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インドネシアとパレスチナの歴史
こんにちは。
今日のテーマは、インドネシアとパレスチナの歴史についてです。
インドネシアとパレスチナの歴史について、以下にまとめました。
①独立期からの相互支援(1940年代〜1960年代)
②国際舞台での支援強化(1970年代〜2000年代)
③直接的な人道支援の拡大(2010年代〜現在)
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①独立期からの相互支援(1940年代〜1960年代)
インドネシアとパレスチナの関係は、両国の独立闘争の時代にまで遡ります。1944年、パレスチナのシェイク・ムハンマド・アミン・アル・フサイニと富豪のムハンマド・アリ・タヘルが、インドネシアの独立を支持する声明を発表しました。アリ・タヘルは1944年のラジオ放送で「インドネシアの闘争を勝利に導くために私の全財産を受け取ってください」と述べ、具体的な支援を表明しました。インドネシアが1945年に独立を宣言した後は、今度はインドネシアがパレスチナの独立を支持する立場に回りました。1948年にイスラエルが建国を宣言した際、インドネシアはイスラエルを国家として承認せず、外交関係も樹立しませんでした。この時期の支援は主に政治的なものでしたが、1957年には文化的な側面も見られました。インドネシアはワールドカップ予選でイスラエルとの試合を拒否し、中立地での国歌なしの試合開催を要求しましたが、FIFAに拒否されてワールドカップ出場を断念しています。
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②国際舞台での支援強化(1970年代〜2000年代)
この時期、インドネシアは国際舞台でパレスチナ支援を強化しました。国連安全保障理事会決議242号(1967年)、338号(1973年)、アラブ平和イニシアチブ(2002年)、ロードマップ(2003年)、アナポリス枠組み(2007年)など、パレスチナ問題解決のための国際的な取り組みを支持しました。インドネシアは、東エルサレムを首都とする自由で独立したパレスチナ国家の樹立を一貫して支持し、ファタハとハマスなどのパレスチナ内部の和解も支援しました。また、アジア太平洋地域内の戦略的パートナーシップ枠組み(NAASP)を通じて、パレスチナの独立に向けた能力構築プログラムも実施しました。この時期の支援は、政治的支援だけでなく、実質的な援助も含まれるようになりました。例えば、インドネシア政府はガザ北部のアル・ラヤン総合病院の建設に200万ドルの支援を行いました。
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③直接的な人道支援の拡大(2010年代〜現在)
近年、インドネシアはガザへの直接的な人道支援を拡大しています。2024年4月には、インドネシア空軍のC130J輸送機がヨルダンと協力して、ガザに直接空からの物資投下に成功しました。この作戦では、160kgの援助パッケット20個がガザに投下されました。この支援は、プラボウォ・スビアント国防相とヨルダンのアブドゥッラー2世国王との外交努力の結果実現しました。インドネシアは、ヨルダンとの「永遠の友好関係」を認識し、中東の平和と二国間協力の促進に取り組んでいます。また、インドネシア国内でも、宗教や思想の垣根を越えてパレスチナ支援の動きが広がっています。2024年には、数百人のインドネシア人ムスリムがラマダン月の終わりにパレスチナ支援の連帯を示しました。これらの支援活動は、インドネシア政府の方針に対する国民の強い支持を反映しており、今後もインドネシアがパレスチナ支援においてより強力な役割を果たすことが期待されています。
以上です。それでは皆さん良い一日を。