現実をあきらめないようになりたい
昨日の「相棒season22 18話」を見ていて印象的な言葉と出会えたので、今回はそれを書き留めておこうと思います。
全体のストーリーとしてもすごく考えさせられるものでした。
あぁ、現実ってこんなもんだよね。と思ってしまうようなところもありましたが、最後にあった杉下さんの言葉は印象的でした。
聞いた瞬間、手元のメモ帳に書き留めました。
どこかで待っていた言葉に出会えた感覚です。
なんとなくここ最近、理想と現実の乖離に対して諦めることがしょうがないんじゃないかという感覚が自分の中で優勢になっていたので…
じゃあ、自分に伝えられる“信念”があるのだろうか?
そんな信念があるとして、自分はそんな綺麗事の信念に対して正直に生きようとしているのか?
そんなことを思いました。
きっと、まずはそういう信念をもてることが大人になるっていうことかもしれません。
そしてそういう信念を言葉にしたとき、ちゃんとその言葉に重みがあるのだろうか?
まだ自信はまったくありません。
私は「綺麗事でも信念を伝えることは、大人の責任です。」なんて言える大人になれないかもしれませんが、自分にとって譲れないものをもてるようにはなりたいです。
あと、そのセリフの前にあった
という犯人(山田くん)のセリフも印象的でした。
犯人である山田くんにはマイノリティ的な背景があって、社会から見捨てられ、差別を受けてきた過去があっての言葉でした。(ネタバレになるので直接的なことは書かないようにします)
だからこそ重みを感じました。
人が誰かを差別することは、人類の歴史として半永久的に続いてきたことで、終わることもないかもしれません。
そもそも人間にとって自分と異なる他者を受け入れることは怖くて、不安で、大変で、面倒なことで、この人とは自分とちがうと決めて分かることを諦めた方がいいという冷酷な事実もあるように思います。
それでも差別や排除ではなく、たとえ難しくても“ともに生きる”ことを選んでいかなければならないはずです。
でも、いまの社会は自分が排除される側にならないよう自分の身を守ることに精一杯で、そのために誰かを排除したり、犠牲にしたりしたとしても気づけない、もしくは気づいてないフリをしておくことになっていると思います。
ほんの少し余白があって、だれかを思いやれる利他が生まれるような社会になっていけば…
今回もお読みいただきありがとうございました。