第12回柴又100K開催中止とウルトラマエストロの終了から邪推してみる。
これを受けて、ウルトラマエストロのプロジェクトの終了も決定しました。
しばらくサイトをチェックしていませんでした。
怪我のためウルトラマエストロの達成は現状では難しいから、手が届きそうな目標から、遠い遠い遥か彼方の目標に変化していましたので、がっかりはしなかったけど驚きました。柴又の中止は仕方ないとして、「ウルトラマエストロが終了なの?」という違和感を覚えます。
裏で何があったか邪推してみる
プレスリリースの気になる点を太字にしてみました。
私はこれをヒントに4点を邪推しています。
柴又100kの5月開催の限界
RUNNETの大会レポにあるように、暑さが課題でした。2023年に出場しましたが、気温はそれほどではありませんが、河川敷を走るコースなので遮るものがなく、背中をジリジリ焼かれる(往路は南を背にするし、復路は太陽に向かって走る)ような感覚でした。
対策としては、以下が考えられますが難しいでしょう。
・コースの変更 →14時間以上封鎖できるコースがない
・スタート時刻を早める →始発で出場できるという売りがなくなる
そうなると、開催時期をずらすしかありませんが、次の課題になります。
サロマ、四万十川、沖縄との調整が難航
柴又は5月下旬、サロマは6月下旬、四万十川は10月上旬、沖縄は12月上旬。
雪の影響や夏の暑さを避ける、絶妙な配置となっています。
柴又を7〜9月に配置するのは暑さの問題から論外。そうなると、3〜5月上旬。
ですが、GWに開催は非現実的だし、3〜4月開催は雪国のランナーには調整が難しくなります。
「多岐にわたる関係各所…」という中には、他の3大会と調整を図っていたかと思いますが、柴又の事情で他の大会の日程を変更することは難しかったと思います。
ウルトラランナーの伸び悩み
ウルトラマエストロは2018年の柴又から対象になります。
コロナ禍もあり大会中止を挟みましたが、運営側は123人のマエストロ誕生は、思った以上に伸びなかったのではと。
2010年代は市民ランナーが増加しました。多くはフルマラソンを目指して走っている人たちですが、追い風を受けてウルトラランナーも増加するのではと計算していた。
しかし、2年で4大会という条件をクリアしようと思う人は、思ったほど伸びなかったのではないでしょうか。コンディションの調整が難しいし、まとまった休みを取ることも難しいです。LCCを使っても、4大会に参加することはかなりの金額になります。
2023年の柴又の大きな大会にしては閑散とした印象、2024年のサロマの例年だと秒で定員オーバーになるところが、数日たっても募集を呼び掛けているのが、邪推に拍車をかけますね。
アールビーズ側の大人の事情
ジャパンウルトラマラソンチャレンジシリーズは、RUNNETや雑誌「ランナーズ」でおなじみの、アールビーズの事業の1つです。
4つの大会をコンサルして、運営まで手伝うことはコスパが悪かった。
さらにスポンサーがザムスト1社のみ。柴又やサロマに出場して「スポンサーのテント少ないなあ」と感じました。これではアールビーズの持ち出し分が増えて、早く損切りしたかったのではないかと勘繰ってしまいます。
だって、柴又100kは今年は中止と発表しただけで、2025年はやらないとは言っていません。
もしかすると、内々に終了の旨をアールビーズ側に伝え、プレスリリースで来年の開催の可能性を残しておいた出来レースの可能性は否定できません。
ただ、柴又に変わる大会を探しても、柴又ほどのネームバリュがある大会がないのと、大会規模に限界があったのではないかと思います。
まとめ
最後に、上記の4点のほかにもう1つ、ランナーのマナーについても指摘したいです。
多くはボランティアさんへの感謝の気持ちと、完走できた喜びのコメントであふれていますが、「エイドがしょぼい」「暑い」「宿が取れない」と不満も多いです。
ウルトラマラソンは制限時間+準備と後片付けで長時間拘束されます。
運営するのはかなりの負担です。多くのスポンサーや自治体の協力なしでは、難しいことは容易に推測できます。
正直、大会参加料だけでは出場者の安全面やボランティアの確保、充実したエイドなどは、賄いきれないのではないでしょうか?
大好きだった北オホーツク100㎞もボランティアの確保が難しかったのが一因で大会が終了しています。
「金を払ったんだから」という心構えでは、運営側やボランティアの方たちに対して、大変失礼だと思います。コロナ禍明け、もう一度大会で走ることができる喜びをかみしめ、謙虚に大会に参加すべきだと思うのは私だけでしょうか?
IAUの日本代表選考対象大会であった、柴又の今後が気になるところですが、これからも末永くウルトラマラソンが楽しめる社会であってほしいと思います。