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結婚するということ

私の人生には起こり得ないことだと思っていた。
ただ、漠然と思っていた。

ドラマのようであるが、やはりソレは突然訪れるもので。
私は、大安一粒万倍日のよき日に入籍をした。

『結婚するということ』
ある人にとってはお嫁さんにしてもらうこと。
家庭に入って夫を支えること。
家族のために家の仕事をすること。
自分の社会的地位を守ること。
市場から出ること。

今ではたくさんの結婚のカタチがあり、つまりは結婚というカタチは無い。

高校生の頃から女性のために働きたいと意気込んでいて、思えばあの頃からフェミニストであったのだろう。男らしさと女らしさを考えたり、男女の扱い違いにうんざりしたり。
随分と女の子として可愛がられてきた反動だろうか。「女のクセに」と言われるのも「女なのに」も「女なんだから」も嫌いだ。「女の子なんだから」と甘やかされることさえも、私にとっては嬉しいことではないのだ。

結婚が女の幸せだと言う人がまだまだ多いこの世界で、私は頑なになっていたのかもしれない。ガンガン働いて、誰かしらのロールモデルにと意気込んでいたのだ。そこには結婚のケの字もないと思っていた。

人生とは本当に、思いがけないことばかりだ。

両親も私が結婚するとは思ってもみなかっただろうに。とてもとても、それはもうとても喜んでいる。
プロポーズを受けたと報告すると「明日にでも籍を入れろ」「もう早く一緒に住んじゃいなさい」「逃げられるぞ」と愛娘への言葉なのか?と思う程だった。
これが、織笠家である。
そして私が彼と実家に帰った時には、あまりにも私がニコニコ幸せそうにいちゃついている(つもりは無かった全く!)ため、おかしくて堪らなかったそうだ。

親でも驚く私の結婚がふと目の前に現れたこともあり、よく中高生が「付き合うってなに?」となるのと同じように「え、結婚ってなに?」となっていた私は、少し考えることにした。(プロポーズは、ありがたく、本当にありがたく、すぐに受けたんです!)

できるだけ、長く一緒にいたい。よく食べて、よく笑ってよく寝る。そんな日々を、生活を一緒に重ねていきたいと思ったのだ。そして私が考えた『結婚するということ』は、家族になることだった。

大学進学時から実家を離れており、もう10年にもなる。それぐらい離れて暮らしていても絶対にいつでも私の味方で、いつまでもふざけた話ばかりして、うちはそんな家族だ。

できるだけ揃ってはんを食べよう、今日はどんなことがあったか話そうと子供の頃から食事はわいわいしていた。反抗期の時は違ったかも、自覚はない。

すっかり大人になった今でも、広い家のはずなのに、寝るまでみんなでリビングにいたり、ソファで陣地合戦をしたり。
年子の弟とはゲームでレアが当たれば報告し合ったり、飲んだ日本酒を連絡したり、実家に帰れば一緒になって物陰から母を驚かせたり。本当に年甲斐もなくワルガキをしている。

それが私の家族だ。

いつまでも子供だと思っている私は、両親からしたらもう大人でずっとこどもだ。彼の前でずっと子供みたいな私は、しっかり自立しているように映っているらしい。

それにしても、私はどうして周りからちゃんとした大人に見えているんだ。こんなにちゃらんぽらん、やりたい放題自由人なのに。

ご機嫌で、自由で、いつまでもガキンチョでいたい。
それでいて精神的に、経済的に、自立していたい。
そんな理想の私でいられる人に囲まれて生きていくことが、私にとってのしあわせで。そのいちばん近くにいてくれる人たちが、家族であって欲しい。

『結婚するということ』
それはやはり、家族になることだと思うのだ。

私は今日から彼と家族になるのだ。
これまで私が家族から受け取ってきた愛を、たくさんの愛を。今日から私と家族になるあなたへ、たんと渡していこう。

なんて恥ずかしいことを書いているのも彼は知らないのだ!たぶん。ここに永遠に残しておこうじゃないか。

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