記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

シャニアニ全章を見終えての3章についての感想と総合的な総括

始めまして。紅月伽南多(あかつきかなた)と申します。この度は私めのnoteを御高覧頂き、誠にありがとうございます。 
さて……表題の通りですが、アニメ・アイドルマスターシャイニーカラーズ(以下シャニアニと省略)を全章観覧した上で、現在公開が開始された3章についての所感となります。 拙い文章となってしまうかもしれませんが、何卒ご容赦頂けますと幸いです。

……本文に入ります前に、大変勝手ながら私の身の上話を少々挟まさせて頂きます。興味のない方は、この項の最後に記載します注意事項まで飛ばして下さって構いません。

まず大前提として私は【enza版アイドルマスターシャイニーカラーズ】(以下シャニマス)というコンテンツが大好きです。恥ずかしながら以前までライブコンテンツということにお金をかけることを「無駄遣い」などと嘲笑していた立場でしたが、3rdTOUR 東京day1に運良く当選して以降、行けるライブには全て通っております(非当選のものも配信での視聴をしています)
文字通り心を動かされ、少々大仰な例えになってしまいますが「人生の一部」になっていると言っても差し支えありません。 
今でもそれは変わりなく、新たにサービス開始となった【アイドルマスターシャイニーカラーズ〜Song for Prism〜】(以下シャニソン)についても、初動の失敗こそあれども運営のやる気は感じ取れるので、先日のアンケート(恐らく多くのユーザーから辛辣な内容が寄せられているでしょう)がどのように反映されるかを期待と不安混じりで必要最低限(両パス購入)の課金応援という形で見守っています(単純に課金欲刺激の要素が薄過ぎるというのもありますが)
同様に……シャニアニに関しても、不安こそ大きかったものの初アニメ化ということで一先ずは楽しもう程度に考えておりました。


さて……これより先の注意書きとなります。 

1.シャニマスというブランドコンテンツそのものを好きだからこその話。
2.期待度で言えば最初から其れ程高くはなかった点(ゲームノウハウがなかったように、アニメーションノウハウも恐らくはなかったであろう為)
3.シャニアニ1章、2章を観た上での総合的な感想(ほんの少しだけ各章にも触れると思います)

これらの全てを引っ括めた上で、非常に芳しく無く語気の荒い文章の羅列がこれでもかと続くと思います。当然ながら批判オンリーと言う訳ではありませんが……。
これより先は、以上の点をご留意頂きました上で進んで頂ますよう心よりお願い申し上げます。 









…………ごめん、これ何?


仏の顔も三度なんて言葉があるけれども、怒りよりも茫然自失が勝っちゃってなんとも言えない感情。 
もちろん良いところはとても良かった。だがそれ以上にーー悪いところが度を越して悪過ぎた。 
1章から全部見て来て、一番ピンと来ないのが3章だとは思わなかった。とはいえ、この3章こそを感動の全てだと評する人がいることにも理解は出来るのでそこを否定するようなことはしない。
問題点は色々あるけれども……一先ず3章各話総評の後に大まかにポイント毎に纏めていこうと思う。 


〜9話〜

話は前回、シャニアニプロデューサー(以下シャニアニP)が真乃に「皆のセンターをやってくれないか?」と伝えられたところからの続きとなる。前回メインであった放クラアルストとは打って変わって今回はイルミネアンティーカメインのお話。センターの話を思い悩む真乃。それに対してそれぞれの考えを話す灯織とめぐる。それと並行して行われるのがアニメ新曲となる【ツバサグラビティ】の話の続きで、前回がダンスについて。今回が歌唱について。ということで、忙しい時間の合間を縫ってレコーディングしましょう……まではまあ、いい。 


まさかレコーディングの話だけで丸々1話使われるとは思わなかったよね。


なんならセンターをやるっていう覚悟も、1話のアイドルになるっていう心変わりの早さと同じくらい唐突で違和感があったし(後にenza版STEPコミュで補足を行うというズル補足はあったけれども)

個人的にアイドル各々がちょっとしたアドバイスから「歌い方の発見」を見出したりとか、「いつも一緒にいるから息がピッタリあっている」とか、それっぽい描写は無理矢理頑張って入れてはいるんだけれどもどれもこれも取って付けた感満載で……いやまあ、ファンムービーとして割り切っているのなら、「enza版読んでるし、分かるな?」と脚本側から提示されている気がしないでもないけれども。


いやわかんねーよハゲ! 


enza版イルミネは、ファミレスで周りの迷惑顧みず歌い出したりもしねーよハゲ!!!



髪の話は、やめようね! 


……とまあ脱線しかけてしまったが、根本的に描写が雑でかつ抽象的。真乃(イルミネ)の【ツバサグラビティ】で恋鐘が何かを感じ取ったシーンとかも「ここトランザムバースト空間だったっけ?」ってくらい上手く飲み込めなかった。というかこの脚本、使い回しの表現が多過ぎる。確かにシャニマスには目を丸くしたり、ハッとしたり、一寸悩んだり考えたりの部分を独特の『間』として表現していることが多々あるが、正直この脚本家はそれをシャニマスの根底であり全てだと勘違いしている節があるだろう部分を多々感じ取ることが出来る。

……ただ、その後の新曲として紹介された【Spread the Wings!!】をライブで実演するかどうかという部分で真乃が「やりたいです」って発言して皆がそれに賛同して繋がって行くシーンは良かったと思う。相変わらず唐突感は拭えないけど。

……あ、余談ですが「原作の文脈に触れていない」とか、「匂わせるだけ匂わせてスルーか?」とかは私は敢えて触れません。そこの話になると一種の思考の押し付けに類してしまうので。そこらに関してはそれを求めた人のエゴですからね、望む気持ちも大いに理解は出来るので否定も肯定も致しません。


〜10話〜 


【Spread the Wings!!】をこじつける為の合宿回。選ばれた舞台は実在する施設【泊まれる学校 さる小】のようです。良かった。みんマス思想全開で恒例扱いの海合宿寄せ書きとか薄ら寒いことさせられなくって。
正直な話をしてしまえば10話に関しては内容単体で語ることはほとんどないです。歌とダンスを練習する中で、ステップが難しい。歌声に納得がいかない。笑顔が消えてしまう。それらを皆で確認し合って意識して、最後は自然な形で完成するという良くも悪くも王道な流れ。

はづきさんの歌は良かったよね、ついでに1アルバムくらい出さない???


しいて言うのであれば、問題はカレーのシーンや花火の後の皆が目を瞑って想像を巡らすシーンくらいなのですがこちらは個別批評部分に回したいので端折ります。
それくらいシャニアニを評価することに於いて「致命的だな」と感じてしまった部分なので
深夜のプールでの真乃の悩みの独白やシャニアニPが花火をするアイドル達の姿を見て「色とりどりの光ーーシャイニーカラーズ」と、それっぽくタイトル回収+プロダクション全体メンバーの命名をしたとこに関しては尺足らずの一言である程度済ませることが出来ちゃうので深くは触れません。まあここも総合的に見た致命的な問題点の部分なので後で別個で書きます。

ただ、さ…………

そこを描く為にもっと削れるところはいっぱいあっただろ!?っていうのは間違いないんですけどね!!! 



〜11話、12話〜


ライブ回。1stライブに思い入れがある方には感極まるものがあったのでしょうけれども残念ながら私は3rdTOUR 東京day1が人生初ライブの身の上(こんな観劇歴の浅い若造が偉そうなこと言っててゴメンね!でも文字通りそこで人生狂わされたから許してね!!)なので「良くあるライブ回だな」くらいにしか思っていませんでした。最初期からの有識者が言うには、ライブのシチュエーションや舞台構成、ライブ開始までの再現度などは非常に高いようですね。
ライブシーンのMVに関しては当初から3Dの強みを活かしきれていたものであったので特に言うことは無し(アニメでもちゃんとフォーメーションチェンジしてるよシャニソンくん!)なんですが、B面の楽曲のMVくらいは、出来るだけショートであってもフルで見たかったかなと思いましたね(B面いつ実装するのシャニソンくん!!!)特にせっかくの【虹になれ】や【ハピリリ】が中途半端な歌唱端折りと尺で勿体なく感じました。

それはまあそれとしてーー

ライブ中の舞台裏の動きを見せようとか思うのこの作品くらいでしょ。本ッ当に気持ち悪いよシャニアニ!


みんな大好き前田慶次さん


放クラは圧巻の一言でしたね。場の空気を一瞬で変え支配する圧倒的な巻き込み力は現実でのライブのそれとほとんど遜色なく。【太陽キッス】のタオルブンブンもアイドルごとに特徴と特色を持たせており、いい意味で目が追い付きませんでした。

……放クラ自体の問題はなかったからこそ、このシーン(厳密にはライブ全体を通してですが)における『問題点』が、嫌でも目に止まってしまいます。

そして【バベルシティ・グレイス】の曲と共に奈落から飛び出すアンティーカ。ステージ前の賑やかで和やかな空気からの舞台での熱唱、熱演のギャップは堪りませんでしたね。売りの一つとはいえ、アニメ映えはし難いであろう【幻惑Silhouette】のマリオネットダンスまでばっちり入れてくるとは思いませんでした。……だからこそちゃんとフルで見たかったですけれども。

各ユニット毎のライブが終わり、舞台はいよいよクライマックスの全体曲へ。奈落の舞台装置へと向かうアイドル達にシャニアニPが一言激励を告げます。……もうちょっと時間を取って色々話すべきだとも思ったんですけれども、実際のライブでもこのインターバル部分で演者の方々が時間に追われているのは事実でしょうし、何よりもが圧倒的に足りていないので仕方ないですね。

装置にアイドルが揃いせせり上がる舞台。満員の観客席に向け、

「わたし達ーーシャイニーカラーズです!」 

と、全体ユニットを紹介。……ここで途切れるのどうなんだろう、実際。

そして12話に。アニメ新曲となる【ツバサグラビティ】を全体で熱唱。OPも含めやや多過ぎる気もしましたがまあこの辺は飲み込みましょう。曲自体もよく、アンパンマンと揶揄されたOPの顔挿げ替えもアイドル一人一人を映すことでちゃんと形にしていました。なんでそれがOPムービーで出来ないの?

そしてライブ恒例のアンコール前の早着替え演出(着替えのシーンまで入れるのはさすがに拘りが過ぎて気持ちが悪いよ!?)そしてアンコールに応えアニメ衣装である【バースオブウィング】から【ビヨンドザブルースカイ】に早着替え。ここでようやくシャニアニとシャニマスが繋がり始めたと感じました。アイドル達が舞台に揃い、始めたのが――


まさかのMC!ユニット代表挨拶!!! 


いやまあ、うん……せ、攻めてるねえ……?正直な話始まった瞬間「そうくるかあ……」ってのと、「なにしてんねん……」の感情が綯い交ぜになって宇宙猫になりそうでした。代表挨拶で良かった千雪(典子)の暴走部分がアニメ化されなくて。

そして締めは(既存曲だが)新曲として発表される【Spread the Wings!!】(本来ここで公開されていた【Ambitious Eve】が結構好きな曲なだけに、公開されないことを知って少しだけ残念でした……)
曲とダンスについては語るところはないです。日常的な動き等の部分には不満も残しましたが、ことライブシーンに関してポリゴン・ピクチュアズ様はいい仕事をして下さいました。 


……あ、ここも問題点あるから脚本家と監督は居残りな?覚悟しておけよ??? 



そして無事1stライブは終了。後日のテレビでの反響を見ながら語らい合う裏方組の3人(3章における社長の出番はここだけです) 

そして青空の下、長閑な雰囲気で283プロダクションアイドル全体でピクニック。【ピクニックバスケット】のオマージュと思われますがレンジでチン!も新アイドルの登場もなしです。最後は真乃。そしてそこから皆が空を仰いで幕引き。EDテーマとして【Multicolored sky】が流されていました。トラウマソングなどと言われるようになってしまいましたが私はこの曲、今でも全体曲の中でもかなり上に位置付けているくらいには大好きな曲です。(ライブで流さなかったのは5thday1民への配慮ですか?)


そして最後は、青空を飛ぶ紙飛行機と共に、まだアイドルではない【ストレイライト】と【ノクチル】の面々が映って終了。3章PVの紙飛行機の時点で【ストレイライト】の予想はしていたので余り驚きはありませんでしたが【ノクチル】も出すんだなと少しだけ驚かされました。

……それと同時に、大凡のシャニアニ制作開始タイミングもある程度は想像が付きましたね。 

モデリングが気持ち綺麗だったように見えたりしたのは、シャニソン公式株主総会進捗発表会で高山祐介総合プロデューサーが「3Dモデルの世界では常に毎日のように技術革新が起こる」などと話していましたように、昨日迄の新技術が、翌日にはもう古い技術になってしまっていたという結果なのでしょう。優遇だなんだと宣う気は更々ありません。 

『To the NEXT STAGE』と次を匂わせていましたが、

2期は是非とも手描きアニメーションでやって欲しいですね!


あ、ライブシーンは引き続きポリゴン・ピクチュアズ様、宜しくお願い致します。



〜細分化した上で見る問題点〜


さて、ここからはいくつか省略したシャニアニの問題点についてお話させて頂ければと思います。この項に関しては本文では触れなかった1章、2章についても補足の意味で軽く触れさせて頂くことがあります。
また、一つ一つ大小の括りなく要点毎にまとめていく関係上、えらく長かったり一瞬で終わったりと、とんでもない文章量の差が発生してしまうと思いますが、どうかご容赦頂けますと幸いです。

[シャニアニにおけるシャニマスの空気感の問題]

まず第一に私が感じた部分として、このアニメーションは原作シャニマスにおける『空気感』の部分に注力しようという体で話が進行したのではないのか?と思っております。例えるならば、言葉と言葉の間に生じる人と人との距離感や考え方。例えるならばアイドルを映さず事務所の背景や風景、だけが映し出された中で大事な台詞やシーンと共にポエミーな台詞と情景にあったBGMやSEと共に進行する物語。例えるならば、日常の一つを切り出したかのように描かれた緻密で繊細な各種コミュやシナリオetc.
他にも構成成分はまだまだありますが……恐らくこういったシャニマスならではの『空気感』を形にすることを目的とし……須く外してしまったのでしょう。
それを如実に感じ取る事が出来るのは、空気と批評されている3話のアルストロメリア回ではないでしょうか。フラワーアレンジメントとミニライブのイベントで一人明らかに浮かない表情の子供とそれに困らせられる姉。それを見た甘奈は「どうにか楽しんで欲しい」とプロデューサーや甜花、千雪に相談し、再度舞台に上がった時に自らが率先して動き場を打開することで解決へと導いた……少し記憶違いがあるかもしれませんが、大筋はそんな物語です。 
一見すれば理路整然とした流れで構成されたハートフルストーリー……に見えなくもありません。ですが、ここがまさにシャニマスの『空気感』をアニメ化すると言った部分における最難関とも言える部分だと思います。
まず大前提として、シャニマスは擬似的なノベルゲーム要素が強い作品です。それぞれに台詞はあれども基本的に、カメラは動かないし、モブは心どころか表情すらも分かりません。故にシャニマスではそこに『直接は触れない』(関節的に触れたりすることはある)『直接解決には赴かない』(例外はある)ことを多くすることでそれを物語の題材とし、時間をかけて進行することで「人と人は完全に分かり合うことは出来ないけれども、時間をかけて分かり合えるようにしたい」というシャニマスのテーマの根幹を成すことが出来ます。 
しかし、アニメではそうも行きません。常にカメラは動きます。大小様々、老若男女の全てにスポットがほんの一瞬であっても当たってしまいます。即ちそれは、シャニマスではボカすことも出来ていたモブ達の表情も見えてしまうということです。
そこでアイドルが気になる部分を見つけてしまえば当然、それがその話のテーマになってしまいます。ですが放映時間はたったの30分(厳密には24分?)モブ一人に1日も2日もかけられません。故に考える時間は与えられず、手を差し伸べる方も、それを伸ばして手に取る方も、唐突感が否めない――雑な例えをするのであれば『ニュータイプ式解決法』とでも言ってしまえるような急な相互理解が発生してしまいます。故に、中身もカタルシスもエビデンスもないように思える、無味無臭に程近い内容となってしまうという訳なのです。 
この部分は常々「シャニマスはアニメ化との相性が悪い」と言われていた部分であるとも思います。

ではなぜ相性が悪いと思われていた中で、2話のアンティーカ回や4話の放クラ回は評判が上々だったのか。

……断言までは出来ませんが、  

・2話は監督自身も撮影に参加しており、物語に密接に関わりそれを動かす側の人間であったが故に、意思を汲み取る相互理解に時間がいらなかった。後単純にモブではなく登場人物の一人として数えるべき人物だったことも大きい。 

・4話はそもそもヒーローショーのコラボレーション相手である御当地ヒーローがダブルブッキングを起こし完全不在の為、相互理解発生の必要がなかった(イベント企画チームも代替イベント開催については最初から前向きでしたしね)
変わりと言ってはなんですが、商店街で積んできた実績が実を結び始めるなど、予め撒いておいた種が芽吹いたという形で自然と相互理解が発生していたようにも見えます。

と、割とどちらも納得の行く理由は用意出来るかなとは思います。シャニマス風に言うのであれば、アンティーカと放クラは「P・Sコミュの空気感」で、アルストロメリアは「イベントコミュの空気感」であった……という感じでしょうか(飽くまで主観に基づくものなので他者との考え方の相違は確実にあること前提で語らせて頂いております)

端的に言ってしまえば、よりシャニマスらしさを演出しようとするとどうしても『空気感』の部分が先行してしまい、結果的に1話と3話はとてもふんわりとした内容になってしまった……のだと、私は考えております。
決して不可能なことではないとは思いますが……シャニマスらしさの部分をアニメーションにすることは、やはり難しいのでしょう。

[独特の『空気感』から成り立つ『心境や感情の変化を可視化する』という問題] 

前項の延長線の話になってしまいますが、アニメ化にあたって今まで見えなかった部分を可視化しなければならない関係上、当然ながらこちらも避けては通れない課題の一つです。
シャニマスが作品内で作り上げた『空気感』によってアイドルやプロデューサー、そのシナリオに関わってくるモブ達にも、当然ながら話の中で『感情の変化』が発生致します。 
シャニマスであれば「今日こんな事があったんだけど自分はどうしたらいいだろうか」とアイドルが相談を持ち掛け、それを聞いたプロデューサーや他のアイドルが解答を導き出したり、或いはそこから更に話の主幹部分(例えばコミュやカード、イベントタイトル等)に繋がっていったりと、基本的には時間をかけて解決へと向かっていく流れが主軸です(書いててなんだけど、これ本当にアイドル育成シミュレーションゲームのシナリオか……?)
アイドルやプロデューサー達の口から、問題の起点となったモブ等の表情や行動に触れることはあっても精々その一瞬だけです。

しかし、前項でも触れました通り、アニメーションではその手の誤魔化しは難しく、当然モブ達と感情の変化をもしっかりと描写しなければいけません。 
これが4話の放クラのミニライブのように「複数の観客」相手であれば、ボルテージが上がり切った会場での歓声や、不安そうな表情がパッと花開くかのように満面の笑みになる描写も不自然ではありません。
12話の1stライブも同様です。そこに集まった人達はそのライブを楽しむためにここへ来ているのですから当然ながらなんの違和感もありません。
しかし3話等のように、個人対個人となればそれはとても難しいです。
例えば学生さん。或いは社会人の皆様でも、初顔合わせなとで大変苦労したこともあろうと存じ上げます。相手の素性も分からない。外面は取り繕っているように見えるけれども内心ではどう思われているのか。無事顔合わせは終わったけれども今後も上手くやっていけるのかどうかetc. 
ましてや相手は子供。必要以上に騒ぎ立てることもあれば突然泣きじゃくったり、或いはすんっ……として口も聞いてくれなくなったりと、とても対応が難しいものです。
それでもこれはアニメなので……限られた時間の中でその内面の変化をしっかりと描かなければなりません。その結果が、理由も分からず不機嫌だった男の子のところに甘奈が直接赴いて、理由を聞くでもなく好みのお花を持って来てぐさーっ!……ってしたらなんか急に機嫌が良くなって笑い出した……みたいな。不思議展開になってしまったのでしょう(優しくされるとすぐ落ちるチョロいオタクみたい)

これはまだアイドルとモブのやりとりかつ、相手が子供なので心境の変化にも多少無理はあろうにも頷けはする程でしょう。実際そういう光景は山のように見てきましたし、実在性を重視するシャニマスならではの手法とも言えます。 

……ただ、これがアイドル自身でも似たようなことが発生してしまっていると話は変わってきます。 

代表的な例でいえば散々語られている『1話の真乃がアイドルになるまでの心境の変化』や、3章で新たに見せた『プロダクション全体でのセンターをやることへの心境の変化』でしょう。 
1話は真乃のSTEPシナリオが公開された今となっては特別語るべくもありませんが、3章の心変わりの早さには多くの人がぽかんとしてしまったでしょう。
そこに至るまでの葛藤は?プロデューサーやイルミネメンバーに相談は?一人で悩んで一人で解決?独白してスッキリしちゃった?【Catch the shiny tail】やらないからなんも分かんないよ!などなど……時間が限られているとはいえ、いくらなんでも端折り過ぎです。心の変化までの道程が余りにも希薄過ぎます。 それでいて同じような流れを繰り返すせいでさながら同じ2コマ漫画を何度も見させられている気分です。 
そしてこの現象は真乃に限らず、他のアイドルでも似たようなことを起こし、悪く言えば使い回しのような表現が目立つ自体に。結果として物語を進行する上で重要な『心境の変化』や『感情の機微』の表現がおざなりになり、即落ち即理解の連続のような味気なく唐突感の強いシーンばかりになっているのだと推察します(我々をニュータイプかイノベイターとでも思っているんでしょうかね)

やりたいこと、やりたかったことはなんとか伝わってきます。ですがそれを視聴者側に完全に委ねてしまうのは少し違うような気もします。シャニマスでもところどころで不可解な点があることもありますが、最終的にコミュやシナリオが綺麗に終わるからこそ、所謂『解釈』の余地が生まれるのであって、中身を表現することを諦めた、或いは省略したものに対して同じようなことを求めるのはちゃんちゃらおかしな話です。


……まあ、を言い訳にすれば逃げ続けることは出来るのでしょうがーー


当然、逃がしません。


【繰り返し・使い回し・冗長な、或いは単調な演出の多用】 


私がシャニアニに於いて問題だと思っている点その1です。それと同時に、私が散々と言うワードを強調してきた理由です。 
例えばレッスンシーン。狂犬灯織イルミネというユニットがお互いの相互理解を深める為にも必要な工程でしょうし重要なシーンでもあります。 

にしたって他ユニットメイン回でレッスンばかりし過ぎでしょ。

それも同じステップを、同じテンポで。


イルミネーションスターズを緋田美琴か何かと勘違いしてない???


……話が少々逸れてしまいました。 

まあまだデビュー時期も決まっていない新人アイドル達ですからレッスンはそりゃ大事です。とは言っても何度も何度も同じ失敗を見せる必要はありません。一度見せれば以後は、真乃が躓き、めぐるがフォローを入れる辺りまでカットしても「ステップ上手くいってないんだなあ」と納得させることは出来ます。今までは「アニメでやらなければならなかった部分」の話でしたが、これは逆に「アニメではやらなくてもいい」部分です。どうしても納得の行くタイミングで狂犬灯織を入れたかったというのであれば話は別ですが。

同演出の繰り返しの話になりますと、8話〜10話の間でも同じようなことが起こります。アニメ新曲として用意された【ツバサグラビティ】を1stライブで披露するということで、8話はそれぞれのダンスモーションや意識について放クラとアルストを中心に話が展開。一方で9話はセンターという大役を任された真乃の悩みや葛藤を描きつつ(ほぼ描かれていませんが)イルミネとアンティーカを中心とした歌唱部分についての話でした。 
それぞれの課題をクリアして、後は1stライブに向けて総仕上げ!……のはずが、ここで更に【Spread the Wings!!】を新曲として公開したいとシャニアニPから資料が手渡されます。 このタイミングで???

そして10話です。

合宿回といえば聞こえはいいかもしれませんが、そもそも「ソロでの活動が増えて皆で集ることが難しい」って話をしたすぐ後に全員集合出来た上、2日間もスケジュールを開ける余裕とかあったんですかね?補足も説明もなしに合宿が始まりましたけど毎回こんなもんでしたっけ?と、10話自体がカレー作りと最後の花火以外ツッコミどころが満載なのですが……。

……そもそもにしてこの話、

大まかに言ってしまえば8話と9話の繰り返しです。


レッスンシーンがないよりはある方がそりゃマシですし背景も作り上げられますが……にしたって流れや構成までほとんど同じにするのは違うと思うなー。いくらなんでもボキャブラリー貧困過ぎない?


演出が思いつかないからってレッスン描写に逃げるのいい加減やめなー???

……と、先の各話感想において「10話で語ることがない」というのは読んで字の如くです。やってることがほとんど同じなのでまるで語れるポイントがありません(はづきさんの歌唱くらいでしょうかね)
皆でカレーを作るのも、いいシーンではあるものの8話の決起集会とほとんど被っています。おまけに最後に皆が瞳を閉じて夢想するシーン、

一人一人という時点で冗長極まりないのに、あまつさえライブ中にすら回想としてブチ込んできます。 


恐らくはシャニマスの思い出演出のオマージュ?のつもりなんでしょうけれどもハッキリ言ってただただ邪魔。そんなシーンで数秒ライブシーンが途切れるくらいならもっと早いうち……それこそ円陣組んで舞台がせせり上がるまでの間に入れればいい。
兎にも角にも、根本的に構成と演出が下手だと言わざるをえません。全話見通しても削れる尺は十分にあります。その尺の部分があれば、あれを入れて欲しかった、これを入れて欲しかった、な描写も取り入れることが出来たのかもしれませんね。

……或いは、分かった上でこうしているのかもですが、一先ずはおいておきます。


【3Dモデルの限界】


シャニアニの問題点その2です。まあそもそも「最初から手描きアニメーションでやれや!」と皆様も思っていることでしょう。ですが、余りにも総意でしか無いのでそこには一切触れません(2期は手描き2Dでやれよな!)
シャニアニを公開するにあたって、高山祐介総合プロデューサーは「3Dだからこそ魅せられる魅力がある」と口にしていましたが、結果だけで見れば「3Dだからこそ目立ってしまった粗」の方が多いと感じてしまいました。 

まず全体的なモデリングの動き。初期のカクカク具合は正直目も当てられませんでしたし、ライブシーンでもダイナミックな演出こそ出来ても、その反動なのか何処かぎこちない部分も目立ちました(5話イルミネデビューライブのフォーメーションチェンジの部分とか) 
また、作られたポリゴンモデルを利用すると言った手法で作画コストを落とし、普通であれば難しい姿勢や向きを描けるという強みは確かにありましたが……その一方で2Dだからこそ誤魔化せていた特定方向での瞳の向きや鼻や顎の尖りなどが目立っていたことも事実です。 
余程コスト面で逼迫していたのであろうことは各話のモブ顔過ぎるモブ機械的に決められた動きしかしないライブ観客席を見ても大いに想像は付きます(のくせしてペンラぐるぐるみたいな余計な演出は入れてやがるんだよな)
このように強みを出すよりも弱点の露呈のほうが目立ってしまった惨状ですが、

……その中でも何より私が気になったのは食事風景です。

私が敬愛する脚本家に『井上敏樹』という方がいらっしゃいます。彼は自身の描く脚本の中で、必ずと言っていいほど食事のシーンを導入します。これはこのアニメのような尺稼ぎを理由としたものではなく、「食事を摂るということは生きていること。生きているということは生活が存在しているということ」と語ったように(原文のままではありませんが……)食事シーンというものはたったそれだけでもいくつもの描写を盛り込む事が出来ます。 
食べ物を見る。匙を手に取る。それをよそったり掴んだり掬ったりする。匂いを嗅ぐ。口に放る。咀嚼する。誰か相手がいればそこにコミュニケーションが発生するし、量が減ったり、氷菓などの場合であれば溶ける描写を盛り込むことで時間の流れをも表現出来ます。なんでしたら食べ方一つでその人の性格や性質、心理状態の表現等……食事シーンとはまさに、物語を彩る為の万能薬なのです。 

ムール貝だって殻ごといっちゃいます。



しかし……全てが3Dの今作の場合、その食事シーンで出来ることがかなり制限されます。 
食べ物は見れます。匙は手に取れます。匂いもまあ、嗅ぐことは可能でしょう。ですが……それを掬ったり、口にしたり、減らしたり溶けたりする描写は出来ません。また、事前に掬ったもの(合宿中のカレー)を口に運ぶことで多少それっぽいものを表現することは可能ですが、それ以上は減らないですし次を掬うことも出来ません。食事という自由で応用が利く空間でも、決められた範囲で縛られた行動しか起こせないのです。たったそれだけで生命の息吹きは窮屈なものに感じ取れてしまうのです。 

……もしもこれが3Dではなく2Dだったのであれば、
1話冒頭で智代子がパフェ(本人の楽曲的にサンデーですかね?)にうっとりしているシーンも、アルストロメリアがカフェでアフタヌーンティータイムと洒落込んでいる時も、放クラが待合室でお菓子の話をしている時も(それはそれとしてあのパッケージはデカ過ぎだったけど)、天井社長の顔を隠すという邪魔好守に貢献したマカロンタワーのマカロンも、他様々なシーンで出て来た料理の数々を。

きっと皆、食べることが出来たんだろうなあ……って思うと胸が苦しくなってきます。 

私は……美味しそうな料理を食べて喜んでいる彼女達がみたいのであって、 
美味しそうな料理の食品サンプルを彼女達が眺めているだけの光景を見たいわけではないんです。

合宿のカレーのように元々食べる分だけであれば食事シーンも盛り込めますが、時間経過も食べ方も一度に掬う量やペースなども分からないので、これなら、いっそ最初から口に入れてる静止画とかで誤魔化してくれてもよかったかなと思います。静止画にした時点で3Dの意味は?となりますが……もう今更過ぎるので……。

3Dだからこそ魅せることが出来る演出って、ライブ以外に何があるんでしょうね、こう考えると(一応明確な強みは存在するのでそれはまた後で纏めます) 


【各種フォント】 


会社の会議資料を作ってんじゃねえんだぞ作り直せタコ。商店街で見るバザー広告のフォントの方が遥かに味があるわ。



【音楽】 


プラネタリウムじゃねえんだぞ阿呆が。なんで原作のBGMアレンジとか顧客が求めそれを喜ばせる方向に目が向かないのか。フィルムスコアリングと言う名のコスト削減だろこんなの。そもそも全然場面・風景にあってねえし!!!


【ED】


もう何も言う気起きねえわボケが! 


……まあこれは地上波タイミングで変わる可能性は大いにあるけれども。 


【ツバサグラビティ】 


シャニアニ唯一の新曲です。いい曲ですよ、初期のニュアンスも感じられて私はとても好きです。
ただ……無理して1stライブに入れる必要はなかったんじゃないのかなって思いますね。……ていうか1stライブ再構築なのになんでわざわざこれ入れたの?誰も疑問に思わなかったのかな……?
そもそも、新曲がこれ一つだけなのでとんでもなくバランスが悪い。肩身も狭そうで可哀想になってきます。大人しくOPオンリー楽曲でよかったんじゃないのかなって思います。 

……もし【ツバサグラビティ】を活かしたかったのであれば、アニメ公開楽曲は全て新曲にして、既存楽曲は劇中で流す方がよかったと思います。


【バースオブウィング】 


アニメ新規の全体衣装です。私は好きですよ。語りたいことは前項とほぼ同じなので割愛致します。 


【脚本】 


シャニアニ問題点その3にして最重大項目です。ぶっちゃけこいつが全てをぶち壊し、台無しにしています。

脚本家の加藤陽一氏は、シャニマスの何を理解してこれをお出ししたんですかね?空気感?雰囲気?実在性?まともな作品を作り、世に出すという基礎と根本すら出来ていない分際でほざいてんじゃねえぞ。

・雰囲気ばかり、空気感ばかり重要視したせいでまず根本的に中身がない無味無臭な脚本。
・使い回しとしか思えない冗長かつ惰性的な演出。
・自分で魅せたいことを見せることをせず、「ゲームで喜ばれている演出をそのまま模倣すればいいだろう」という目に見えた打算的思考。 
・困ったらレッスン。
・困ったら繰り返し。
・プロデューサーの空気具合。
・何よりアニメ化に求められていることを何一つとして実現できなかった無能っぷり。

とにもかくにも、シャニマスという作品に対する無知蒙昧っぷりが浮き彫りになっている。アニメ的演出(トラブル、トンチキ、ギスギス)が使えなくなるだけでこうも何も出来ない脚本家だとは思わなかった。こいつに依頼したの誰?高山?波多野?二度と関わらせんな。

要素を抜き出して描こうという魂胆は随所に見られたがその要素すらハッキリ言って薄味。抽出した部分ではなく、その抜け殻の方で作品作っちゃった?
全体を通して見ても竜頭蛇尾どころか頭から蛇。それも死にかけの。下手したらアスファルトで干涸らびているミミズかもしれない。中々ないよ?私が褒めるところを探す方が難しいって事態。 
原作をなぞればいい作品が出来るって訳じゃない。ましてやシャニアニなんて原作こそ存在するけれどもアニメ的部分で言えばほとんどオリジナル。頼れるのは己の腕だけだよ。もしこれで数々の批判の声に「原作が分かりにくい」的なことをニュアンスだけでも匂わす発言をするようであれば今すぐ原作付き脚本家なんてやめてしまえ。(こいつじゃないけど、過去にそういう事例あったよね……)さすがにそんなことはしないと思うけれどもね仮にもプロだし。

そして何より……この脚本はこの作品を見てくれる視聴者のことを一切見ていない。そして雰囲気や空気感を演出することにしゅうし徹底している関係上、自分自身の味を見せてもいない。端的に言って、この脚本そのものにレーゾンデートルを感じ取れない。ほんと、何を考えて書いたの?これ。 

そしてこの脚本を一切咎めなかった監督のまんきゅう氏やディレクションしていたであろう高山祐介総合プロデューサーおよび、池田菜々子アニメプロデューサー。貴方方もしっかりと反省して下さい。そして願わくば、2期(をやるのであれば)ちゃんとした脚本家を用意するか、徹頭徹尾ディレクションを入れて下さい。何も出せないのであれば役割なんて傀儡化執筆だけで十分です。 


……あ、アイドル達に余計な行動をさせなかったことと、最終話のライブの流れはバックステージ描写含め悪くはなかったよ。何も考えなかった結果の賜物な気がしなくもないけどねこの辺は。


〜全体を通しての良かった点〜


さすがにネガばかりなのもアレなので……一応良かった点も多少はありましたので簡単に纏めます。 


【アイドル達の所作・仕草】


登場する16人全員の言動や行動、思考などは原作のそれと遜色はありませんでした。なんでしたら、アニメ化したことでより魅力が増したアイドル達も数多くおります。シャニソンで3D化はしたもののやはり決められた範囲内での動きしかないので、アニメの広い空間で伸び伸びと動く彼女達を見ることはやはり喜ばしいものがありました。一挙手一投足まで再現を目指した関係上、演出としては冗長になってしまった部分もありましたが主な問題はそれを繰り返すことだったのでこの辺りは今後もし2期を作るのであっても継続して頂きたいです。


【3Dによる美麗な背景描写】


LIVE以外で3Dアニメーションで明確な強みだなと思えた部分でした。水の感じや空模様……特に星が炯々と輝く夜は素直に美しい……と息を飲みました。また、ライブシーンの延長線ですが、ライブ会場もやはりとても綺麗でした。こういう、明確に3Dの強みを感じた部分は今後も部分部分で取り入れて頂きたいですね。 


【シャイニーカラーズをアニメ化したこと】


最早「生きてて偉い!」とかそんな領域になってしまいますが、アニメ化を成すこととそこまで漕ぎ着くことすらないとではハッキリ言ってコンテンツ発展の上での立ち位置が雲泥の差であると思っております。「待望のアニメ化が大コケ!」といった事例であってもコンテンツそのものが死ぬわけではありませんし、逆に「アニメ化は大成功!でもコンテンツ人口は減少!」なんてこともあります。完成度は指標の一つにはなりますが必ずしも絶対ではありません。ソーシャルゲームのセルランみたいなものです。ランキング一桁二桁を複数回取っているものでも終わるものは終わりますし、ランキング3桁常連であっても生き続けているものもたくさんある。重要なのはどこまでいっても「アニメ化することが出来た」ことであり、その後どうなるかなんてものは実際に地上波放送分が終わって見ないことには分かりませんし考える必要もありません。

飽くまで私の考えではありますが……「アニメ化は失敗してしまったが正解ではあった」がシャニアニへの解答だと思っております。
成功を多くするものはより多くの失敗を経験しているものです。この初アニメ化がこれっきりにしても今後に繋がるにしても、いずれ何処かでこの経験は生きています。少なくとも、失敗の要因を見つけることが出来たという成果は上がっております。ノーをノー。ダメをダメ。NGをNGとユーザーがしっかりと発言出来る環境なのもいいですね、全肯定は衰退を招くだけです。どの界隈とは言いませんが。


〜ネット上に見える疑問について〜 


余りにも目についたものだけですが、簡単なQ&A形式でお答えしようかと思います。 

Q.なんか3D古臭くない? 

A.恐らくですが完成したの自体が遥かに前なのだと思います。担当声優の方も「随分前に録った」と発言もありましたし、開発経緯も武漢肺炎禍で自由が利かなかったという旨の発言もありました。本来であればそれこそ2周年……或いは3周年タイミングくらいだったのかなと。ノクチルもひょっとしたら、ここでサプライズ公開のつもりだったのではないのでしょうか。
……まあ3周年は色々ありましたからね……ほんと、色々……。 

Q.どう見ても低予算アニメーションに見える。 

A.飽くまでも作り始めが前項のタイミング通りなのであればですが、初年度から3年目までのシャニマスの売上を見て頂ければ納得が行くと思います。 
画像が用意出来ず大変申し訳ないのですが、1年目は完全に捨てています(まさかシャニソンシャニアニでも同じことしようとしてんじゃねえだろうな?)

Q.アニメの評判が悪過ぎて原作に触るのを躊躇う。 

A.決して万人に受けるとは言いませんが、本家シャニマスは濃密なコミュやシナリオとアイドル達の多種多様な仕草等、アニメーションでは上手く表現出来なかった部分もたくさん描かれています。シャニアニは全く別物と考えて、是非一度だけでも触って見て下さい。

https://shinycolors.idolmaster.jp/

どうぞ、おいでませ。

Q.こんなのアイドルマスターのアニメじゃない! 

A.アイドルマスターのアニメである必要があります?これはシャイニーカラーズのアニメですよ。

A.お約束もトラブルも全然ないじゃん! 

A.お約束もトラブルもあるのが当たり前というのは考えの押し付けでしかありませんよ。

Q.目茶苦茶に叩く為だけに劇場行ってもいい? 

A.止めはしませんよ。



彼やその界隈と同レベルまで落ちたいのであれば。どの界隈とは言いませんが。 

飽くまでも「楽しみにしていたものが余りにお粗末で批評をしてしまう」ことと、「ボロクソに批評することを楽しみに見る」ことはまるで別です。それだけはご留意願えればと思います。 

……まあ、それを一緒くたに考えている方々も中にはいらっしゃるようですけれどもね。


どの界隈とまでは言いませんが。 


〜総評〜


駄作とまでは言いませんが、ハッキリ言ってシャニマス勢から求められていたラインには到達していない……というのが答えでしょう。特に顕著なのが1話の掴みの弱さと3章全体を通しての駆け足感。武漢肺炎禍で作られていたという言葉の通り、色々と足りなかったり、欠けてしまっていたり、連携が取り切れていなかったりしたものとだと存じ上げます。
全体を通してふんわりとした空気感。感じ取れる人からすれば至福の時間であった部分もあるのでしょうけれども、感じ取れないはたまた感じ取った上で「違う」となってしまった人が多くなってしまった結果が、シャニマス勢の批評の答えだと思います。
また、このアニメーションは総合的な問題点を細分化して見るとそれが非常に浮き彫りになります。まとめたもの以外にも気になるところは多々ありましたが、どれもこれも「脚本家が悪い」で済ませることばかりなので割愛させて頂きました。
故に、総評では「つまらない訳ではないが、面白いと自信を持って勧めるのは難しい」という……人の言葉を借りるのであれば『意欲作』程度に私は落ち着いておこうと思います。本放送開始して、もしかしたらウルトラCがあるかもしれませんからね。逃げ、優柔不断と言われようとも断言は禁物です。 


ここまでお付き合い頂きましてありがとうございました。また、拙く粗い文面の羅列になってしまい誠に申し訳ありません。 
既に3章が公開されてしまい時間が経ってしまったせいで意見の集約や解釈が進み、私の考えさえも最早古いものになっていることでしょう。光陰矢の如し、時間の流れは早いものです。

根本的な部分の見直しにはまず間違いなく希代は出来ませんが、原作のオシャレロゴとは比べるべくもない余りにもチープなタイトル、あらすじフォントや、EDの糞仕様くらいは見直しが入ることを祈りましょう。 

ボロクソに叩いてしまった上でこんなことを言うのもおかしな話ですが、楽しめる人には楽しめますし、その楽しいという感想を否定するつもりはありません。このnoteがどれ程お役立ち出来るかは分かりませんが、4月から放送開始のシャニアニを見るにあたって注視する部分の参考程度にでもなれば幸いです。 


改めましてご拝読ありがとうございました。機会があれば、また何かを書ければと思います。 


いいなと思ったら応援しよう!