014.絵に描いたようなダートムアの村
面積約1,000平方キロ、東京23区の1,5倍の広さを持つ広大なダートムア国立公園の中には小さな村があちこちに点在する。ダートムアの中心部からちょっと東に寄ったウィドコム・イン・ザ・ムア(Widcombe-in-the-Moor)もそんな村の一つだ。人口1000人ほどの小さな村としては大き過ぎるような教会を中心に起伏の多い土地に広範囲に渡り約200軒の家が広がっている。
我が家からも近いこともあり、私はよくこの村へ出かける。バビー・トレーシー(Bovey Tracey)からヘイトー(Haytor)に向かいしばらく行くと道路は急な下り坂になり、その谷間にウウィドコムがある。トーと呼ばれる岩の突き出た丘の頂上や緑の牧草地に囲まれたこの村はいかにもダートムアの村という感じで、私のお気に入りの村の一つでもある。特に教会の隣にあるビレッジ・グリーンはいかにもムアのただずまいを示しており、日本人の旅行者を連れて行くと皆写真をパチパチと撮る。
教会とビレッジ・グリーンを挟んだ向かい側の駐車場の隣にはカフェ(Cafe on the Green)がある。 10年ほど前に訪ねたころは古めかしいカフェだったが、その後若いカップルが買い取り、インテリア、エクステリアを大改造、今では観光バスが乗り付けるほどの人気の場所となった。ここにはランチサービスがあり、自家製のスープや軽い食事がとれる。また、午後のクリームティーは特にお勧めだ。
何となく観光案内の様になってしまったが、ここはウィドコム・フェアーが開かれる事でも知られている。年一回のビレッジ・フェスティバルには近郷近在の村から住民が集まってくる。ダートムア各地で開かれるお祭りと変わらないのだが、このフェアーが特に知られているのは「ウィドコム・フェアー」というフォークソングだ。”Old Uncle Tom Cobleigh and All”という1890年ごろに始まったと言われるこの歌は、トム叔父さんの馬を借り、オレも乗せろと次々と、最終的に7人が、我も我もと馬に乗り、ウイドコム・フェアーに意気揚々と向かうという歌で、そのテンポの軽さと旋律で学校でも教える唱歌となり、イギリス人なら大抵知っているほどポピュラーな歌だ。村の標識、絵はがき、ギフトショップで売られるお土産用のマグやタオルなどに7人が馬に乗った絵が描かれている。
ダートムアのこの小さな村に日本人女性が1人住んでいる。Mさんだ。Mさんはイギリス人と再婚して、エアーB&Bを営んでいる。主に国内、ヨーロッパからの旅行者が泊まるが、日本から口コミで知った日本人が泊まりに来ることもある。なだらかな丘陵地帯の南に面したコッテージは眺望も絶景で、庭に置かれたバード・フィーダーには無数の小鳥が餌をつつきにくる。Mさんは長野県生まれで2003年に渡英、デボンのトトネスで英語やホスピスケア―の勉強をした後、イギリス人ご主人と結婚して以来、ウィドコムに住んで10年ほど前からB&Bを始め、なかなかの評判をとっている。
彼女の家のそばに今は使われていない古いチャペルがあるが、彼女はその建物の保存運動に熱心で、チャペルで定期的にチャリティー・ランチを開催、寿司やみそ汁など日本の食事を出して、その売り上げを保存運動に寄付している。英国に来てから約20年、Mさんはすっかりデボンに根を下ろし、土地の人とまじりあっている。前回も書いたが外国に住んでいる日本女性は積極性にはいつも頭が下がる。
私たちの知り合いに陶芸家バーナード・リーチの孫のディビッドさんがいるが、彼の母親でバーナード・リーチの娘さんであるジェサミンさんはウィドコムの住んでいたとデイビッドさんが教えてくれた。一度我々を案内してくれたが、ビレッジ・グリーンから北に向かって曲がりくねった細い道をしばらく行ったところの左側の少し低くなったところに数軒の家がひっそりと建っており、その一軒が彼女の家だったと教えてくれた。
人里離れたという表現がぴったりと当てはまる様なところに住んでいる英国人は多い。私自身が東京、ロンドンと住み慣れた大都会からかなり田舎のデボンへ来た時、土地の人が夏休みにはもっと僻地へ行くというので驚いた。便利さばかりを追求して来た生活と正反対の行き方がある事を知って反省することもあったが、見習いたい気分もかなりあった。年齢のせいもあるかも知れないが、今では自然の中で暮らすことの素晴らしさを実感している。(以下続く)