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【短編小説】のびた、おにこ?

「あっ、見つけた」
 乃愛はふと歩みを止めた。
「座ろっか」と言いながら雑居ビルの入り口に続く階段に、乃愛は腰を下ろした。
 日曜日で入り口にシャッターは降りているし、大通りから外れた路地を挟んで向かいは時間貸駐車場。座っていても誰にも迷惑はかけないだろうけど。
「もっといい場所あるんじゃん? 駅前まで行けばベンチとかあるよ」
「ミーナ、違うよ。見つけたって、これのこと」
 乃愛は足元の小さな黄色い花を、膝を抱えて見下ろした。コンクリートの隙間をそっと隠すように広がる葉の真ん中から茎がスッと十五センチくらい伸びていて、そのてっぺんあたりに三つ四つ、ワックスペーパーで作ったような小さな黄色い花がついていた。その花を二人の間に挟むようにして、私も階段に腰を下ろした。
「この花、一番好き。いや、一番は言いすぎかな。一番は、すずらんかな」
 そうつぶやくように話す乃愛の横顔は、とても美しい。髪もつい触ってみたくなるほどサラサラと風になびいている。でも、なんか、色気みたいなものは感じさせない。
「よく見てみて。花の形、めっちゃきれいでしょ」
 一枚の花びらの先はハサミで切ったみたいなギザギザで、それが隙間なくきれいに並んでまん丸な円を描いている。
「私さぁ、高一のはじめ間違えてメグミンと仲良かったじゃん」
 メグミンの私に対する誹謗中傷はひどいものだった。彼女のせいで私の名前は「アニメ声の白豚」であり、乃愛だけが「ミーナ」というミドルネームで呼んでくれている(といったくだらない自虐をいつも頭の中ではつぶやいている)。そこに成績下降のストレスも重なり一週間学校を休んでしまった。だからこうして日曜日に乃愛とデートをしているのだった。
「メグミンにもさぁ、『この花マジ可愛くね?』とか言ったらさぁ」無理にメグミンに合わせていたような口調を再現して、乃愛は私を笑わせた。「『何て花? 知らないんだけど』だって」
 乃愛にデフォルメされたメグミンはお笑い芸人が扮装する女子高生みたいで可笑しかった。
「私そのときね、花の名前忘れちゃって黙っちゃったの。そしたら『雑草でしょ』って片付けられた」
 私たちは声に出して笑った。
「あいつはね、そういうやつだから」
 と、乃愛は私のために言ってくれた。……いや、乃愛自身に呟いたような低いトーンだった。なにかすぐには触れてはいけないようなものを感じ、視線を乃愛から小さな黄色い花に移した。そして、ふと思ったことを口にした。
「この花と私、同じだね」
 乃愛はおどけて私と花を交互に見た。「サイズが全然違うよ」
「そういうことじゃなくってぇ」私たちはキャッキャとじゃれあった。こんなイジリならいくら受けてもいいんだけど。
「この子は『雑草』って片付けられて、私は『白豚』って片付けられて。でも乃愛だけはちゃんと分かってくれる……」
「どっちの『可愛さ』もね」
「いやみぃ」「なんでミーナかわいいじゃん」と私たちはじゃれあった。
 梅雨入り間近の空に雲が流れ込んできて、吹いてきた風に小さな花たちも笑った。
「メグミン、私に聞いてきたよ。『美奈と喧嘩でもしたの?』って。してないって答えたら、『じゃあ、なんで学校来ないの? 乃愛一人で寂しくない?』って」
 今度はメグミンをまねることなく、乃愛は言った。でも嘲笑するようなメグミンの様子は容易に想像できた。
「ごめん、私……」
「ちがうの、私のために無理して学校来るなんてしなくていいからね。なんかさ、いつも探してるんだよね、攻撃できる相手をさ。たぶんメグミンはさ、自分では分かんなくて探せないんだよ、可愛いものとか美しいものとか、正しいこととか。本当に面白いこととかも分かんないんだよ。センスオブヒューモアがないからさ。だから他人を嗤う以外に笑う方法がないんだよ。あざ笑う相手を探すのは簡単じゃん。あいつ太ってんじゃん、とか、あいつ一人じゃん、とかさ。それって雑草でしょ、とか」
 ビル風のように縦に吹き上げてきた風に、小さな黄色い花も首を縦に振った。
「ミーナが学年でトップの成績をとりました。それを知って、ミーナがどれだけがんばったのか、とか、どんな夢を持っているのか、とかを想像してみることもしないで、『成績トップ=調子に乗ってる奴』になっちゃうの。その方が楽なんじゃない? 簡単にマウント取れて」
 そこまで言って、乃愛は深くため息をついた。乃愛は綺麗でスポーツもできて話せば面白くって、少なくとも中学までは誰からも好かれる人気者だったんだろう。私なんかに寄り添ってくれているせいで、乃愛には今までにないストレスを感じさせちゃっているのかもしれない。
 風が止まると、小さな花は凛としてまっすぐに立っていた。
「アニメ声の白豚が調子に乗ってんじゃねーよ」
 ドキッとして、私は乃愛の横顔を見つめた。乃愛も顔をくるっと私に向けた。
「言われたら、すごく傷つくよ。でも、言ってる奴らは、そんなクソガキなんだよ。期末でまた成績トップに返り咲いちゃいなよ、美奈ちゃん」
「はい」
 いきなり『美奈ちゃん』って言われて、子どもみたいな返事をしてしまった。「ミーナってかわいい」と乃愛は吹き出して言った。「やっぱ、この花と似てるかも」
「そういえば……」と私。「この花の名前は結局何て言うの?」
「んとね、オニタビラコ」
 なんだか変わった名前……。漫画とかゲームのキャラクターの名前みたいな……。えっと、なんて名前だっけ?
「名前、覚えた?」私の顔に浮き出たはてなマークをからかうように、乃愛が聞いた。
「えっと……、のびた、おにこ?」
 乃愛がきゃははと笑った。
「天然キャラ。笑える。このミーナの可愛さがわかんないんかなぁ、クソガキ連中には。オ・ニ・タ・ビ・ラ・コ」
「もう、笑いすぎだってぇ」
 ひとしきり笑ってから、乃愛はぴょんと立ち上がった。
「そろそろまた歩くか」
 私は腰を上げずに乃愛を見上げて聞いた。
「そのさぁ、クソガキ連中って、これからもいっぱいいるのかなぁ」
「世の中の、半分くらいじゃん、知らんけど」
「半分かぁ」私はため息をついた。
「でもさぁ、言うじゃん、グラスに半分しか水がないって嘆くのか、半分は水があるって希望を持つのか」
「うん、まあね」私も立ち上がった。
「別に半分じゃなくてもいいじゃん。たった一滴でも水があればさ。コンクリートの隙間からこんなかわいい花を咲かせてるノビタオニコちゃんもいるんだし」
 乃愛、ひどいよぉ、と私は乃愛の腕に絡みついて言った。「乃愛は、私にとっての大切な一滴なんだね」
「じゃあ、ミーナが私の一滴だとしたら」
「……したら?」
「私の方が水の量が多い」
 ひどいってぇ、つぶしてやる、と私は乃愛に抱きついた。細い乃愛の身体は柔らかくて、温かかった。

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