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【インドネシア】スリウィジャヤ王国の歴史

こんにちは。
今日のテーマは、スリウィジャヤ王国の歴史についてです。  

スリウィジャヤといえばSriwijaya航空を思い浮かべますが、歴史を辿るとスリウィジャヤ王国があったと知り、今回はスリウィジャヤ王国の歴史をまとめました。
①王国の設立と初期発展(7世紀〜8世紀)
②黄金時代(8世紀〜9世紀)
③衰退と崩壊(11世紀〜13世紀)



①王国の設立と初期発展(7世紀〜8324649世紀)
 スリウィジャヤ王国は、682年にダプンタ・ヒャン・スリ・ジャヤナサによって正式に設立されました。王国名の「スリウィジャヤ」は、「スリ」(光)と「ウィジャヤ」(輝かしい勝利)を組み合わせたもので、王国の栄光を表しています。設立初期、スリウィジャヤは戦略的に重要な地域を支配するための遠征を行いました。686年に発見されたコタ碑文によると、スリウィジャヤはすでにスマトラ南部からランプンまでの広大な地域を征服していました。この時期、スリウィジャヤは海洋貿易の要衝であるマラッカ海峡の支配を確立し、中国とインドを結ぶ重要な交易路を掌握しました。これにより、王国の経済的基盤が築かれ、後の繁栄への道が開かれました。




②黄金時代(8世紀〜9世紀)
 スリウィジャヤの最盛期は8世紀から9世紀にかけて、特にバラプトラデワ王(850年頃)の治世下で訪れました。この時期、王国の支配領域はマレーシア、シンガポール、タイ南部にまで及びました。バラプトラデワ王の下で、スリウィジャヤは強力な海軍力を持つ海洋国家として知られるようになりました。経済面では、スリウィジャヤは多様な交易品を扱っていました。沈香、ナツメグ、クローブ、樟脳、象牙、カルダモン、金、錫などが主な交易品でした。これらの豊富な資源と戦略的な位置により、スリウィジャヤは東南アジア全域の属国から信頼を得ていました。




③衰退と崩壊(11世紀〜13世紀)
 11世紀以降、スリウィジャヤの力は徐々に衰えていきました。競合する港湾都市の台頭や、他の強国からの圧力が原因でした。スリウィジャヤは競合する港を攻撃し、支配下に置くことで優位性を維持しようとしました。しかし、この戦略は長期的には持続不可能でした。最終的に、13世紀にジャワのシンガサリ王国の攻撃を受け、スリウィジャヤ王国は崩壊しました。この出来事は、東南アジアにおけるスリウィジャヤの長年にわたる海洋支配の終焉を意味しました。スリウィジャヤ王国の歴史は、戦略的な地理的位置、強力な海軍力、そして巧みな外交政策が、いかに一つの王国を地域の超大国へと押し上げることができるかを示しています。同時に、その衰退は、変化する地域の力学に適応することの難しさを物語っています。

以上です。それでは皆さん良い一日を。

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