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病気との向き合い方~時間と感情~
最初から”時間が解決する”という言葉は受け入れられない
何か辛いことがあったり、苦しい状況に陥ると
”時間が解決する”という言葉を耳にすることはありませんか?
結論から言いますと
後から振り返れば、この言葉通りだなぁと思えるのですが
渦中にいる時にこの言葉を言われても
一向に心が軽くなることはありませんでした。
今まで普通に生活し働いていた自分が病気になった。
最初は休むとしても病気休暇の3か月もあれば復帰できるだろうと思いました。
3か月経過しても病状は良くなりません…。
それでも、半年、長くても一年あれば復帰できるだろうと考えました。
性格的にも基本は”何とかなる”という前向きな性格なので、
そこまで悲観していなかったというのが事実です。
時間の経過と共にすり減っていく心
病気になって1年以上経過した頃…
血液検査の結果は一向に改善の兆しをみせません。
私の職場は最長3年の休職が認められていました。
現場復帰までに半年程度の"慣らし勤務”が必要とされます。
猶予は1年足らずとなっていました。
また経済的な問題としては
1年半の間は給与の8割程が支給される制度でした。
しかし、1年半以降は無給となります。
いくら共働きと言っても将来的に厳しい現状が想像できました。
なかなか改善の兆しが見えない病気、これと言った治療方法がない病気、せまる経済的な問題、復職までのタイムリミット…。
焦るなと言われても、病気に専念しようと言われても
実際のところ不安も焦燥感も強くて、精神的に休める状態ではなくなっていました。
定期受診の度に、
”良くなっているのではないか?”
”数値が悪くなっているのではないか?”
期待と不安が交錯しました。
そのような状態が続くと人の心は消耗してすり減っていくのですね…
感情が動くということは、精神的なエネルギーを必要とするのだと実感しました。
次第に、何かに期待することが疲れて、復職できるのかと考えることも嫌になりました。
”もう何もかもどうでも良い”というのが、本心でした。
その時のベストな判断だったと思えるか?
精神科で勤務していた頃、重要な決定は精神が不安定な時には行わない方が良い…とアドバイスをしていました。
しかし、精神が安定するまで社会が待ってくれない…それが現実なのだと当事者になり初めて気付きました。
幸い私は家族が良く話を聞いてくれたので、考えがまとまらない思考の中でも退職するという判断と購入していたマンションを売却するという判断をしました。
自分の今までを費やした結果が全てなくなる…。
喪失感でいっぱいでした。
今思い返しても悲しく辛い決断だったと思います。
この気持ちは家族であっても理解できないだろうと当時はかなり憤りをぶつけていたと思います。
”自分の判断が正しかったのか?”実は今でも良くわからないのです。
ただ、こうして執筆している現時点で
私は退職したことやマンションを売却したことを”あの時のベストな判断だった”とおもうことができています。
おわりに
結局のところ、”時間が解決する”というのは、その時々の状況を”あの時のベストな判断だった”とか”あの時はこういう状態だった”などと客観的に振り返れる状態になれているのか…が大きいのではと思っています。
時間は有限ですが、その時々の状態で長くも短くも感じます。
”時間が解決する”という場合の”時間”は人それぞれ異なると思いますが、
100%な状態で何かを決められることの方が少ないのだろうと今は思って日々を過ごしています。
病気と付き合うということは、この”時間”と”感情”との付き合い方にも繋がるのではないかと思う今日この頃です。
今回も最後までお付き合い頂きありがとうございました。