第4話 植物状態になった父
自己紹介👩 実話を投稿する理由と目的
🌻 前回までのあらすじ 🌻
6歳の時に父がくも膜下出血で倒れ、3年後に他界。父の愛情を実感するようになったのは、死別後30年以上も経ってからのこと。私は自分や父に対して葛藤を抱えながら生きてきたものの、7年前に受けた人生初の人間ドックで転機を迎える。第4話では、父の姿に衝撃を受けた子ども時代の私に迫る(2733文字)。
1.父親の面影
バリバリと仕事をしていた頃の父は、身なりをきちんと整えていました。
出勤前のルーティン。
それは専用のコームを使って、トレ―ドマークの七三分けを丁寧に仕上げること。
職業柄なのかそれとも気質によるものなのか、私はその清潔感ぶりに「お父さんらしさ」を感じていました。
しかし、あの日以来、父の面影は消え失せたのです。
病院の中に入ると、外界との隔たりを感じさせるような空気が漂っていました。
お見舞いに行く時はいつも重苦しい雰囲気の中を割って入り、建物の奥へと進んでいかなければならなかったのです。
まぶたを閉じたまま微動だにせず、点滴や医療機器につながれた状態でベッドに横たわる父。
短く切り取られた髪は無造作に伸びており、生え際には生々しい手術痕が見えました。
まるで、人造人間を見ているかのような恐怖感に私は襲われたのです。
元気だった頃の父と眼の前にいる父。
両者を重ね合わせることができなくなるほど、父は重篤な病に見舞われていました。
わけの分からない医療機器に父は取り囲まれており、病院ならではの「真っ白な掛け布団」が胸元までかけられていました。
父はたしかに目の前で眠っていたのですが、手の届かない遠い場所にいるような気がしたのです。
ベッドサイドから少し離れた所でたたずんでいた私は、何をするわけでもなく、同じ目線の高さにあった父の顔をぼんやりと眺めていました。
すると、母が私に声をかけました。
「お父さんの手を握ってあげて。伝わるはずだから。」
私は躊躇しました。
なぜなら、父に近づくことさえ怖かったからです。
恐る恐る父の手のひらを見つめると、青白くうなだれていたものの、思った以上に大きく見えました。
父の手のひらに、自分の手を重ねる……
父はひんやりとしており、その瞬間、得体のしれない何かに飲み込まれそうになりました。
怖くなったものの我慢をして握りしめていると、わずかながら、父であることを感じさせる何かにふれたような気がしたのです。
父の手を握りしめた最後の記憶になるとは、この時、思ってもみませんでした。
もし、母が私に声をかけることがなければ、父の手にふれることさえできなかったと思います。
2.おむつ
自宅にいないことが日常の一部になるほど、父は長期の入院生活を強いられていました。
父は急性期を脱した後、自宅から遠隔地にあるリハビリ専用の病院へ転院することになりました。
「私が自分の体質に気づくようになった」のは、この頃からです。
・乗り物に酔いやすいこと
・ちょっとしたニオイにも敏感に反応すること
特に、車の中にこもる独特なニオイを感じていると気分が悪くなること
面会時は母の運転する車に乗り込んでいましたが、長距離移動は私にとってストレスフルでした。
・窓を目一杯開けて、外から流れ込む風に顔をあて続けること
・アメをなめたり、ガムをかんだりすること
・車内では下を見続けないこと
私の行動パターンはいつも決まっており、車酔いを防ぐための自衛策でもありました。
転院先の病院は広々としており、廊下にある大きな窓から陽の光がさしこんでいたのを覚えています。
柔らかな光とぬくもり……
病院の中で初めて感じた心地よさに、私はしばらくの間浸っていたのです。
父親のベッドは、4人部屋のドア側に位置していました。
自力で体を動かすことができずにいたので、床ずれを防ぐためにも定期的に体の向きを変えてもらう必要がありました。
『お父さんがおむつをつけている…… 』
幼い頃の私には奇妙で理解しがたいものだったのです。
おむつ交換の時、病院のスタッフさんから退室するよう指示されていたのを覚えています。
家族の目にはふれさせたくないという配慮だったかもしれないけれど、その時はつまはじきにされたかのような気がしました。
私の知らない所で、知らない人達によって、父が一方的に身の回りの世話を受けていたこと……
「ひ弱」になった父の姿も、見るに堪えなかったのです。
私は突如とした環境の変化に圧倒されるばかりで、気持ちと理解が追いつかずにいました。
3.家族の闘い
父親が家族とともに、自宅で生活をしていたあの頃。
記憶に残っている光景は全て、当たり前のものではありませんでした。
前提に命が存在し、健康という土台によって支えられていたのです。
脳に損傷をきたすことによって奪われてしまうものは、計り知れません。
植物状態に陥った後も、時間が経てば立つほど回復は難しくなります。
命があること、健康であるということが、いかに尊いものであるのか。
父を通して嫌というほど焼きつけられていたはずでしたが、自分の体にガンが発見されるその時まで、私は気づかなかったのです。
父だけでなく母が背負っていた心労も、安易に想像することがおこがましく思えるほど、深いものでした。
突然、夫が倒れた時、子どもたちを前に母は何を思ったのでしょう。
長引く入院生活に伴う医療費等の負担が、重くのしかかっていた当時。
植物状態からいつ回復するのかわからない父を前に、母は何を感じていたのか……
母は時間を割いて病院を訪れる一方で、子どもたちを抱えながら昼夜働き続けていました。
きっと、考える暇もないほど次から次へと押し寄せてくる現実に、追われ続けていたにちがいありません。
母の口から、疲れたとかしんどいとか、ましてや誰かに助けを求めるような言葉などさえも、耳にしたことがありませんでした。
私も幼いなりに、その時々に思うことがあったはず。
だからといって、体験したことを誰かに話すことも、誰かに聞いてもらいたいと思うこともありませんでした。
私はじっと耐えていたのでしょうか。
耐えるしかなかったのでしょうか。
あの頃、病気と闘い続けていたのは、父だけではありませんでした。
家族みんなが必死だったのです。
あれから30年以上の月日が流れ、少しずつ過去を振り返ることができるようになった今。
私はようやく、子どもの頃の自分に耳を傾けることができるようになり、抱きしめてあげたいと思うようになったのです。
つづく
第1話 人生初の人間ドック
~父親が命を削って遺してくれたメッセージとは~
第2話 その日
~境遇や生死を左右するほどの出来事に遭遇した際に発揮される力とは~
第3話 受け入れがたい現実
~自分について学び始めるようになった背景~
♯良心の呵責〜HSP気質をもつ私の人生史ブログ〜
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