捕まえられない本質の尻尾
最近、本質とは、とよく考えます。
わたしの本質とは、
今目の前にいるこの人の本質とは、
あれやこれやの物事の本質とは、
向き合ってみるんだけど、いまいちよくわからん。
わかったような気になることもあるけど、
でも多分一番求めてるそのなにかについての本質とやらは、
やはり分かることできてないんだよね。
なんでこんなに本質、という言葉に置き換えた、ずばり本当のことっていうのを体をカピカピにさせながら求めちゃんうんだろうって考えてみたら、
多分シンプルに怖いんだよね、
わからないっていうこと自体が。
宇宙や、生きることそのもの、自分の体のこと、
頭の中のこと、誰かとの関係性、
植物の感じている世界や、
動物同士のコミュニケーションのこととか、
言葉を武器にしても、立ち向かいきれない世界があまりに膨大で、怖いのね。
一日24時間、この体一つじゃ、受け止めきれない世界の大きさなのよね。
そうやってずっと悩んだりしておりましたけども、
何だか最近は少し楽になってきたように感じてる。
年齢かな。それか経験値上がったからかな。
思春期を終えるということは、人類(大きく出過ぎた、私のような感性尖り人間)にとって、
非常に面白いターニングポイントだったりするのかもしれない。
失くすものと、引き換えに手にしたもの、
前の方が良かったとか言い切れないし、
今の方がいいとも、自分に対して無責任な気がして言いたくないし、
どちらが良いとか悪いではなくて、
ただ単純に、変化、というもののモヤの中に今私が行く宛もなくうろついているってことに、
そこに本質なんてものはないのかもしれないなと、思いました。
曖昧なままでいいこと、その方が趣があって可愛らしいこと、沢山あるね。
周りと対等で、ざっくりと自分を好きでいられるような環境を目指したい。
そこにある本質に目を凝らしても、ほんと肩凝るだけの時あるわ。
大事なことは、もっとふわっとしてていいのかもしれない。
それくらいの方がよっぽど大事にできるのかも。
何だか書きたくなって、寝る前にパタパタとフリックしてちょっと満足。
多分このまま眠ります。
おやすみなさい。