優しさに包まれた幼少期の記憶

こんにちは、大浦優斗です。
今日は、僕が生まれてから幼少期を過ごした日々について、少し振り返ってみたいと思います。

誕生と祖父母との暮らし

1990年10月25日、新潟市内の病院で僕はこの世に生を受けました。
「優しくて強い男になってほしい」という両親の願いから、「優斗」という名前がつけられたそうです。
この名前には、今でも深い愛情を感じています。

ただ、両親は共働きでとても忙しかったため、僕が産まれてから1年半ほどは母親の実家で祖父母に育てられることになりました。
この時期の記憶はあまり定かではありませんが、祖父母の優しさと愛情が今でも心に刻まれています。
美味しいご飯を毎日作ってくれたり、たくさんの場所に連れて行ってもらったり、何不自由なく過ごさせてもらいました。
幼い僕にとって、祖父母はまさに「特別な存在」だったんです。

長岡市での生活と空手との出会い

2歳になる頃、家族は長岡市に移り住み、両親の元で暮らし始めました。
両親は厳しさの中にも優しさを持ち、愛情をもって僕を育ててくれました。
ただ、幼い頃の僕は気が弱く、誰かに何かをされてもやり返すことができない性格でした。
そんな僕を見た両親は「やられたらやり返せ!」と教えてくれたのですが、怖くてできませんでした(笑)。

そんな中、5歳の時に伝統派空手を習い始めます。
これは、僕が少しでも強くなれるようにと両親が決めてくれたことでした。
空手を始めたことで、自分に少しずつ自信が芽生え、体だけでなく心も強くなれる感覚がありました。

空手と格闘技に魅せられた小学生時代

小学校3年生の時、伝統派空手を辞めて極真空手に転向しました。
これは「自分の求めている空手と違う」と感じたからでした。
その頃から、父が趣味でやっていたキックボクシングにも興味を持ち始め、父の仲間たちの指導を受けながら、格闘技にどんどんのめり込んでいきました。

父は送り迎えもしてくれるほど熱心で、僕が何かを挑戦するときは全力でサポートしてくれる存在でした。
また、「一芸を持て」「人と同じことをするな」という父の教えを受け、小学生の自由研究では「腕立て伏せ100回」「ヌンチャク」「板割り」「バット折り」といったユニークな課題に取り組んだのも、今ではいい思い出です。

格闘技で育まれた向上心

極真空手では県大会で優勝し、全国大会にも2度出場しました。
しかし、どちらも1回戦負け。
しかも1回は女の子に中段蹴りで倒され、立ち上がることができなかったことを今でも覚えています。この悔しさが僕の心に火をつけ、「もっと強くなりたい」「全国で勝ちたい」という強い向上心を持つきっかけになりました。

こうして振り返ってみると、僕の原点には常に家族、特に祖父母や父の支えがありました。その愛情と応援があったからこそ、今の自分がいるのだと改めて感じています。
次回は、中学でボクシングを始めた頃の話をお届けします!

いいなと思ったら応援しよう!