父を赤子のように諭し、叱るのだった。
・・・ふっと父が笑う。
その寂しい顔は、過去の、どのような父の怖い顔より、
わたしには、怖い、辛い。
覚書程度・・・
*父は4年前に他界しました。
当時つけていた日記より抜粋したものです。