20代の高校生
はじめましての方は、はじめまして。
Sと申します。
実はS、高校三年生です。
そして20代で二度目の高校生。
あんまり聞かない話かもしれません。どんなもんだか覗いて行きます?
というわけで第一回高校生になってから第二回高校生になった今日までを振り返ってみたいと思います。
(2番手の記事からだいぶ絞れてきたな…頼むから知り合いから連絡来ませんように)
目次を作ってみました。
高校中退してみた
もう昔のことじゃ。Sは高校を中退したんじゃ…。
最初は全日制の高校に通っていました。
自宅からかなり離れたところでしたので移動時間も長かったです。
中学からひきこもり体質だった自分は高校生になっても行ったり行かなかったりでした。
いつも学校のお偉いさんと出席について面談していたような人間でした。
のらりくらりと面談をクリアしてなんとか高校三年生になれたのですが、三年生になったとたん人間関係に躓いて、親族の葬儀が立て続けにおきて…気がついたら歩けないほど体重が減って骨川スネ夫になってました。(別にスネ夫はガリガリではない)
端的にいうと精神的な病を手に入れました。
あと歩けないくらいガリガリの身体。
誰も嬉しくねぇ…
なので当然ドクターストップが出て学校すら行けず単位が足りなくて中退になりました。
当時は両親に申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。
ひきこもり始めてみた
当時のことはあまり覚えていないのですがひたすら横になっていました。
毎日寝てご飯を食べて寝てを繰り返していたので記憶がありません。スマホすら疲れるから見れない。
とにかく、なにかしなきゃと思うのに身体がついてこない現実。これがいちばん堪えました。
学生の頃のひきこもりとは理由が違う。
なにもできないんじゃ生きてる意味がない…そんなことを考えながら毎日寝ていました。
でもずっと高校を卒業しないといけないと決めていました。
親からも高校は卒業しておきなさいと口うるさく…ではないけれどかなり念を押されていました。
ひきこもりを始めてようやくYoutubeを見れるくらいになってきた頃、真っ暗なベッドに一筋の光が差し込みます。
とあるゲームに一目惚れするのです。
これを自分は命の恩人ならぬ…恩ゲーと呼んでいます。
とても人気のゲームでしたので、毎日誰かが配信していました。
起きている時間はずっと配信を見ていました。
いつか自分も遊んでみたい。
いや絶対に遊んでやる!
その気持ちが自分を奮い起こさせました。
体験入学に行ってみた
え!?
もう体験入学!?
だってアンタさっきまで寝たきりだったって…
はい。普通に勇気出して行きました。
ここに来るまでかなりの年月が経っているのですが、命の恩ゲーについては別の機会に語ってみたいと思います。
とりあえず
体験入学までの人生を三行でまとめてみると…
実際にゲームをプレイできた!
紆余曲折あったけど外出できるようになってきた!
そうだ、体験入学に行こう!
(???)
文字にすると意味がわからないですね。
今自分でも書いててびっくりしました。
実は高校を中退してすぐの頃、勉強をよく見て貰っていた恩師がいるのですが、その先生から地元にあるところでこんな学校があるよと勧められていました。
中退してからずっとひきこもりだった自分が「体験入学に行く!」と母に言ったとき、もう20代に突入していました。
母親は顎を外しながらでも嬉しそうに「行こう!」と言ってくれました。
さっそくネットで予約をしてみると学校から連絡が。
体験入学は中学生向けなので面談だけでも結構ですよ、とのこと。
まず、もう大人なのにあっ、無理ですーって言われないんだ…と謎の感動を覚えたことを今でも思い出します。
病院とコンビニくらいしか行かなかった自分は授業というものを久しぶりに浴びてみるべきだと考え、体験入学に参加させてくださいとお願いして、いい歳した大人が紛れ込むことにしました。
なるべく目立たないような格好で…ってしばらく服なんて買ってないんだった。あの頃のセンスのままでこれも着れないあれも着れない。
とにかく学生っぽく見える服装で、なんてあれこれ準備している間に体験入学当日になりました。
…
……
………
帰りたい。
案内された席に座った途端、急に帰りたくなりました。
数人しか体験入学にはいませんでしたが知らない人がたくさんいる。そもそも大人が馴染めてる?大人だってバレてない?えっ保護者は後ろ!?ひとりで座れってんのかよ(当たり前)無理無理無理!あっヤバいなんか気持ち悪くなってきた…
母にしんどいと言って帰ろうと思いましたが、それを聞きつけた学校の先生がサッと横にやってきて話しかけるわけでもないのに一緒にいてくれました。
たぶんこの先生が隣にいてくれなかったら帰ってたと思います。
プリントが配られて授業が始まります。
隣に座ってくれている先生とは別の先生が板書を始めます。
プリントに書く手が震えて、上手く書けません。
右手の手首を左手で押さえてなんとか震えを押さえていました。
文字はガタガタ。でもなんとか読めるくらいにはなったでしょうか。
だんだん落ち着いてきて、あることに気がつきます。
雰囲気が、似ている。
恩師の作る授業の雰囲気に似ている……!
恩師とは齢一桁からの付き合いでした。
本気と書いてマジと読む。両親と同じくらいの時間を共に過ごした大人です。その恩師が作り出す授業の雰囲気にとても似ていたのです。そう、まさに実家のような安心感。中学・高校では一回も感じたことがなかったというのに!
通えるかもしれない。
ここならもう嫌な思いをしないで済むかもしれない。
漠然とそんな気持ちが緊張をほぐしていきました。
決意してみた
緊張のほぐれた自分は段々と持ち前の会話好きを発揮して色んな人とコミュケーションが取れるようになってきました。
そうそう、これだよ、これ。
学生時代の自分のアイデンティティが戻ってきた感じがして気がつくと笑みが溢れていました。
無事に体験入学を終えると少し偉そうな先生が面談をしましょうと話しかけてくれました。
(のちにこの先生が担任だと知ることになる)
面談の内容は今までどんな高校生だったか、とかこれからどうしてみたいか、とか。
色々話しましたがやはり通えるかもしれない…という漠然とした気持ちだけでまだ決心はつきませんでした。
しかし思わぬ言葉が先生から持ちかけられます。
「今、ここには〇〇歳の人がいます。」
「楽しく通っていますよ。」
それは自分よりも年上の人の存在でした。
高校生になるには年齢が…とコンプレックスのようなものを抱えていた自分は、
そのひと言が最後のピースとなりました。
先生にお礼を告げ、帰路につく自分は父に頭を下げねばならない…と頭をフル回転させていました。
そのときにはすでに学校に通いたい!と決意がみなぎっていたのです。
体験入学から帰ってくるとちょうど仕事を終えたばかりの父とリビングで鉢合わせました。
父は自分が夜に帰宅することが珍しいと思っていたのかどこへ行ってきたのか尋ねられました。
学校の体験入学、とひと言いうと、
夫婦似た者同士ですね。
顎を外しながら絶句していました。
さてこれからどう言おう。
通いたいと思い切り頭をさげるか。
今日あったことを述べてからお願いしますと言ってみるべきか。
そんなことを考えている数秒。突然、
「お前が行きたいなら行きなさい」
と言われました。
父はのんびりした性格で食い気味に何かを発言したりすることはほとんどないのですが、このときはあまりのことにお礼を言うのが精一杯で頭をさげる隙がありませんでした。
その後、父は体験入学のパンフレットを何回も何回も読み返していました。すごく嬉しそうに。
試験受けてみた
決意したなら善は急げ。
体験入学は秋だったので春の編入試験まで数ヶ月しかありませんでした。
今までろくに勉強してこなかった自分。
理解しようとしても難しすぎていつも恩師に頼っていた自分。
数年ひきこもりをやって勉強の“べ”の字もやっていない自分。
それらを全て捨てて小・中学生向けのドリルを片っ端から買ってもらい復習しました。
正直なところ全部は終わりませんでした。
数ヶ月というのはあまりにも短かったし、数ページやるだけで頭がパンクして漫画みたいに鼻血を何回も出しながら勉強しました。
でも高校生の頃嫌だった勉強。どうしてこんな訳のわからないことをやらなきゃいけないのか…そんな義務感に駆られず、“よし、やろう!”という自分の意思で勉強をやれたあの数ヶ月は、例え年齢に見合っていない内容でも学ぶということの喜びのようなものがありました。
もちろん不安になるときもありました。
そんなときはYoutubeに投稿されているおじいさんやおばあさんが学校へ通う特集を何度も何度も繰り返し見ました。
カメラの向こうでクラスメイトと笑っているおじいさんに勉強が楽しいと言うおばあさんの笑顔。その表情は自分にとってお守りでもありました。
この方達も学校へ通えているなら自分だって通える!ってね。
そして試験当日。
その日はまあーーークソ寒い日で、前日とか前々日とかめちゃくちゃ暖かったのにクソ寒くて、ただでさえ緊張して震えてるのに寒すぎて支えてもらうみたいにして右手に父、左手に母の手を握りながら子供みたいに学校まで歩きました。
制服を着るような歳じゃないし前の学校の制服は着れないとスーツで行ったのですが、スーツ身にまとったいい歳した大人が親と手を繋いで歩くなんておかしいですよね。
でも、たぶん、あの日さみぃ~って笑いながら家族三人で渡った横断歩道を一生忘れることはないと思います。
試験の内容や様子は記しませんが、勉強していったことが役に立ってノー勉でいかなくてよかったと思いました。
そんな試験を無事に終えてから数日。
自宅に合格通知が届きました。
20代の高校生
ついにドキドキの初めての授業の日。
案内された自分の席に座ってボーッとしているとなにか記憶の隅でチラつくものがありました。
………昔見たドラマになんかあった気がする。
あっこれだーーーーー!!!!!
『35歳の高校生』!!!!!
当時は高校生に三十五歳がなれるのか疑問でした。でも母に尋ねると不可能ではないと。
なんと
自分は今、20代の高校生をやっている!!!!
オイ、見てるか昔の自分!!
『35歳の高校生』は実在したぞ!!
ってか自分がなってるぞ!!!
…三十五歳じゃないけど。
ちなみに初めての授業は楽しかったです。
本当に恩師の授業の雰囲気が今の学校にはありました。
クラスメイトは話している人もいれば話さない人もいる。
むしろ自分は話しかけてしまう方で、振り回してしまっていないか不安になるときもありますが、担任の先生が絶妙にトボけた発言をするのでそれにツッコミをいれるのが楽しい学生生活です。
クラスメイトからはうるさいヤツだと思われているかもしれません。
実際、担任の先生には「Sはイカれている」と言われているので多分褒められています。もう、照れちゃうなあ!(他の先生にも言われたお墨付きです)
でもそれもまた楽しいんです。楽しすぎてあっという間に時が過ぎ、二度目の高校三年生がもう半分も過ぎてしまったことが信じられません。
前の高校では先生にツッコミを入れるなんてもってのほか。
少し何かを言っただけで呼び出される事もありました。
人を笑顔させるのが好きだった自分はこういうのでいいんだよ状態です。
恩師もトボけた発言をよくする人で生徒が総ツッコミを入れて皆が笑うのがお決まりの会話でした。
たぶんそれが自分のコミュケーションの基盤のようなものを築いたのだと思います。
振り返ってみた(終わりに)
ここまで来れたのはダメダメだった自分を見捨てず根気よく付き合ってくれた両親のおかげだと常々思います。
もちろんここには書かれていない葛藤も悩みもありましたし、両親の心の中はもっと複雑なもので溢れていたと思います。
全部がキラキラ輝いていたわけではないです。
辛かったこと。苦しかったこと。申し訳なかったこと。
その全ての上に今があると思っています。
だから両親には笑顔で“高校を卒業したよ!”と言いたい。
あの日言えなかったことを必ず伝えてみせます。
さて。
20代の高校生の話はいかがでしたか?
自分が20代の高校生なのは家族と少しの友人、それから学校の先生しか知りません。
だから世界に発信することに躊躇いはあります。
でも、こうして文字にしてみることで誰かに届いて、なにかちょっとでも響いたり考えるきっかけになれば嬉しいな、と…
来年の春にきっとここに残りの半分の話を書くと思います。
そのときはどんなことがここに書かれているんでしょうか。
それを楽しみに今日も20代の高校生を楽しみたいと思います。
(※どこの学校かなど身元のわかるような質問にはお答えしませんのでご了承ください)
ってか忍びないというかなんというか学割使いづらいんだよなー両親も友人も口を揃えてもったいないってさぁ…
まだ一回しか使ったことねぇや!
というわけで、
最後まで読んでいただきありがとうございました!