003. 隣人たち
デボンの生活が始まった。2012年8月のことである。我々はロンドンの家もそのままにしているので、家財道具は一切持ってこなかった。そのためフライパンやソースパンを始め、料理道具一式、テーブルや椅子を揃えなければならなかった。前のオーナーがAGAだけを置いて行った。重すぎて運べないのである。
AGAはスエーデン製のクッカーで、熱盤によるフライパンや鍋の料理から、オーブン料理、お湯作りまで1台で賄う優れもので、我が家のものは50年ぐらい経っているアンティークであるが、十分に使用に耐えている。ここには都市ガスが来ていないので、ある家ではプロパンガスを備えたり、電気でAGAを利用したりしているが、我が家のはオイルである。普段は囲いがしてあって見えないのだが家の前のパティオには1,000リットルも入る大きなオイルタンクが備えてあり、年に何回かタンクローリーでオイルを配達してもらっている。
我々の住んでいるグレーズ・コート(Grays Court)はモアトンハムステッドという町から1マイルほど離れた村落で家が14軒ある。コミュニテイー意識が強く、グレーズ・コート・マネージメントという会社を作って、道路や駐車場のメンテナンスや下水の処理をしている。年に一度AGM(総会)を開き、予算や問題点の討議をする。また、夏にはバーベキュー大会を開き親睦を図っている。
引っ越してすぐ隣近所に挨拶に行った。右隣りは女性二人のパートナーが住んでいる。エミリーさんはクッキングの先生、メアリーさんは大学の講師である。
「庭が離れており、ドレッシングガウンで庭に出ることが出来ず不便なので、もうじき引っ越す」と話してくれた。ベッドもまだないと言うとエアーベッドを貸してくれた。最初の数週間はこのエアーベッドで床に寝た。
左隣りにはティムさんとジュリアさんが住んでいる。まだ60代の再婚同士で、前の配愚者との間に子どもが数人、そして孫が両者合わせて6人もいる。週末になると娘や息子、孫たちが訪ねてきて大変賑やかだ。ジュリアさんは福祉ケアラー、ティムさんはジャーナリストである。二人とも今は引退し、ボランティア活動をしたり、孫の面倒を見たり、忙しくしている。
引っ越して間もないころ、我々は夜遅く帰ってきたことがある。ところが我が家のドアのロックが壊れてしまって鍵が使えなくなってしまった。家に入れないのである。夜中であるし、どうしたものか悩んだ。土地勘もないし、ロックスミス(鍵屋)がいるかどうかも分からない。悩んだ挙句、隣のティムさんとジュリアさんに助けを求めた。二人は同情してくれ、家の中に我々を招き入れ、ロックスミスに電話を入れてくれた。ロックスミスが来るまで時間がかかったが、その間ワインを振舞ってくれ、近所の住民のこと、ローカルのサービスのことをいろいろ話してくれた。このお影でティムさんとジュリアさんとはかなり親しくなった。
他の住人とも次第に知り合うようになり、我々も徐々にこの部落の一部として存在を認められて来た。驚いたことに田舎の生活は普遍であまり移動がないと思っていたが、我々が住み始めてから10年で、14軒中6軒が引っ越しをしている。理由はそれぞれに子どものいる地域へ引っ越す、ここは坂が多いのでもっと平坦なところの家に移るとか、隣の人と折り合いが悪いので出て行くなど様々だが、イギリス人がよく引っ越すのには驚いた。もっとも、デボンで家を探すときに、売り家はどの地域にもたくさんあったので、驚くにはあたらないのだが。。。
(以下続く)
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002. ハウス・ハンティング
私はデボンに住む条件の一つとして、ロンドンの家も残し、必要な時には帰れるようにした。何しろ50年住んだ町である。仕事がらみの人や友達、日本人コミュニティー等、一挙に切り捨てるわけにはいかない。定期的な仕事からは引退したものの、まだ友人がたくさんいるし、そんな簡単に「ハイ、サヨウナラ!」とはいかない。
しかも、田舎の生活は初めてである。そこには何が待っているのか、何をしなければならないのか、何をしてはいけなのか、友達が出来るのか、人種差別はないのか、皆目見当がつかない。
ここはイギリス人のワイフが頼りである。ところが、彼女はというと、
「私ももう50年以上も田舎に住んでいないので、あまり頼りにしないで欲しい」
と、どうもあまり頼りになりそうもない。
デボンにはもともと陶芸家のイギリス人の友人がいた。ペニー・シンプソンさんである。ダートムア国立公園の中のモアトンハムステッド(Moretonhampstead)に住んでおり、デボン各地へ行くのに便利な場所だ。彼女が部屋を提供してくれ、我々はそこをベースにハウス・ハンティングを始めた。
デボン各地の物件を50軒以上見ただろうか、スタジオに適しているか、陶芸の窯を置く場所があるかどうか等、主にワイフの仕事の便利さを中心に探した。私の場合にはコンピューターを置く机が一つあれば済むので、家の構図はそれほど問題ではなかったが、ロンドンへの交通の便を考えて、トトネス(Totnes)近辺が良いのではないかと希望した。しかし、残念ながら売りに出ている物件はどの家もスタジオには向かず、また庭が狭く窯を置く場所は難しそうである。しかも、家の値段が高く、我々の手に負えそうもない。藁ぶき屋根の家も何軒か見たが、見栄えはよいのだが、屋根の葺き替えやメンテナンスが大変そうで諦めた。
最終的にペニーさんの近くの家が売りに出て、そこを見に行った時に、我々2人とも「アッ、これだ!」と、思った。家はマナーハウス(荘園主)のために300年前に建てられた巨大な石造りの長い納屋を5軒の家に分け、それを30年前に空っぽのまま売りに出し、買主がそれぞれにインテリアを考えて住宅に改造したものである。
我々の家の前のオーナーは、家の半分を吹き抜けにして大きなダイニング・キッチンとし、別の半分を2階に分け、下はラウンジとバスルーム、2階は寝室2つと洗面所、物置部屋としている。その他、1階の前面に突き出したところは、半分が玄関先のパティオ(ガラスの屋根付きテラス)、あと半分は部屋になっており、彼女のスタジオにぴったりだった。
不動産屋さんに案内された時、最初ちょっと戸惑った。案内には大きな庭が付いていると書いてあるのに、家に行って見ると庭はない。騙されたかと思ったが、我々の疑問を察した不動産屋のクライブさんは、「それでは、庭を見に行きましょう!」と我々を誘って、隣家の横を通り抜けて、なだらかな坂を30メートぐらい下がったところへ案内してくれた。そこには、ちょっとした空間があり、「ここからあそこまでがお宅の庭、こちらは隣家の庭です。この空き地はお宅の駐車場です」と説明してくれた。
見ると、芝生に覆われた幅60メートル、奥行き40メートルぐらいの庭の先には小川が流れ、大木が川に沿って立ち並んでいる。その上、石造りの大きな平屋の小屋が一つと木造の物置小屋が2つも付いている。石造りの小屋は陶芸の窯を置くにはもってこいだ。
クライブさんは「デボンではよく家と庭が離れていることがあるんですよ」と説明してくれた。
この庭の大きさにも我々は惹かれて、デボンでの生活が始まった。
(以下続く)