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もう失敗したくない!私の『引っ越し成功術2024』―実体験から学ぶコツ

私の人生の数パーセントは、引っ越しでできている

2024年5月も終わりに差し掛かった頃。私は夕食後の読書を楽しんでいたのですが、軽い気持ちで読み始めた小説の冒頭数ページに、すっかり見入ってしまいました。

それは、春、東京の大学に進学する主人公が、地元の高知県から母親と一緒に上京し、新しいアパートでの生活を始めるシーンです。

炊飯器だトースターだ鍋だベッドだと、あらゆるものが次々と運びこまれた。できあいカーテンを買ってきて取りつけ、ガーガーと掃除機をかけた。母親が毎朝、駅まえの銀行にいって、カードで5万10万と引きだしてくるのを、ぼくはただただ感謝にみちて眺めていた。

氷室冴子「海がきこえる」9ページより

このシーンを読んだ時、昔の自分の姿と重なりました。私も高校卒業後、大学進学のため地元から東京へ出ていった一人だからです。

人間の体に構成要素があるように、私を形作る目に見えない要素があるなら、間違いなく、その中に「引っ越し」が含まれています。

私は小さい頃からよく引っ越しをしました。理由は、銀行員である父親の仕事の都合、いわゆる「転勤族」だったからです。特に小学校に上がるまでは、幾つもの都道府県に住みました。

家族での最後の大移動は、小学2年生の夏でした。この時、「地元」となる中部地方の県に引っ越しました。

ここで父親の仕事の状況が変わり、転勤族生活も終了しました。しかしその後も、同じ校区内で何度か引っ越し、最終的に今の「実家」となる家に落ち着いたのは小学6年の秋でした。その頃までに、私の記憶では、10カ所ほどの家に住みました。

子ども時代にそれだけの引っ越しをしてきたので、引っ越しは人生の一部であり、家は変わって当然。こんな意識が私の中に刻まれていました。

そして、高校を卒業した私は、小説の主人公のように、大学進学のため東京で1人暮らしを始めました。

母と東京へ行き、大学の入学手続きをした日のことは、今でもよく覚えています。

母が銀行のATMから下ろしてきたお金は、その当時でも今でも、なかなか見ないような額のお札の束でした。
それが次々と現れては、入学金、学費、新生活の家賃、敷金、礼金、そして生活用品へと姿を変えていきました。この時ばかりは、親に本当に感謝しました。

当時は、通学のしやすさを第一に考え、大学の最寄り駅のそばに住みました。さらに、安全であることにもこだわりました。駅から明るく広い道で帰れること、町の雰囲気にも気を配りました。

キャンパスが変わったため、大学3年になる時にも引っ越しましたが、女性限定のアパートに住み、隣に大家さんご夫婦もいて安心できる場所でした。

部屋はずっとワンルームで、家賃は親の仕送りのおかげで気にしませんでした。今振り返ってみても、ありがたいことです。

当時の部屋の家具は、母の勧めでほとんど無印良品でそろえていました。

無印良品のシンプルなデザインは、ピンクや花柄が好きだった私(ちなみに今も好きです)にとって、大人の階段を上るような洗練されたイメージでした。本棚と机は木目調のもので、衣装ケースはポリプロピレン製でした。

中でも一番のお気に入りはソファベッドでした。結局、ソファとして使ったのはわずか数回でしたが、「いざとなったらベッドにもソファにもなる」という心の余裕が、狭いワンルーム生活でもささやかな自慢でした。

無印良品公式ホームページより リクライニングソファベッド こんな感じのソファベッドが、私の大学生活の部屋をおしゃれにしてくれました

数年後、地元に帰る時にそのソファベッドは処分しましたが、本棚と机は随分先まで使いました。衣装ケースは使い勝手が良いため、今も買い足して使っています。

この家と部屋は、私の大学4年間を支えてくれました。

でも、最も感謝すべきは、やはり親でしょう。
金銭面をはじめ、親が全面的にサポートしてくれたおかげで、私は大学4年間、学業に専念しつつ、楽しい学生生活を送ることができました。大学での学びは、そのまま自分の仕事にもなり、今でも連絡を取り合う大学時代の友人がいます。

全ては親の支えがあってこその大学生活でした。親のサポートのもと、いい引っ越しができたおかげで、今の私がいるのです。

    *     *     *

社会人になってからも、引っ越しは私の人生の一部でした。

東京から地元へ戻るための引っ越し、結婚のための引っ越し、県内での引っ越し、海外への引っ越し、そして海外から帰国するための引っ越しと、さまざまな引っ越しを経験しました。

子ども時代の親に全面的に支えられた引っ越しとは異なり、ここからは自分のお金と力での引っ越しでした。

そして、2024年6月、私は再び引っ越します。今回は地元の中部地方から関東地方へ移る予定です。理由は半分家族の都合、半分は自分の希望です。

今回の引っ越しの始まりは、2023年夏でした。家族と話し合い、今後のことも見据えて、「2025年までには引っ越そう」と決めました。2023年秋ごろから何カ所か下見に行き、約半年後の2024年2月には、関東のある都市に引っ越すことを決めました。

今回の引っ越しは、私の引っ越し人生で磨き上げてきた「引っ越し成功術」の結集でした。この成功術というのは、今までの引っ越しの中で、苦い経験や痛い失敗を繰り返して、何とか培ってきた護身術でもあります。

ここからは、これまでの引っ越しの経験と、2024年6月の引っ越しで、私がどのような引っ越し成功術を使ったかをご紹介します。

これが私の「引っ越し成功術」!理想の住まいを見つける3つの秘訣

私が引っ越し経験から得た成功術は、以下の3つです。

・エリア決めは、自分の目で周囲を見て歩き、「ここに住みたい!」と思う感覚を大切にする。
・家探しでは、自分の優先順位を明確にする。
・自分にとって心地よい、自分らしい部屋づくりを心がける。

この3つの成功術によって、「住みたいエリア」に「帰りたい家」を見つけ、「心地よい部屋」に引っ越すことができるのです。

これらの成功術は、これまでの引っ越し経験から学んだものであり、時には痛みを伴い、苦い思い出となって心に残っていますが、忘れられない教訓でもあります。

初めての海外で、引っ越しでエリア選びに失敗した話

最初に考えるべきは、住みたいエリアの選び方です。

エリアとは県や市だけでなく、町や家の周り、通りなども含めて、指しています。家の周囲を歩いた時の雰囲気、道の広さ、駅から家までの感じ、街路樹の様子、信号待ちの際に見える建物、駐車場の車の雰囲気など、目にするものや耳にする音、肌で感じることのすべてが重要です。家そのものだけでなく、広い視野で感じることが大切です。

このことを学んだのは、初めて海外に引っ越した時でした。

初めての海外生活で不安が大きく、知人の家に一時滞在していたため、日数が限られており、早く決めたいと焦っていました。あるご夫婦が家探しを手伝ってくれることになり、そのご厚意には感謝していますが、焦りが強まり、結果的に自分の首を絞めることになりました。

不動産屋はご夫婦を通じて紹介され、物件もそのご夫婦の家に近いエリアでした。候補の物件はどれも気が進まず、エリアも自分の好みとは違いました。安全面はギリギリ合格でしたが、にぎやか過ぎて、人通りも多い場所でした。私はもっと落ち着いた場所を望んでいましたが、手伝ってもらっていることに遠慮して他のエリアを探しませんでした。

そして、その遠慮と不安を抱えたまま、物件を契約しました。結果は案の定、残念なものでした。

集合住宅の雰囲気は暗く、好きではありませんでした。町はにぎやかでしたが、必要な買い物をする場所が近くになく、何をするにも時間がかかる不便な場所でした。

後から考えると、ご夫婦もその国に来てまだ半年で、住宅事情に十分慣れていませんでした。彼らに任せたことは負担だったと思います。
そのご夫婦は、自分たちと同じエリアで、同じ不動産屋を紹介しましたが、生活スタイルや価値観が全く異なりました。彼らは経済的に余裕があり、家賃も高めの設定、必要なものはネットショップで購入するタイプでした。一方、私は低予算の家賃を希望し、生活必需品も自分で買いに行くタイプでした。

生活スタイルが全く違うにもかかわらず、同じようなエリアで探したため、納得のいかない引っ越しになってしまいました。

この経験から、エリア選びの重要性を学びました。「ここに住みたい」「ここなら住める」と感じることが、自分の幸福度に大きな影響を与えるのです。

幸い、この時は仕事の都合で半年で引っ越すことになったのですが、この半年は一日一日が長く、つらい日々でした。

その後、人目を気にせず、焦らずに自分の成功術を信じ、納得いくまでエリア探しをすることにしました。その結果、住みたいエリアを見つけ、親切な不動産屋にも出会い、快適な家に住むことができました。

その後、同じ都市内で2回引っ越し、帰国後も引っ越しをしましたが、エリア探しに失敗したことはありません。最初の半年はつらかったですが、その後の成功を考えると、この経験は非常に価値のあるものでした。

新婚時代に優先順位が曖昧で家選びに失敗した話

次に重要なのは、自分が「帰りたい」と思える家を選ぶことです。

結婚したばかりの頃、家選びに失敗した苦い思い出がありますが、この経験が引っ越し成功術を学ぶきっかけとなりました。

新婚当時に引っ越したアパートは全く好みではありませんでした。家賃と地域だけを優先し、他の条件を無視して選んだため、問題の多い家に住むことになりました。

特に問題だったのは、近隣トラブルです。隣の住人がいわゆる「クレーマー」で、何かにつけて怒鳴られました。

さらに問題を大きくしたのは、集合住宅の玄関の配置です。私が帰るためには、クレーマーの玄関の前を必ず通らなければなりませんでした。その人はいつも玄関前を水浸しにしていて、私はその場所を避けることもできませんでした。私が前を通る時、急にドアから顔を出しては、「玄関のドアがバタバタうるさい」、「トイレのドアの音がうるさい」などと怒鳴られるので、毎日が恐怖でした。

幸いにも、家族の仕事の都合で1年ほどでこのアパートを引き払うことができました。しかし、もしそうならなくても、遅かれ早かれ引っ越していたと思います。ストレスがたまり、とても耐えられなかったからです。確かに家賃は希望通りでしたが、実際は「これならもっと高い家賃でもいいから、今すぐ引っ越したい」と思っていました。この経験から、家賃は大切ですが、私にとっては安全に住むことが何より優先だと学びました。

それ以来、他の家の前を通らざるを得ない玄関配置の集合住宅は避けるように決めました。特に最近では、1階に玄関が並ぶ新しい集合住宅を好んで選んでいます。これらのアパートは家賃が高めですが、必要経費だと思うことにしました。

むしろ、自分の払える家賃で、そのような物件を選べるエリアを選ぶようにしています。

大東建託の公式ホームページにあるような、1階に玄関が並ぶ集合住宅が好きです。

そのおかげで、現在に至るまで近隣トラブルは一度きりです。新婚で家選びに失敗するという苦い経験をしましたが、その最初の1年の失敗のおかげで、その後の引っ越しはすべてうまくいっています。

古いアパートに引っ越して、物があふれて部屋づくりに失敗した話

私はシンプルな部屋が好きです。床面積が広いほうが心地よく感じるからです。掃除がしやすいという理由もありますが、それ以上に広々とした空間が心地よいのです。

ベッドでも布団でも構わないので、畳むことができる布団を使っています。テレビも必要ないと思い、YouTubeや見逃し配信はiPadで見れば十分だと考えています。

しかしある時期、完全に部屋づくりに失敗していました。それは、前述のクレーマーのいるアパートを出て、次の家に引っ越す時のことです。

この家は誰の家の前も通らずに自分の家に入れるように工夫しました。3階に住んでいたのですが、駐車場からすぐ階段を上り、その横が自分の部屋だったので、誰の家の前も通らずに済んだのです。

しかし、この家には大きな問題がありました。それは、部屋に物があふれていたことです。

その原因の一つは、自分の持ち物の量と部屋の大きさを全く考えずに部屋づくりをしたことです。

自分の身長を超える冷蔵庫や食器棚、2人暮らしなのに4人用のダイニングテーブル、ほとんど使わないソファなど、全ての家具が大き過ぎました。さらに、古いアパートだったためクローゼットがなく、仕方なくハンガーラックを買いました。あふれた物を片付けるために、さらに収納を増やさざるを得ませんでした。片付けに時間がかかり、掃除もしにくかったです。

結局、たくさんの物があることでストレスをためていたと気付いたのは、その後のことでした。海外生活のために一度日本の家具や家電をほとんど処分した後に、ようやく気付いたのです。

帰国後、今度こそ同じ失敗をしないと決め、大きな家具や家電は買いませんでした。食器は食器棚ではなく、ちょっとしたスチールラックに入れましたが、これで十分でした。収納は、できるだけ備え付けのクローゼット、できればウォークインクローゼットがある家を選ぶようにしました。

今、リビングは10畳以上ありますが、2人用のテーブルと椅子だけです。すぐ使いたいものは備え付けの棚やワゴンに収納しています。ワゴンは車輪があるので自由に動かせ、掃除もしやすく、自分の生活スタイルにぴったりです。

特にお気に入りなのは、基本的な家具をIKEAでそろえたことです。大学時代には無印のシンプルさで大人の雰囲気を楽しんでいましたが、今はIKEAの北欧風のデザインがとても気に入っています。統一感のある部屋になり、物が置いていない床面積も十分に確保できて、私にはこれが心地よいです。


IKEAの公式ホームページより。購入した白のワゴンのほか、ターコイズとピンクのワゴンも持っています。白はリビング用、ターコイズは夫の部屋用、ピンクは私の部屋用です。

たまに過去に部屋で撮った写真を見返すと、それが良い教訓になります。部屋づくりも引っ越しの中の大切な一部分であることを思い出せるのです。

住むエリアや家ももちろん大事ですが、部屋が落ち着かない空間では全てが台無しです。エリアや家は自分で変えるのは難しいですが、部屋だけは自分の心地よい空間を作ることが可能です。そうしなければ、自分の幸せは得られないことを、この失敗とその後の成功から学びました。

2024年6月の引っ越しで実践した「引っ越し成功術」

こうして私は、いろんな失敗を繰り返しながら、ついに自分なりの引っ越し成功術を編み出してきました。

今回の引っ越しでは、これを生かさない手はありません。

まずはエリア決めです。「ここに住みたい」と思えるエリアを探すことです。

私はエリア決めにお金を惜しまないと決めました。遠方への引っ越しのため、下見に行くこと自体に経費がかかりましたが、それを惜しみませんでした。仕事の合間を縫っての下見はお金と時間の面で大変でしたが、自分が住みたいエリアを決めることが引っ越し成功術の一つだと分かっていたからです。

実は物件探しよりも前の段階から、2023年秋ごろに下準備を始めていました。候補となる都市が3~4カ所あり、それぞれで住みたい物件を探しました。引っ越し時期は2024年5~6月の予定でしたが、早過ぎると思わずに、各都市で「ここに住むかもしれない」と思う物件を10カ所ほど挙げて現地を回りました。

観光地やショッピングセンター等は見ず、とにかく家の周囲の環境を回りました。それが私にとって最優先事項だからです。

そして回りながら、どんどんメモを書いていきました。例えば「前の道が狭い」「新しい町の雰囲気で、結構好き」「この家の前は、何となく〇〇町みたいだ」というメモを実際に書きました。こうやって、自分が直感的に思ったことを何でもメモしたのです。

道が一本違えば、きっと違う印象になったでしょう。それはそれで構わなくて、そういう出会いや見逃したものも、全て「ご縁」だと考え、割り切るようにしました。

自分の目で見て足を運び、2024年2月には「ここに住みたい!」と思えるエリアを見つけることができました。

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次は家探しです。優先順位を間違えないことが重要です。事前に家族でしっかり話し合い、「絶対にほしいもの」「絶対に要らないもの」「あればうれしいもの」に条件を分けました。

「絶対ほしいもの」は、例えば以前の近隣トラブルの教訓を生かして、集合住宅なら1階に玄関が並んでいるタイプなどです。

「絶対要らないもの」は、がけ崩れしやすい場所や氾濫する川の近くなど、これは事前にハザードマップをチェックしました。とにかく安全であることが、私にとっては大切なのです。

「あればうれしいもの」は、例えば宅配ボックスやサンルームなど、あれば便利だなと思うものです。ただし、これらは優先しないようにしました。

不動産屋には「絶対」の部分をまず伝え、「あればうれしい」ものはあればラッキーぐらいに考えるようにしました。

こうして優先順位をしっかりつけたおかげで、物件探しの日には希望の物件を1日で決めることができました。これにより、遠方の引っ越しでも経費や労力、時間を大きく節約できました。

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最後に部屋づくりについてです。これは、今の部屋をできるだけそのまま持っていくよう心掛けました。家の大きさも収納も似たサイズの物件を選んだため、わざわざ収納家具や家電を増やす必要はありませんでした。

そのため、新しい部屋でもIKEAでそろえたままの生活を続けることができました。引っ越しのたびに収納を変えずに済んだのは金銭的にも大きなメリットです。家ごとに左右されない、自分のお気に入りだけに囲まれた部屋づくりを続けることができました。

新たな引っ越し成功術~業者選びのポイント

実は、こうやって書くと、問題がなかったように思われるかもしれませんが、そうではありませんでした。私の引っ越し成功術には、まだ苦手分野がありました。

それは、引っ越し業者選びです。この分野には、まだ正解が見つかっていません。どの引っ越し業者を使うかを決める前に、そもそも引っ越し業者を使うべきかどうかで悩んでいました。

というのも、以前に何度か引っ越し業者を利用したことがありますが、正直あまり満足したことがなかったのです。

特に苦痛なのが、「見積もり」の時間です。最初の値段と値引き後の値段の差が大きく、「定価」や「適正価格」が分からないのが不安でした。また、自社の良さをアピールするために他社の悪口を延々と話す方もいて、私にとっては興味がなく苦痛な時間でした。(全国の引っ越し業者の営業の皆さま、気分を害したらごめんなさい。)

今回は遠方への引っ越しのため、料金も高額になります。例えば数十万円使うなら、むしろ最低限のものだけ持っていき、今ある家具を全部捨てて、もう一度買い直せるのではないかと考えました。

実際に自分で運べる方法も考えてみました。例えば、先にトランクルームを借りてそこに持っていきたいものだけ入れてみるとか、物置シェアサービスを使ってみるとか、大きなレンタカーで最低限のモノを何回かに分けて運ぶとかです。そんなことを本気で考えていました。

ただし、これらの方法には大きな問題がありました。それは、今までの家の家賃をいつまで払うかということです。どの方法でも一度に運べないため、家賃をいつまで払うかを綿密にプランニングする必要があります。しかし、早く期限を決めないと解約ができず、古い家に家賃がかかり続けてしまいます。家賃も30日で割ると、契約が1日延びるたびに数千円かかるので、決して安くはありません。

結局、この自分で運ぶ計画は諦めました。その決定的な理由は、お気に入りの家具をどうしても運びたかったからです。それは、前述のIKEAのワゴンでした。

サイズもそんなに大きくないので、自分で運べると思いました。しかし、車で運ぶには分解したほうが良いと思ったのです。もともと組み立て式の家具なので、一度分解して新居でまた組み立て直せばいいだろうと思い、試しに分解してみましたが・・・

無理でした。

結果的には、これが決め手となりました。分解してみたところ、この手の家具は再組み立てを想定していないのか、分解するとネジが甘くなり、新居で再度組み立てられるかどうか、完全に不安でした。

分解したワゴンを何とか元通りにした後、覚悟を決めて引っ越し業者をお願いすることにしました。自分で納得して決めたことなので、これで良かったと思っています。

当日の作業も、引っ越し業者はとてもスムーズでした。今回はパンダマークで有名な業者にお願いしたのですが、感じの良い方が作業してくださり、あっという間にきれいに終わりました。

結果的に、今回の引っ越しでは、引っ越し業者に支払った「値段」に対して、「価値」はしっかり感じました。ですから、これは支払ってよかったと思います。安く済まそうと思って、逆に高くついた可能性もあります。しっかり支払うべきところは支払ったほうが満足感が得られるというのが、今回の引っ越しで学んだ教訓です。

これは、今回初めて得た教訓であり成功術ですが、まだ確信が持てないので、一時的な結論としておき、次回の引っ越しの時に確かめてみたいと思います。

引っ越しを終えて、今思うこと

無事に引っ越しを終えて、約2週間がたちました。

こうしてnoteも書いたり、日常の生活が始まっています。自分が住みたいと思うエリア、帰りたいと思う家、そして心地よい部屋。この3つに恵まれた場所に引っ越せたと感じています。

子ども時代は、親に連れられての引っ越し。大学時代は、親に全面的にサポートしてもらって恵まれた生活を送った引っ越し。新婚時代にはクレーマーにおびえつつ、安全の優先順位に気付いた引っ越し。海外生活時代には、自分が住みたいと思うエリア探しの大切さに気付いた引っ越し。物にあふれ、心地よさを失った引っ越しもありました。

こうして何度も引っ越しを経験し、いろんな失敗と成功を繰り返しながら磨いてきた『引っ越し成功術』のおかげで、今回は良い引っ越しができたと自信を持っています。

しばらくは今の場所にいる予定ですが、この先、また引っ越すことがあるでしょう。その時は、この成功術を忘れずに実践したいと思います。

住みたい場所、帰りたい家、心地よい部屋を見つけられれば、私は、いつでもどこでも幸せな生活を始められると確信しています。

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