第8話 子ども時代の自分と再会する
🌻 実話を投稿する理由と目的 🌻
🌻 前回までのあらすじ 🌻
7年前に腎臓の異変を指摘された際、亡き父の姿が頭をかすめた。父は、私が6歳の時にくも膜下出血を発症し、植物状態に。奇跡的に回復し、自宅療養に至ったものの、私はハンディキャップをもつ父を受け入れることができず。その矢先に父は帰らぬ人に。心の整理がつかないまま迎えたお通夜の日、私は不思議な現象に遭遇する。
第8話では、子ども時代の自分と再会したことについて綴る(1239文字)
1. 拾骨
拾骨とは火葬後に遺骨を箸で拾い上げ、骨壺に納める儀式です。「箸」を「橋」という言葉にかけて、故人が三途の川を無事に渡ることができるよう、手助けをするという意味合いがあるそうです1)。
遺灰台の上に散らばっていた亡骸は、天井から注がれる柔らかな光の中にありました。
台座を取り囲むようにして立ち並ぶ大人たち。
そのなかに私もいたのです。
『これがお父さんなの?』
焼き出された遺骨を目の当たりにしても、私はすぐに信じることができませんでした。
拾骨の時、母が私にそっと声をかけました。
「お父さんは床ずれをしていたから、普通の人よりも骨の数が少ないの。」
父の床ずれは、骨を深く傷つけてしまうほど深いものだったのでしょうか。
遺灰になったことで傷跡も消え失せたかのように思えたのですが、母の心には見えていたのです。
2. 私の個性
父の葬儀に立ち会うことはショッキングな出来事であったものの、死を受け入れていくための通過儀礼として必要な過程だったと思います。
なぜなら、死別が紛れもない事実であることを突きつけられたからです。
そしてもうひとつ。
父にまつわる記憶を紐解き始めたことで、私は子ども時代の自分に再会することができました。
・圧倒されやすいだけでなく、
・神経が高ぶる場面では感情に飲み込まれやすく、
・感情に飲み込まれると咄嗟に言葉が出にくくなる
このような傾向は「幼少期」に限られたことではなく、成長とともに顔をのぞかせていくことになります。
とはいうものの、自分の特徴について意識できるようになったのは、ついこの間のこと。
私は長い間、自分に対して「扱いにくい」と思ってきました。
なぜなら、ことあるごとに煩わしさを感じていたからです。
けれども、「敏感に反応する」ことや「反応せざるを得なかった自分」に気づくことは、私に恩恵をもたらすことになるのです。
3. 激動の時代
父の命日は、偶然にも私の誕生月にあたります。
その翌年、私は小学5年生になりました。
死別後の数年間、悲しみに打ちひしがれていると思いきや……、私はこれまで以上に社交的になったのです。
友達も一気に増えました。
自然にも恵まれていたため、放課後や休日ともなれば夕日が沈むまで駆けずり回っていたのです。
辛いことがあっても、
・持ち前の好奇心と衝動性を武器に、
・夢中になれる何かを遊びの中に見出し、
・没頭することができました。
私は自分をフル活用しながら、激動の時代を乗り越えようとしていたのだと思います。
なぜ、激動の時代だったのかといえば、理由はわが家の歴史にあります。
父が倒れたことで生活は一変し、母は家族を守るために昼夜働くようになりました。
両親不在の時間が増えた頃から、家では凍りつくような冷たい風が吹き始めたからです。
つづく
引用
1)小さなお葬式,火葬後に拾骨する理由とは?箸渡しの意味から拾骨の作法・注意点を解説,https://www.osohshiki.jp/column/article/2043/