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旅日記⑧
旅日記⑦で祖母のお葬式に参列したことを書きました。
1月の秋田にしては良く晴れた日となり、
家族一同安堵したことを覚えています。
「家族葬でいいよね」誰が言いだした訳でもなく、
97歳の祖母の葬儀はあまり大々的には行わないことになった。
歳をとると、あっさりしたものだな。と私は感じたが、その思いとは裏腹に祖母の葬いはたくさんの人が訪れた。
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祖母への人徳の厚さに感銘を受けつつ、
私はあることに気づきました。
それは、
私たちが葬式をしなかった場合、
誰も弔うことが出来ない
ということです。
人間は死を自ら選ぶことは出来るのに、
死を証明する為には第三者の力が要る。
祖母の死を通して感じた私なりの死生観は、
旅日記のエンディングを大きく変えることになりました。
(原稿が見たい方は、販売しておりますので、
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長かった旅の向こう岸が見えてきました。