ソシオタイピング質問Se/Si
Se
1:
他者に圧力をかけることはできますか?もしそうする場合、あなたはどうやって圧力をかけていますか?
回答:基本的にしないしできない。基本的に誰かを操作するということに苦手意識を感じるからだ。
だが、もしする場合はたんたんと言葉を述べ、それを念押しするだろう。
「これをやったら〇〇だから必ずあなたにこうする」と、理由を添えて本気でそれを行うつもりであることを自分なりに伝える。
また、集団で決まったことならばその理由を自分なりに筋道立てて考えて伝える。
だが個人の事情で相手に圧をかけるとこはしないし好まない。個人の事情は個人で完結させるべき、個人の責任であり、他人に過度に頼りすぎることは理にかなっておらず、悪いことであると考えているからだ。
あくまでも全体に被害が及んでいる、自分の場合でも明らかに自分のみが不平等に実害を負っている時にのみ、覚悟を決めて最終手段として行うのであって、圧力をかけることは基本的にはしない。
さらに、かけ方にも段階がある。最初の段階では筋道を立て、できるだけ論理的な理由を話すが、それを何回を行っても効果がなかった場合は大勢の人に協力を頼むだろう。
数の暴力で相手に圧をかけ、全ての人が私の意見に同意をしているからそれに倣うように、と。だがそもそもそのような行為は必要に迫られないとしないし、私自身も進んで行うタイプではないので、実行することは本当に少ないだろう。
(539文字。他人に圧をかけることはほとんどしないので書くのに悩んだが、仮にやる場合をシミュレーションして書いた。)
2:
あなたは、戦略の一環として、他者を攻撃することはありますか?
戦略の一環としての他者への攻撃には、どのようなものがあると思いますか?
攻撃が正当化されるのは、どのような場合だと思いますか?
「ある人が、別の誰かのテリトリーを奪って占拠する」という出来事は、あなたにとって「十分起こりうる出来事」ですか?それとも「起こる可能性がほとんどない出来事」ですか?また、もしもこうした出来事が発生するとしたら、どのような状況で発生すると思いますか?
回答:基本的にリスクと消費するエネルギーが高いためやらない。基本的に戦略とはわざわざ他者を攻撃する過程が必要ないものがほとんどなのではないかと自分は考えるし、様々な戦略がある場合は人をに迷惑がかからないかどうかも判断基準に入れている。そして戦略は緻密に、安全にやっていくこと重視なので基本的にはしない。
だが、もしやるならば相手の弱みを握りそれを材料や理由として使うなど、王道を征く方法で攻撃を行うだろう。
また、対象者が救いようのない悪人で、所属するコミュニティに実害が出ている場合はそれを理由に攻撃のようなものを行うかもしれない。
これは攻撃が正当化される理由にも繋がるだろうか。罪を犯したら刑罰が与えられるように、害を与えたらそれなりの処罰も考えるだろう。
別の誰かのテリトリーを奪って占拠するというのは、基本的にする必要がないからしない。仮に他人のテリトリーを自身のものにするにしても、穏便な方法を用いて行うだろう。つまり私が他人に攻撃をするのは、前述の圧力をかけることと同じで確実に最終手段である。それしか行える方法がなく、半ば義務的な状況下において実行する。(頑張ったが478文字。好んで行う行動ではなく、極力避けたいことなので書くことがネタ切れしてしまった。)
3:
「自分自身と、自分の利益を守るための一般的な方法」にはどのようなものがあると思いますか?
回答:これは王道すぎる回答かもしれないが、やはり必要以上に付け入る隙を与えないことが重要ではないだろうか。
質問文のような形で自分自身が損をする場合、大抵は他人が自分のテリトリーに踏み込むことを許容しすぎているからではないかと考えている。
そうなると、やはりそれを許さないことが最大の対策となる気がする。具体的に、自分自身が傷つくような頼み事は断る、社会常識や利益の相場を知っておくことだろう。
外部の常識的な判断軸があれば、必要な自分の利益を守るために多少は戦略的、狡猾に動くことに対しても抵抗感を持たずに済むかもしれない。
また、普段から「簡単に絆されない」ような態度を少しだけ装うのも対策として効果的なのではないか。しつこく誘われたり絡まれても頑なに一貫した発言をし続ける、または頼み事は簡単だったとしても、安易に承諾しないことによって、周囲の人間から容易に傷つけられる確率は減るだろう。だが嫌われた結果やられる可能性もあるので、そこの基準も設けた方が寄り良いと私は考えている。
自分自身を守ることによって、自分自身の利益も守られると考えている。そのため、前述の「自分自身を守る方法」は「自分の利益を守る方法」でもあるつもりだ。(書くのは苦ではなかった。509文字)
4:
対立的な状況や、強さを示す必要性がある状況に置かれたとき、あなたはどうしていますか?
回答:対立的な状況がどんなものかは知らないが、やはり偽ることがほぼ不可能な事実を交えて強さを示した方が効果的だと考えた。
例えば何かの競技の対戦の場合、自分の方が総合評価や階級が高いことを使って強さを示すだろう。また、自分のみが資格を持っていた場合でもそれを示す。
その他では、自分の本業にしている場合もその事実を使うだろう。
理由として、資格の取得、またはそれが必要な職業には試験が必要だからである。その試験に合格し、職業にするほどの知識や技術があることの証明になるものの代表として「資格」という事実を利用すると思う。
だがそうでない場合……たとえば「自分と相手が何かの犯人である可能性が最も高いと疑われている、自分だけは相手が真犯人だと知っている」場合、どうにか証拠を集める、アリバイの証拠を外部に自然な形で話すなどで、相手に対して「自分の方が立場的に優位である」事を示す、またはそのような状況を作るだろう。
それにいたる以前の段階では「ボロを出さないように何も話さない、喋らない」ことが主になるだろう。自分が喋ってしまうと相手も話題を変えてしまい、相手がボロを出して喋ってしまう予定だったことも聞けなくなる可能性があるからだ。相手に圧をかける、攻撃をする場合はそれより前に無言の抵抗らしき段階を挟むことが多く、予め決めておいた段階(何回やったら本格的に抵抗する)でようやく行動を起こすことが多いかもしれない。(599文字。書くのは苦ではなかった。)
5:
あなたは周囲の人々から「強い人間」だと思われていますか?
あなた自身は、あなたのことを「強い人間」だと思いますか?
回答:正直思われていないと思う。私は明らかに「強い人間」と取られるような人物像ではない。
表向きに「強い人間」と取られる材料になるようなもの、例えばリーダーシップ、声の大きさ、目に見える自信などは私にはないためである。
もちろんそれだけが強い人間の条件とは思っていないが、「他人に見られた自分」ということは、判断材料が「表面化された態度や振る舞い」しかないのでその結論に至った。
だが打ち解けた人の場合、内面的な強さのようなものを評価されることはある。
そのため、私の考える内面的な強さ(他人に流されない、自律、正しい意見を曲げない)などは、表向きの強さよりかはある気がするが、大抵の人間は「内面的な強さ」を基本的に秘めているものなので、評価されるにしても「私が強い」というよりかは「表向きの主張の少ない態度とは裏腹に、考えや信念がしっかりしている」というパターンになるだろう。現に私も、自分が強いとは思わない。考え方がしっかりしていても、それを実行に移さなければ強い人間と言えるかは怪しいと考えている。脳内で考えを作り上げることは簡単でも、実行するには勇気がいるからだ。私は人からどう思われるか、それが本当に正しいことなのか、起こしたとしてもこの先どうなるのかを考えてしまうため、結局実行できずじまいなことが多い。そのため、私は強いと言うには強さが足りないと思っている。(579文字。書くのは苦ではなかった。)
Si
1:
「美」とは何か教えてください。
あなたにとっての「美」の概念は、可変的なものですか?それとも不変的なものですか?
あなたの「美」の理解は、一般的な「美」の理解と一致していますか?それとも異なっていますか?もしも異なる場合、どのような点が異なっていると思いますか?
回答:「美」とは、その言葉の通り人が美しいと思うものである。
パーツの配置、色合い、素材、背景、事情など美しさを構成するものは種類があるが、美の概念は変わるものだから人の本能的なものにするには矛盾が生じてしまう。
自身の美の概念は変わるかどうかだが、私は「成人と年頃では変わらない可能性が高いが、幼少期と年頃では変わる可能性が高い」と結論を出した。
理由の一つに、幼少期は社会的な美しさに囚われなかった認知判断をしていたというものがある。
幼少期の頃は髪型などで雰囲気美人であれば美人と認識していたが、現在は目の大きさ、顔の比率などに目がいってしまい、そのような概念で判断することは当時よりも少なくなってしまった。
美の理解が多くの人と大差ないのもあると自覚している。多くの人が美しいと思うものを美しいと思ってしまうことも少なくないからだ。
だがこれは「人から美しいと見られたい」「人から優れた人間に思われたい」という欲も、自身の美意識に関係しているからではないかと私は考えている。おそらく自分の思う美を貫き通している人間なら、またそれも違ってくるのではないだろうか。
だが強いてあげるならば、アニメキャラのような華やかな髪色を自分もしてみたい、というように、私の美の概念で人と違うところは「二次元的な可愛さを好む」ところだろうか。
(554文字。400文字以降は少し無理やり書いたと思う。)
2:
数多くの人が「美しい」と感じる共通のパターンはあると思いますか?
「古典的な美」というものが、この世に存在すると思いますか?
回答:その時代と地域の価値観に適合しているくらいだろうか。
具体的なパーツの大きさや位置、体型などは決まっていないと思う。
だが、やはり価値観を作り出した人間に左右されるのではないだろうか。
その時の価値観が、その時の美しさの正解なのではと考察している。多くの人が良いと思い、それを広めていくためにいつしか流行、社会的価値観となるのだから。
また事情や背景的な美しさでも「美しい」と見る人は多いため、例えば偉業を成し遂げた人間のしていたメイクや服装が「流行=美しい」とされることも多いのではないか。
多くの人が持つであろう「美しいから影響される」という意見とは逆説的な意見になるが、結論として「多くの人が影響されるものが美しいとされる」という考えに落ち着いた。
古典的な美についてだが、伝統的な文化や衣服などはそれに当てはまると思う。例えば日本では着物などだ。古くから大切にされてきた文化がそれに現れているのが「古典的な美しさ」なのだろう。
美しいものは流行るが、流行っていないから美しくないということはないと思っているため、流行りは移り変わろうと古典的なものが「美しくない」と安易に見なされることはないと考えている。なので古典的な美しさは存在するという結論にたどり着いた。(527文字。360字あたりで書きにくくなった。)
3:
あなたはどのようにして居心地の良さと物質的豊かさを作り出していますか?
他の人々は、あなたの「居心地の良さや物質的豊かさを作り出す力」をどのように評価していますか?あなた自身は、その評価に対してどう感じますか?
回答:王道を征く回答だが、居心地の良さはやはり自然体でいる、心身を休めることが許される空間だろう。
例えば自分のベッドの上にいる自由な時間は、横に寝そべってお菓子を食べてゲームをするなど、休息の趣味をたしなむことが出来る。
つまり世間の義務ややるべきことから解放されている(それを全て終えた、今すぐにやるべきことがない)時に、真の居心地の良さが感じられるのではないかと私は思うのだ。
物質的豊かさについては衣食住や財産であることを前提に話を進めるが
やはり自分の好きな飲食物やぬいぐるみなどをできるだけ多く手に入れて自分のテリトリーに置くことだろうか。また財産の場合、できるだけ多くバイトに出勤する、昇給のチャンスに挑戦するなどで多く手に入れようとするだろう。
居心地の良さ、物質的豊かさの評価だが、私自身はそれほど高くはないのではと思うし、周りからもそう思われていると思う。周りからより良い環境のアドバイスを貰うことが多い辺り、私のその能力はおそらく高くない。
そもそも私自身がここで言うような居心地の良さを重視している人間ではないのもあると思う。相当悪くなければ、居心地を良くするために自分から腰をあげることは少ない方だろうと私は自覚している。(515文字。少し質問の意図がわからなかったため自分の解釈で書いた。物質的な豊かさについては少々書きにくかった。)
4:
あなたはどうやって服を選んでいますか?
流行に合わせた服装をしていますか?また、あなたがそうしているのはなぜですか?
特定の体型に合わせた服を選ぶ場合、どうやって判断しますか?
回答:自分が本能的、直感的に良いなと思ったデザインや色合いのものを選ぶ。
相当奇抜なものでなければ自己満足感も優先させる。また値段も服を選ぶ上で重要である。
流行に合わせた服は基本的に意識していない。流行の服でも、高かったり自分の好みでない服(飾りや露出が多すぎる、体型に合わないなど)だと尚更だ。理由としては「今持っている服でもファッションで困ることはない」というのが大きい。
だが合わせる場合、偶々好きな雰囲気のファッションが結果的に流行に乗ったと見られただけで、故意に流行の服を追うことはほぼない。
特定の体型に合わせた服装はやはりサイズが主な判断基準だろう。また脂肪のつき具合でも体感温度が違ってくるとも聞いたので、その面も考慮する。
また特定の体型故のコンプレックスもあるだろう。その場合は色合いや目の錯覚を起こせる模様の服を選ぶと思う。
外出時のファッションは人に見られるものでもあるため、できる限り自分を美しくおしゃれに見せたい傾向に自分ではあると思うため、他人に対して着飾らせる時でもそれを意識して行うかもしれない。
私の意見をまとめると「普段特にファッションに気をつける傾向はないが、イベントなどの気をつけなければいけない時や最低限の身なりは整える」程度だろう。(530文字。460文字以降書くことに少し苦戦した。)
5:
あなたは普段どうやって、部屋に置く家具の種類や配置を決めたり、飾りつけをしたりしていますか?いつも自分でやっていますか?それとも他の誰かに任せる方が多いですか?また、あなたがそうしている理由を教えてください。
回答:ちゃんとした回答にならないかもしれないが半々くらいだろう。
全て自分で行うのは自信がないが、多少こだわりはあると思うので少しだけ自分も行う。
自分は家具に詳しくないため、どうせなら詳しい人に手伝ってもらった方が外見的にも機能的にもより良い部屋になると思うからだ。
最良の部屋を作るには、自分の感覚やセンスが偏りすぎていてもプロに任せっきりにしたとしてもそれが叶わないだろう。
また、自分の体質、環境にもよる。必要で捨てられない物が多い時は収納スペースを無駄なく確保できる部屋にする、風邪をひきやすいなら気温の変化の小さな部屋にするなど。
その環境に見合った実用性を考慮するためにも、部屋の持ち主である自分も関わる事も重要だと考えているのだ。
飾りつけだが、母親が昔季節のイベントに合わせた飾り付けをしていた記憶はあるが、私はそれに無頓着(飾る意味が自分では無いと考えている)なため、想像に難い。
だが自分の好きな雰囲気の、毎シーズン通じるような飾り付けは少し行うかもしれない。
出費も前者の「季節ごとに変更する」パターンに比べて抑えられるし、飾りを付け外しする手間も省けるからだ。
何よりも自分の好きな装飾をする場合は自室や経済面での様々な都合を考慮できると考えている。(526文字。服装の質問が少し回答難しかった。)