18番目のSDGsの道のり⑥
竹割り器が家にないか実家に電話した。
というのも祖父が生前、
闘鶏用の籠を手で結っていたのを思い出したからだ。
私の幼い時の記憶では
近くの公園の隅にゴザを丸く囲い、
囲いの中では2羽の軍鶏が縄張り争いをするかのごとく、羽を散らしながら戦っている。
その様子を囲いの外から厳しい目で見つめるじいさん二人。
ほのぼのとした公園の片隅で行われている異様で異質な光景を遠くから眺めていた。
ある日、
学校から帰ると玄関先で、負けたであろう軍鶏を
ドラム缶で茹で羽をむしっていた祖父の姿を思い出す。
結構グロい。。。ちょっとトラウマ😆
今思うとばくちだろうし、
動物愛護団体に訴えられてもおかしくない。
年に数回、
祖父の部屋からピヨピヨ鳴く声が聞こえる。
祖父がいないことを確認してそっと部屋に入る。
声が聞こえる段ボールの中を覗き込むと
裸電球に照らされた10数羽のかわいいひよこ達。
こっそりのぞくことがひそかな楽しみであった。
電話口で父がボソッと言った
「昔、うちは竹屋だったからなあ」
ええっ!
生まれて相当生きているけど初めて聞いたワード!
祖父は農業をしていたとばかり思っていたのに
まさかの竹屋だったとは。
裏の山で竹切って編んで商売していたらしい。
しかし、
箱ものは竹かごから段ボールや布に変化していき
廃業という流れになったそうだ。
おおおおお~おじいちゃん
私は竹屋の血を受け継いでいたとは!
竹トングから
祖父の新たな面を発見した驚きと、
祖父が竹トングがんばれ、と
はげましてくれたように感じた。