013国際的な日本女性
一昔前のロンドンの日本企業の駐在員は会社では日本語を話し、昼や夜は日本レストランで同僚と日本食を食べ、週末は日本のゴルフコ―スでゴルフを楽しみ、ホリデーには日本の旅行会社が企画する団体旅行に参加していたので英語を話さなくても生活が出来た。その家族となるともっと日本的な生活をしていた。家では日本のテレビを見て、子供は日本人学校へ通い、母親は夫の会社の同僚の奥様達と日本レストランでお昼を食べたり、お茶を飲んだり、買い物は日本の食料品店で、病気になれば日本の医療機関へ行くという生活をしていたので、英語を使う機会がほとんどなく、3年後に帰国が近づくと、日本に帰った時に「3年も英国にいたのでさぞかし英語が上手になったでしょう」と聞かれるのを恐れて、慌てて英語学校の集中講座に参加すると言った人が多かった。
デボンに来て分かったのだが、ここにはそんなロンドンの日本人とは全く違う日本人が住んでいるのだ。最初はデボンにはほとんど日本人は住んでいないと思っていた。住んでいたとしても多分エクスターやプリマスといった大都会に違いない。ロンドンの日本人コミュニティーの中に住んでいた身にとっては、デボンの田舎に住むにあたり、これからは孤独な生活を余議されると覚悟を決めていた。
ところが現実は想像していたのとは大分違った。デボンにしばらく住むうちに、いろいろな人から「Sさんを知っているか」と聞かれた。トトネス(Totness)に長く住んでいる日本女性で、特に日本のアート関係の催し物を企画したり、デボン在住の日本人の事情を良く知っており、いろいろ相談役をしているようで、どうも日本関係のドンのような存在なのだ。こういう人とは是非お会いして知り合いになりたいと機会を伺っていたのだが、ある日ダーティントン・ホールでの籠の展示会があった際に、彼女が日本の鵜飼の籠作り職人を連れて来ているという情報を得て、早速Sさんに会いに行った。
驚いたことにデボンには各村に一人ぐらいの割合で日本人女性がいるような感じだ。ダートムア―の真ん中にあるウィドコム(Widcombe-in-the-Moor)という小さな村にはB&Bを経営している日本人女性がいるし、アッシュバートン(Ashburton)にはジュエラリー作家で店を持っている女性が、バビー・トレーシー(Bovey Tracey)には鍼灸師の女性がいるし、その近くのマナトン(Manaton)という村にも日本人女性が1人住んでいる。トトネスには7人ぐらい、ちょっと大きめの町ニュートン・アボット(Newton Abbot)には10人ぐらいの日本人女性がいるそうだ。
私が会った人は、それほど多くないが、いずれも独立心が強く、手に職を持っていたり、得意な料理で店を開いたり、お弁当をマーケットで売ったり、或いはケアラーになったり、保育園の先生になったりしている。デボンに来て日本人女性の強さや国際性をつくづくと感じている。(以下続く)