『浮世の有様』 御蔭耳目第一
『浮世の有様』という文献は、文化三年から弘化三年にかけての見聞録なのだそうです。以前しりとり歌について調べていた時に見つけて、いつか内容を書き起こしてみようと思っていました。ようやくそれが進んだので、記録も兼ねての投稿です。果たしてnoteとして使い方があっているのか。
しりとり歌とはその名の通り、歌になっているしりとりです。昨今のいわゆるしりとりと違って単語ではなく七五調の文で作られています。口ずさむといい感じのリズム。江戸に作られ明治あたりで流行った、、、らしいです。魔除け効果もあるとか。信じるか信じないかは以下略。
『牡丹に唐獅子』や『はじめましょ』から始まるのが有名ですが、今回のは伊勢参りに関するしりとり歌です。()の中は文献に書かれていたふりがなで、*が付いてるのは後ろにちょこっと解説もどきがあります。割と分かりやすい内容なので、江戸の頃における伊勢参りの大変さなど感じ取れるかも。
国立国会図書館デジタルコレクションの資料をがっつり使いますが、著作権保護期間満了のものと確認済みです。以下出典。
国立国会図書館ウェブサイト https://dl.ndl.go.jp/pid/948828/1/170
浮世の有様 1(巻1−2) (国史叢書) コマ番号170
最終閲覧2024/04/01
戯れに御蔭参り*の様を云へる後附のしやれごと
御蔭の始め寅の春*
春過夏来秋迄も
でも仰山なる伊勢参り
参る手毎に笠と杓*
癪も疝気も厭いなく
泣く子を背(せな)に結ひ付けて
手を引く兄の鼻垂れ子
こけてだだふむ屎(はば)をふむ
ふむ土(ち)やみたらしの施行*團子
これ喰つてなくなも御蔭にて
手ん手に貰ふ嬉し顔
顔美(よ)き女にたんとやる
やる施しは浮氣にて
手柄面(づら)する堂島は
食(まま)で魚(とと)つる下心
ろくな施行と思はれず
酢につけ名と利を貪るは
分かりにけりな道しるべ
へたなる文に現はれて
でも馬なるか鹿なるか
蛙の口*の浅ましく
くれる施行にふる杓の
のらも澤山*有れば有り
物の哀を知る人は
僅のことと思ふべし
人の施し當にして
飛んで火に入る*拔参り*
参りがけから飢ゑ疲れ
勞れて*迷ふ六つの道
地蔵の世話やき絶えてなし
死ぬも死なぬも病み臥して
寺から里へ宿送り
送られて行く其中に
二世も三世も引著(ひつつ)いて
鐵梃(てこ)でも離れぬ病あり
理屈の外なる戀の道
道々人に笑はれて
天下に高き不正事
是にてこりよと神の罰
罰ぢや御受がなかりしと
とりどり譏る*人の口
口は防げぬ物なれば
馬鹿も爰ら*で置くがよし
*1「御陰参り」
江戸時代に起こった群衆による伊勢神宮参拝のこと 由来は天照大御神のおかげ様で参拝を果たせる、おかげ様で平穏であるなど諸説ある
*2「御蔭の始め寅の春」
資料の前後の文脈から、文政十三年/天保元年(1830年)のことだと思われる。
伊勢神宮の御遷宮があった翌年を御蔭年という。文政十二年(1829年)に式年遷宮があったため、次の年である文政十三年が御蔭年で、その年の干支は庚寅。(https://saigyo.org/saigyo/html/sengu.html)
*3「笠と杓」
おそらく伊勢参りの代表的な持ち物
杓を持っていることで道中施行を受けることが出来た。歌川広重の『伊勢参宮 宮川の渡し』を見ると、通行人が笠を被っている様子と左下の男が杓を持っているのが分かる。
*4「施行」
せぎょう 仏教語で施し行うこと、僧侶や乞食などに物を施し与えること。
施行を与えた者は全行によって徳を積むことができると言う考えから、伊勢参りに向かう人に食べ物や寝床を提供する者はそれなりの数が居たらしい。
*5「蛙の口」
“蛙は口ゆえ蛇に吞まるる”(黙っていればいいのにつまらぬことを言ったために身を滅ぼすことのたとえ)からだとしたら、余計な言葉のこと。
*6「澤山」
たくさんの意味 江戸時代に多く女性が用いた語(goo辞書より)。
*7「飛んで火に入る」
飛んで火に入る夏の虫からだと思われる。気がつかずに自ら進んで危険や災難の中に飛び込んでいくことのたとえで、伊勢参りが非常に困難な旅であったことを言っているのではないか。
*8「拔参り」
親や主人の許しを受けずに往来手形なしで伊勢参りに行くこと。江戸時代に流行し、黙認された。
*9「勞」
労の旧字体 いたわれて
*10「譏る」
そしる
*11「爰ら」
ここら
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江戸しりとり歌は大好きだから、せっかくなら暗記したいところ。もっと文献ください。
乱文失礼いたしました。とっぴんぱらりのぷう。