人間は迷惑をかける存在
子どもの頃に、家族や先生に「他人に迷惑をかけてはいけないよ」と言われたことはありませんか?
おそらく、多くの方が一度は言われたことがあると思います。
そもそも「迷惑」とは何なのか。
辞書には「ある行為がもとで、他の人が不利益を受けたり、不快を感じたりすること。」と書いてありました。
みなさんも、「迷惑とはどんなことなのか」と問われると、辞書にあるような意味だと説明されると思います。
私も、聞かれるとこのように答えると思います。
しかし、高校で働き、生徒たちと接していく中で、「迷惑をかけるということは本当に良くないことなのか」と頻繁に考えるようになりました。だからと言って、迷惑をかけても良いのだというわけではありません。(授業中に騒ぐとか、電車で大きな声でお話しするとか)
最低限のマナーや配慮は必要だと思います。
ただ、誰かに迷惑をかけるから挑戦しなくなることの方がよっぽど良くないことなのではないかなと思います。
挑戦には失敗がつきものですし、時には誰かに迷惑をかけることがあります。
幼い頃から、「迷惑をかけるな」と言われて育つと挑戦しなくなるのではないかと懸念しているのです。
「挑戦心と思いやり」を育むことで、自己の実現や豊かな社会を築く一歩になるのではないでしょうか。
そのためにも、「人は迷惑をかける存在なのだ」と多くの人が、イレギュラーを受け入れる広い心を持つことができたのならば、生きやすい社会になるのではないのでしょうか。