北オホーツク100㎞マラソン大会よ永遠に ~小さな町の大きな挑戦~
2月21日、北オホーツク100㎞マラソンが終了との発表がありました。9回をもって北の小さな町の挑戦が幕を下ろします。
2020年の後夜祭で「来年はオリンピックの年で、ちょうど開会式の時期とかぶりますので、参加者は少ないかもしれませんが、来年もお待ちしています。」とスピーチしていましたが、記念すべき第10回は幻に終わりました。
2022年7月24日、例年であれば北オホが開催される日、浜頓別町に行ってみて、町が様変わりしていたのに驚きました。
「これはコース変更しなければならないなあ、どうするんだろう?」と思っていたので、うすうす覚悟はしていました。
私を成長させてくれた大会
初めてウルトラマラソンに参加し完走した大会。「50㎞の部でもいいから、体が動く限り毎年出よう」「出られないときはボランティアで参加したい」そう思える大会でした。ほかの大会にはない経験をさせてもらったんです。
北オホーツク100㎞マラソンの魅力
RUNNETの大会レポートのコーナーの重複になりますが、
北オホの魅力は、何といっても他の大会にはない温かいおもてなし。
この大会を機に、他のマラソン大会で、給水所では「ありがとう」と声をかけるようになり、余裕があるときは、歩いているランナーに話しかけて、ともに励ましあってゴールを目指しました。
また、ふるさと納税も継続しています。
「返礼品はいらない。北オホの経費に使ってくれ」
という思いで納めています。(ホタテ饅頭をゲットしていますがwww)
これって、他の大会ではありえません。みんなタイムを削るために無言で走ります。同じ完走を目指して走っているのに、タイムを縮めるために互いに蹴落としていくような雰囲気があることもしばしば。
ハーフやフルで北オホのTシャツ来て走っていると、「おっ北オホ!頑張れ!!」と沿道から応援されたり、走っている途中に他のランナーさんから「北オホ出たんですか?」と声をかけられたこともあるくらい、この大会の一体感は他の大会では味わえません。
浜頓別町の人口は約4000人。この大会のボランティアに必要な人数は600人とのことなので、非常に高負担だということが分かります。ちなみに隠岐の島の人口は1.4万人。それなのに、この高評価。すごいことだと思います。
課題は大きかった
ボランティアの数が足りなかったのもありますが、経済効果もあまりなかったのでしょう。参加者が規定人数に満たなかったし、出展した店の売れ行きが思わしくないと町民の方の話を偶然聞いてしまいました。町からの持ち出しも多かったと分析する人もいます。
ツアーのページを見ると、浜頓別町の宿泊施設だけでは足りず、近隣の街の宿も手配しています。移動時間は約1時間。100部屋あればいいほうでしょうから、参加者が多くなると受け皿がありません。
キャンピングカーを使う案もあったようですが、逆に経費がかさみ赤字になると代理店の担当者から聞きました。なので、苦肉の策としてクッチャロ湖のキャンプ場に格安でテントと寝袋を貸し出すパックがありました。そんな状況だから、初めて参加する人たちに宿を譲るため、出走経験者は車中泊をしていました。
参加者が増えれば宿泊の問題が深刻だし、ボランティアの数も今以上に増やさなければならないという、ジレンマを抱えていました。
それに追い打ちをかけたのが、コロナと町民の高齢化。
苦渋の決断だったと思います。
コースは北と南を8の字に走るコース。私は片方を2周する周回コースで負担軽減するでもアリ。50㎞ウルトラマラソンでも実施してほしかったと思います。
それでも深夜から翌日の夜までの長丁場は相当な負担ですから、もう限界だったかもしれません。
最後に、北オホーツク100kmマラソンの10年間と題した漫画がありましたので紹介します。少しで多くの方に、浜頓別町の「小さな町の大きな挑戦」を知ってほしいです。
https://www.slideshare.net/KoichiroOda1/100km10
私も今後大会に出場するときは北オホのTシャツ来て走ります。
大会関係者の皆さん、そして浜頓別町民の皆さん、本当にありがとうございました。