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決意の財布

はじめましての方は、はじめまして。
Sと申します。

近頃財布の調子が悪くてですね。
調子が悪いというと表現が適切ではないかもしれませんが、塗装が剥げてきたり縫い目がほつれて中身の布が見えていたりします。
流石に見た目がみすぼらしくなってしまったので新しい財布を買うことにしました。

そこではた、と気がつきます。
そういえばもうすぐ誕生日じゃないか!

前回の記事で記しましたがここ数年はひきこもりをしていたので、誕生日プレゼントに何が欲しいか尋ねられてもいらない、とかゲームのスキンが欲しいからプリペイドカード買って、なんて言ってちゃんとしたお願いをしていませんでした。
まあじゅうぶんプリペイドカードも誕生日プレゼントにあたりますけどね。(しかし家族の誰もがどのスキンを買ったか忘れてしまった…)

久しぶりに形に残るものをお願いしてみると、「そうね、財布もだいぶボロボロになってきたし。」
と承諾されました。

どれ、どんな高級な財布を買ってやろうか、なんて悪い顔をして検索していると手元にあるボロボロになってしまった財布を買ったときの思い出が呼び起こされました。


「ねぇ、お金貸して!」

放課後の教室で突然クラスメイトはそう言った。
クラスメイトの人差し指は、あとで飲み物を買いに行こうと机の上に出しておいた自分の財布を向いていた。
答えに詰まった。

あれはいつだったか。こども心の危なっかしい善意で同級生が欲しかったものをお小遣いで買ってあげたことがあった。たった数百円だったのだが、あの数百円を当時の年齢で使ってしまったことにこどもって恐ろしいな、と思ってしまう。後日同級生のお母さんが使ったお金を渡してくれるとともに平謝りされ、迷惑をかけてしまったことがあってからというもの、お金のやりとりの怖さを嫌というほど知っていた。
母に“優しく”叱られたのだ。

「あなたの優しい気持ちはわかる。〇〇君はあれが欲しかったのよね?だから買ってあげた。でもね、お金は簡単にあげてはいけないのよ。」

母は怒ると声を張り上げるタイプだった。
それを父はよくからかってムキーッと怒るんだよ、と言っていたが実際その通りで優しく諭すように怒られたことはかなりの恐怖だった。

(あのママが怒鳴らない。これはきっと恐ろしいことなんだ。お金のやり取りには気をつけなきゃ。)

その記憶がふっとよみがえったから、言葉にならない。そのかわり息だけが漏れた。
何度か唸ってようやく出た言葉は、

「無理。」

だった。

クラスメイトは言う。

「いいじゃん、ジュース買うお金がないんだよ。数百円じゃん!」
「お金のやり取りはしないって決めてるから。それに喉が渇いたなら水があるじゃない。あの綺麗な水が出てくるところ…」
「いいからさ!いいでしょ!」

そう言ってクラスメイトは財布を勝手に開けてお金を取ると自動販売機に向かって走っていった。

(まずい。どうしよう。ママに怒られる。)

そこで怒るべきは自分なのに、自分が怒られることに怯えて何も言えなかった。

結局そのクラスメイトは自分の尋常じゃない焦り具合に驚いたのか、まったくどこから出てきたのやら、買ったジュースを片手にその数百円を「冗談だよ」と言って机に置いた。 

あのときの真相はわからない。
本当にお金がなくて貸してと言ったのか、それともただからかって買っただけなのか。

ただそのとき焦って財布をカバンに入れたのがいけなかったのは確かだった。


「あーーっ!財布が!!」

家に帰ってきて財布をカバンから取り出してみるとあんぐり。ぐちゃぐちゃになったカバンから運の悪いことに蓋の開いた油性ペンと財布がぶつかりあって見事な線が引かれた財布が出てきた。

お気に入りだった財布。
あのときもう人様に簡単に貸し借りしないって決めて新調した財布。
それが破られたような気がして悔しかった。

しかし、少し浮いていることにも気がついていた。周りの人はもう年相応の財布を買ってもらっていて、雑貨店で買った自分の財布は“こども”すぎたのだ。

大きな声出したからかキッチンにいた母が駆け寄ってくる。

「どうしたの?大きい声出して。」
「ママ!見て…財布に油性ペンついちゃった。」
「あらあら。見事な模様だねぇ。新しいの買ってあげるよ。」
「うん。そうだね…」

クラスメイトのことは怖くて言えなかった。
だからその代わりにとびきり大人びた財布を買ってもらおうと思った。
もうからかわれない、そんな財布にしようと。

「ママあのね。すっごい財布がいい。みんなからすごーいって言われるような財布。」
「いいよ。明日見に行こうか?」

次の日すごい財布を探しに大きなショッピングモールに行った。
母と自分の時間の都合でショッピングモールに着いたのは閉店間際で人もまばらだった。
昼間より広く感じるフロアを練り歩いていると可愛らしいデザインの財布を見つけた。閉店間際で少し疲れ切った顔の店員さんが話しかけてくれて、これは最後のひとつで手に取った展示品しかないという。

「展示品ですので少々汚れてますが…少しお安く致しますよ。」

店員さんは笑顔でヒソヒソと内緒話をするみたいに言ってくれた。

「ママ、これにする。」

つられて自分も小声になって母の顔を見る。
じゃあ、と言って買ってもらった。
すごい財布を手に入れたんだ!しかも最後のひとつ!
新しい財布はピカピカではなかったけれど、色んな人が出会っていった財布は輝いて見えた。



当時いくらだったか覚えていませんが、ちゃんとしたブランドの財布でした。
しかし今では、ネットの多くの声がこのブランドを持っているのは子供までだと言います。

皆さんにとって財布とはなんですか?

人を測るものさしは、外見とお金…
自分はそう言われているような気がして、すぐに反論できないからこそ、なんともいえない気持ちになります。

やっぱり身の丈にあったものを。
あれから成長した自分にふさわしいものをプレゼントにお願いしました。
高級な財布じゃなくて、ありふれたブランドの財布。

そして目を閉じて想像してみる。
財布を家族の共用のお金から出してもらうことも、プレゼントで買ってもらうこともなくなった未来。

自分でお金を稼げるようになったそのときにたぶん、高級でめまいがするような財布を手にできるんだと思います。

とにかく君は破れるまでいてくれた。
自分のフェーズが一つ進んだから、新しい財布になります。
だから、ありがとう!


ちなみに
新しい財布はお金を入れて普段使いに
前の財布はカード入れになりました。

まだまだ一緒に働いてもらうぜ~!


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