家康の長男・信康はどうして殺されたのか?

『どうする家康』は金ヶ崎の戦いまで来た(先週までの話)。
徳川家康の長男・信康はまだ12歳ぐらい。
すでに織田信長の娘・五徳と結婚して岡崎城に住んでいます。
そして岡崎城の城主。
しかし約10年後には信康は自害をさせられます。

従来の説では織田信長の娘・五徳と不仲となり、織田信長の命令で自害するよう家康に命令がくだったというものでした。

最近でた黒田基樹さんの『徳川家康の最新研究 伝説化された「天下人」の虚構をはぎ取る 』(朝日新書) を読んで思ったのは
「やっぱり信康は巻き添えで殺されたんだ」ということ。
「いくら嫁の父が織田信長でも、その程度で死刑にはならないだろう、離縁すればいいだけじゃん」・・と思ってました。

でも家康が信康を死刑を決断したきっかけは五徳の信長への手紙でした。

家康が内々で処理してきた築山殿と信康の家臣達の謀反が、信長にバレてしまったので、築山殿と信康を罰するしかなくなったそうです。
『徳川家康の最新研究』によると築山殿の死は死刑ではなく、自分の意思による自殺で、信康は強制的な自害だそうです。
やはり、信康かわいそう

しかも信康には家康に歯向かう意図は全く無かったのです。悪いのは生母である築山殿と信康の家臣です。
しかも信康の知らないところで起こった出来事ですし。

信康に原因があったすれば五徳との不仲ですが、
五徳が築山殿の謀反(処理済みの過去の出来事)を知ってしまい、信康への不満と一緒に父・信長に知らせてしまった。
怖い義理の父を持つ妻を怒らせると怖い。

追記

家康が嫡男である信康を殺そうと思った理由としては、別に嫡男が生まれたからだそうだ。
築山殿には秘密で別の女性に産ませたそうなので、築山殿も邪魔だったそうだ。
築山殿は家康と別居していても正室なので、築山殿が承認しないと嫡男にはなれない。

信康が嫡男じゃなくても構わなくなったので、生かしておく必要性がなくなった・・・信康かわいそう。

築山殿と家康は政略結婚だし、先に裏切ったのは築山殿の方だし、
家康は築山殿を殺そうとしたわけではなく、政治的な影響力の少ない場所へ移動させようとした途中で自害したので、
家康は築山殿に対してはそんなに悪くないと思う。




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