【インドネシア】パプア地方の歴史
こんにちは。
今日のテーマは、パプア地方の歴史についてです。
インドネシア在住時、パプア地方は不用意に近づくなと言われていた地方です。
ここでは先住民族の独立運動などが今だにあり、いわゆる危険地域です。
今回はそんなパプア地方の歴史を以下にまとめました。
①先史時代から植民地時代初期
②植民地時代から第二次世界大戦
③インドネシア併合と独立運動
①先史時代から植民地時代初期
パプア地方には約5万年前から人類が居住していたと考えられています。紀元前7000年頃から独自の農業が発展し、タロイモなどの作物が栽培されていました。16世紀初頭にヨーロッパ人によって「発見」されるまで、パプア地方は独自の文化を発展させてきました。1512年、ポルトガルの探検家がこの地域を訪れ、その後オランダ人がニューギニアと命名しました。しかし、19世紀後半まで、ヨーロッパ人のパプア地方への関与は限定的でした。この時期、約800の部族が存在し、同数の言語が話されるという世界でも稀な多様性を維持していました。
②植民地時代から第二次世界大戦
1828年にニューギニア島が東西に分割され、1848年に西半分をオランダが併合しました。オランダは主に沿岸部を支配し、内陸部には深く入り込みませんでした。この時期、宣教師や貿易商の影響により、伝統的な文化が徐々に変容していきました。第二次世界大戦中、パプア地方の一部が日本軍に占領され、連合軍との激しい戦闘が繰り広げられました。この戦争の痕跡は、マダンやラバウルの近くの海底に撃沈された戦艦や撃墜された航空機として今も残っています。
③インドネシア併合と独立運動
1962年、オランダはパプア地方の支配権をインドネシアに移譲しました。1969年に「自由選択法」と呼ばれる住民投票が実施され、インドネシアへの併合が決定しましたが、この投票の正当性には疑問が呈されています。併合後、インドネシア政府は「移住政策」を実施し、他地域からの移民を奨励しました。これにより、パプア人の人口比率が低下し、2010年の時点で全人口の約360万人のうち、パプア人は約48%まで減少しました。この間、パプア独立派による分離独立運動が続いており、インドネシア政府との対立が続いています。2001年には特別自治法が制定されましたが、独立を求める声は依然として強く、現在も東南アジアにおける最大の紛争の一つとなっています。
以上です。それでは皆さん良い一日を。