アメリカのこども病院で その1
アメリカのこども病院で長女が白血病の治療を受けたのは、もう30年近く前のことだ。そのころは、私の60年間の人生の中で最もつらい時期だった。
当時私たち家族(夫と私と長女)は、夫の海外赴任でアメリカの田舎町に住んでいた。
白血病と診断されて
私は当時2歳7か月だった娘と一緒に、夫の赴任先のアメリカで暮らし始めた。アメリカで生活し始めてから1年半以上が過ぎ、少しずつアメリカでの生活に慣れていった。娘は最初、アメリカの幼稚園に行くのを泣いて嫌がっていたが、そのころには喜んで通えるようになっていた。
冬休みにニューヨークへ旅行したころから娘は体調を崩しがちだった。
風邪をひいたり、微熱が出たりした。普段はとても元気な子だったので、
深刻な病気を疑うことはなかった。
風邪を繰り返し、そのうち高熱が下がらなくなり、ホームドクターから
州都にある子ども病院を紹介され、すぐに向かった。検査の結果、"She has
leukemia." と告げられた。その日は夫の会社の通訳の方が、子ども病院に付き添ってくれていた。"leukemia"が白血病だということを知り、信じられなかった。すぐに入院治療が必要だと告げられた。通訳の方は、泣きながら、"I'm so sorry."と声をかけてくれた。私は混乱していて涙も出ず、家へ
向かった。
アメリカのこども病院
アメリカのこども病院は本当にきれいだった。入り口を入ると正面には
たくさんの大きなぬいぐるみが飾られていた。廊下は広く明るく、かわいい絵で飾られ、ホテルのようだった。娘は4階の病室に入院した。病棟の
入り口に"Children’s Cancer Center"と書かれていて、ぎょっとした。
病室で担当医と話した。当初の診断は「急性リンパ性白血病」だったので
入院期間は1週間。退院後は通院での治療とのことだった。当然長期入院になると思っていたので、そんなに短いの?と思った。
治療計画書に沿っての治療が行われ、熱も下がり、退院の日を迎えた。
薬や荷物を持って、家へ帰った。
3週間後の通院で娘の病気が順調に治っていないことが分かり、リンパ性
白血病ではないことも判明した。担当医は私たちに詳しく病状や検査結果について話してくれた。娘の白血病は全米でも症例が少なく(全米のネット
ワークで問い合わせたが、2例のみとのことだった)、今の時点で確立した
治療方法がない。今後は副作用が出る強い薬を使うので、入院治療になると告げられた。担当医はとても率直だった。全力を尽くすと言ってくれた。
家が一番
娘の入院期間は長く、半年以上にも及んだ。でも、治療と治療の合間には、家に帰れる日もあった。「今日退院する?月曜日には戻らないといけない
けれどね。」ドクターはいつもこんな感じで、突然切り出した。
"Home is the best medicine." 看護師さんたちもよくそう言っていた。最初は家に連れて帰ることが不安だったけど、娘も喜んだので、帰れるときは
帰った。帰ってすぐに熱を出し、急いで病院に戻ることもあったけれど。
イベント
アメリカのこども病院ではイベントが多かった。人気キャラクターが病院に来たり、レーサーが来たり。イベントはよくTVニュースで放映され、娘や私も出たことがあった。TVで放送することで、こども病院のことをもっと知ってもらうきっかけになっていたと思う。また、病院への寄付を募る番組も
放映されていた。
告知
アメリカのこども病院で一番驚いたことは、子どもであっても病名の告知をすることだった。"Children's Cancer Center"と病棟の入り口に書かれていたが、告知があってのことだろう。入院中、"You and leukemia"という本を
もらった。子どもが自分の病気を理解するために、子ども向けに白血病に
ついて説明した本だった。私もその本の内容を娘に伝え、娘の体の中で起きていることを話して伝えた。
病院の中にはプレイルームがあり、娘の気分がいい時にはそこへ娘と一緒に遊びに行った。そこで、小学校の高学年くらいの子や中学生くらいの子に「彼女は何の病気なの?」と聞かれることがあった。「私は脳腫瘍で、今
ケモを受けているんだ」と教えてくれた子もいた。
ドクターたちは、治療内容についても、本人の目の前で話していた。中には「私の治療については一切知らせないで」と言う子もいると、ドクターは
言っていた。病棟には赤ちゃんから10代の子どもたちが入院していたが、私の娘が一番長く入院していた。
在宅での治療
娘が治療の副作用でなかなか退院できなかった時に、在宅での治療をすすめられた。それは、娘に必要な治療を私が看護師さんに代わって家でするというものだった。「え?私が?」
娘には点滴を通しての薬がほぼ毎日必要で、そのため退院できない。私が
代わりにできるなら、退院させてくれるとのことだった。
私は1週間ほど訪問看護の看護師さんについて勉強し、実際に点滴の練習をした。万が一の時の連絡先や連絡方法を確認したうえで、退院の許可を
もらった。
家での医療行為は本当に緊張した。薬はHomecareという会社が冷蔵で届けてくれ、看護師さんが週に3日、娘のチェックや血液検査をしに来てくれた。一度、点滴の薬の順番を間違えてしまい、慌てて病院に電話したが、
大事には至らず心底ほっとした。「何かあったらどうしよう」という不安は常についてまわったが、家で娘は好きなことができたし、何より娘が好きな日本食を作ってあげられたことがよかった。
「アメリカのこども病院で」 その2に続きます。