別れるのに『これからは友達になろう』と言う男
これを言われたとき、はあ?って思うか、ほっとするかは人それぞれだし、お相手との関係性もあることだから、一括りにして否定してはいけないが、わたし個人としては、はあ?でしかない
男と女が男と女の関係性になって、それを解消するとき、別れるか別れないかであって、間はないと思うから
男女交際は、進むか退くかの二者択一しかないのに、友達という選択は安牌の札
『別れても友達でいよう』
は、恋人ではなくなるけど、関係性はこれからも続いていくし、これで終わりじゃないよ?っていう表向きの言葉の裏に、相手に恨まれたくない、傷つけた悪者になりたくない、相手の気持ちを自分に残しておきたい狡い本音のいずれかが隠されている ややもするとその全てかもしれない
相手にさよならを告げるということは、相手を傷つけるという覚悟、それによって自分も傷つくという覚悟、もう二度と話すことも会うことも叶わない現実を受け入れる覚悟、そして、相手に嫌われる覚悟が、要る
そのことを嫌ってか、怖がってか、関係性の終わりに白黒付けずにグレーでいることを望むことは、優柔不断でケジメの付けられない、やはり狡い男としか思えない
わたしが中3の頃、同じクラスの男の子と両想いになったが、今で言うところの好き避けをした為に、その子とは結ばれることはなかったという苦い想い出がある
わたしの態度がこの結果を産んだ要因だったのは間違いない それでも元から彼を好ましく思ってなかった親友は、早く忘れろとわたしを隣で焚き付けていた 関係性に未来がなくなった今も思わせぶりな態度を取る彼に苛立ちを感じていたのも、彼女がわたしを想う気持ちからであったことも、分かっていた
ある日、親友と駅前のモールにあるフードコートでソフトクリームを食べていると、今や片想いになってしまった彼が部活の友達を連れてやってきた 彼がソフトクリームを買っている様子をわたしは温かい目で、親友は強い眼差しを向けて見届けていた
そして、彼女は言った
『ソフトクリームミックスを注文するような男はやめときなよ』
ソフトクリームミックスとは、バニラとチョコの二層構造
『男ならバニラかチョコどっちかにしろよ
どっちかに決められない優柔不断な男がミックスを選ぶ 男のくせに情け無い だから私はあの男がキライなんだ』
『……』
深い…深過ぎる…
たかがソフトクリーム如きでここまでの持論をこの歳で展開出来ることに、敬意を表するしかなかった
今思い出しても、男とは何ぞや?という概念を突いているし、別れても友達でいようと言う男に喝を入れた言葉そのものの最も正しい見解だと思う
よく考えれば、ソフトクリームミックスは、白と黒のマーブルで、確かに混ざり合ったそれはグレーなのだ
ソフトクリームひとつで、彼の人間性を見抜いた親友は、15歳にして人生経験を積んでいたのか、着眼点がヤバい あまりの衝撃を受けたから、今も「彼女と彼とソフトクリーム」は、わたしの中で短編小説のように残っている
彼女が言ったことが全てで、白黒付けずにグレーを取る男との先の幸せなんてない
そもそも、これまで男として見てきた人を友達として見ていくことが出来るのか?
友達になるってことは、男女の関係、これまで紡いできた愛情や感情を度外視して、感情移入せずに、お互いの近況や恋愛相談なども出来るような関係性にならなければいけないわけで、なかなか突然切り替えるのは難しいように思う
それでも繋がっていたい…繋がっていられるだけまだいい…そんな想いがあるから、別れても友達でいようと言う男の要求を受け入れてしまう人がいるなら
想いがあるからこそ
スパッと断って欲しい
元カレと友達になる必要なんてある?
愛を語り合った人と、愛を語り合わない関係に、何の意味があるのか?
男女間に友情は成立しないという話ではない わたし自身は、あまり成立はしないが、それはさて置き、わざわざ元カレと友達にならなくてもいい わたしが仮に元カレと友達になれるとしたら、そこまで愛してなかったからで、喉から手が出る程に愛した人とは、今日から友達ですって、きっと絶対出来ないし、要らない
友達って言われた時点で傷つく
多分、プライドが…ね
そしてその言葉、聞いたら
大っ嫌いになる
何が友達だよって あほかって
あなたと別れてからも友達としての時間を紡ぐくらいなら、そんな時間があるなら、他の人との関係性を深めるわよって
ソフトクリームはバニラかチョコ
抹茶でもマンゴーでもいい
女の心はいつも一色だ
愛にどっちもはない