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インドネシアにおける印僑の歴史

こんにちは。
今日のテーマは、インドネシアにおける印僑の歴史についてです。

印僑の歴史を以下にまとめました。
①植民地時代の移住(19世紀末〜1940年代)
②独立後の変動期(1945年〜1960年代)
③ 現代の印僑社会(1970年代〜現在)



①植民地時代の移住(19世紀末〜1940年代)
 19世紀末から20世紀初頭にかけて、オランダ領東インド(現インドネシア)へのインド人移民が増加しました。この時期、約10万人のインド人がインドネシアに移住したと推定されています。主な移住理由は、プランテーション労働者としての需要と、商業機会の拡大でした。特に、スマトラ島の東海岸地域では、タバコやゴムのプランテーションで多くのインド人労働者が雇用されました。1930年の統計によると、スマトラ東海岸だけで約3万人のインド人が居住していたとされています。また、商人としてのインド人も多く、特にシンド人やグジャラート人が繊維貿易で成功を収めました。ジャワ島の主要都市では、インド人商人が経営する織物店が繁盛し、1920年代には約500店舗が存在したという記録があります。


②独立後の変動期(1945年〜1960年代)
 インドネシア独立後、多くのインド人が帰国または他国へ移住しました。1950年代初頭には、インドネシアのインド人人口は約4万人まで減少したと推定されています。この時期、インドネシア政府の「国民経済」政策により、外国人の経済活動が制限されました。特に1959年の大統領令第10号は、農村部での外国人の小売業を禁止し、多くのインド人商人に影響を与えました。一方で、インド・インドネシア関係の強化により、新たな形での印僑の活躍も見られました。例えば、1950年代には約200人のインド人教師がインドネシアの学校で教鞭を取りました。また、医療分野でもインド人医師の貢献が見られ、1960年代には約100人のインド人医師がインドネシアで働いていたとされています。


③ 現代の印僑社会(1970年代〜現在)
 1970年代以降、インドネシアの経済発展に伴い、印僑社会も変化しました。現在、インドネシアのインド人人口は約12万5000人と推定されており、その多くがジャカルタやメダンなどの大都市に集中しています。現代の印僑は、IT、製造業、貿易など多様な分野で活躍しています。特に、インド系IT企業のインドネシア進出が目立ち、2010年代には約50社のインド系IT企業がインドネシアで事業を展開しています。また、文化面での貢献も大きく、インドネシア全土で約50のインド文化センターが運営されています。これらのセンターでは、ヨガ、古典舞踊、料理教室などが開かれ、年間約1万人のインドネシア人が参加しているとされます。さらに、教育分野でも印僑の存在感が高まっており、ジャカルタだけで5つのインド系インターナショナルスクールが運営され、インドネシア人生徒も多く受け入れています。これらの学校には合計で約3000人の生徒が在籍しており、インド・インドネシア間の文化交流の場となっています。

以上です。それでは皆さん良い一日を。

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