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ハリム国際空港の歴史

こんにちは。
今日のテーマは、ハリム国際空港の歴史についてです。  

ハリム国際空港はコンパクトかつ、ジャカルタやチカランからのアクセスが良いので、私のお気に入り空港の一つです。今回は、ハリム国際空港の歴史を以下にまとめました。

①植民地時代からの発展(1924年〜1950年)
②軍民共用空港への転換(1952年〜1985年)
③第二の空港としての役割(1985年〜現在)



①植民地時代からの発展(1924年〜1950年)
 ハリム国際空港の起源は、17世紀にさかのぼります。当時オランダ人の個人所有地だったチリリタン地区が飛行場として使用され始めました。1924年には、オランダ東インド会社によるアムステルダムからの飛行機が初めて国際線として着陸し、チリリタン空港として正式に運用が開始されました。この時期、空港は主にオランダの植民地支配のための軍事・行政目的で使用されていました。第二次世界大戦中は日本軍に接収されましたが、1945年のインドネシア独立宣言後、一時的に連合国軍に管理されました。1950年にインドネシアに正式に返還され、新生インドネシアの重要な航空拠点としての役割を担い始めました。



②軍民共用空港への転換(1952年〜1985年)
 1952年、空港はインドネシアの国家英雄であるアブドゥル・ハリム・プルダナクスマ空軍少将の名を冠して、ハリム・プルダナクスマ空軍基地と改名されました。この時期、空港は主に軍事目的で使用されていましたが、徐々に民間航空の需要も増加していきました。1974年には、ハリム・プルダナクスマ国際空港として正式に民間にも開放され、軍民共用の国際空港となりました。1970年代後半から1980年代前半にかけて、年間旅客数は約100万人に達し、ジャカルタの主要な国際空港として機能しました。しかし、急増する航空需要に対応するため、より大規模な新空港の建設が計画されることとなりました。



③第二の空港としての役割(1985年〜現在)
 1985年にスカルノ・ハッタ国際空港が開港し、ジャカルタの主要空港の座を譲りました。しかし、ハリム空港は軍事目的や政府専用機、VIPチャーター便の発着地として重要な役割を継続して果たしています。2000年代後半からは、スカルノ・ハッタ空港の混雑緩和策として再び民間航空にも開放されるようになりました。2014年には国内線の運航が再開され、2016年には国際線の受け入れも開始しました。現在、年間約500万人の旅客を扱う能力を持ち、ジャカルタ中心部からのアクセスの良さや、コンパクトな施設による利便性が評価されています。また、空港内には歴史を伝える記念碑や写真展示があり、インドネシア航空史を学べる「生きた博物館」としての一面も持っています。


以上です。それでは皆さん良い一日を。

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