別れた恋人がいい人か悪い人か分からなくなったとき
勿論、いい人だから付き合っていたわけで、交際中にここの判断がつかないってことは、あんまりないとは思う
ただ、この関係のエピローグに向かうその過程で、その人の本性?が見えてきたのか、相手が意図的に見せてきたのか、最後のあの人は悪い人だった…
あの人がいい人か悪い人か自分の中で分からなくなる
分からないから、いつまでもその疑問に囚われてしまう
自分が見てきたあの人は間違いなくいい人だったのに、最後のあの人はまるで別人のようで、狐に摘まれたように、これまで自分が信じてきたものを根底から覆され、相手のことも、自分の人を見る目も、否定を余儀なくされる…
このような現象が起こることを、心理学的に解析すると
人間関係は、大きく分けて
自分にとって相手が
『敵か味方か』
このふたつに二分化される
敵でも味方でもない希薄な関係性の人は別として、大抵の場合、このどちらかに区分化されている
味方の場合は特筆する必要はないが、敵の場合、敵との闘い方や距離の取り方などは、ある程度身に付けていて、その人が敵だと判断出来た時には、思い切り嫌いにもなれるし、恨み倒したらいい
厄介なのは
その人が敵か味方か分からない位置付け、そんなカテゴライズされてしまった人で
そういう人のことを心理学では
フレネミーと、呼ぶ
敵は、ENEMY(エネミー)
味方は、ALLY(アリィー)または
FRIEND(フレンド)
つまり、フレネミーとはフレンドとエネミーの造語で、敵と味方を組み合わせた表現
このフレネミーの存在が、味方でいてくれる人よりも、はっきりと敵と認識出来るヤツよりも、人の心を惑わし、いつまでも心から出て行ってくれない
何故なら
フレネミーはミステリーだからだ
フレンドのような親密さを見せてきたかと思えば、突然エネミーになるような人間は、普通の人には不可解に映り、どちらが表の顔でどちらが裏の顔なのか、分からなくなる
最後の5ページを読まなかった推理小説、犯人が解明される最後の5分を見なかったサスペンスドラマ、最後のワンピースを埋めることが出来なかったパズル
ミステリーをミステリーのまま終わらせた事象に対して人は、ずっと気掛かりで、スッキリとしないから、答えを求め続ける
このミステリーをどう解釈するかはあなた次第ですよ、みたいな読者に投げる作品は、わたしはあまり好きではない 正直、めんどくさいし、もやもやが残るし、この時間返せ!って、思う
ミステリーは創造する者が解明する義務があるからこそ、それを楽しむ権利が読者に与えられる 答えを出さないミステリーはミステリーとは言えないと、個人的に感じる
解明できないフレネミーも同じ
分からんヤツのことをいつまでも考えてたって答えは出ないし、離れても尚そのスパイラルに落とし込む相手は、やはりエナミーだ
脳トレで
マッチ棒クイズってあるじゃない?
一本動かして、答えが5になるようにせよ、みたいな
あれ、考える時間って、めっちゃ無駄って考えるのわたしだけ??
だからなんなん?
答えなんて知りたくもないし、どうだっていいし、そんな面倒なこと考える時間があったら、別の楽しいこと考えてたい
いくら考えても分からないことに時間を取られるくらいなら、もう考えないようにするか、間違っていても自分で敵か味方かのジャッジを下すか
フレネミーは、ヤヌスの鏡
表と裏の顔を持っていて、その時々で違う顔を見せる二面性を兼ね備えていて、あなたがその人の表の顔を見るのか?裏の顔を見るのか?を、相手に委ねるのが、フレネミー
本人は自覚していない
自分がフレネミーなんだってこと
鏡に映る自分は、どんな風に見えているんだろうね…
鏡に映る物全てを信用してはいけない
見る者全てが映し出された同じ情景を見させられているとは限らない
教習所で習ったよね?
一に目視、二に目視
三四がなくて、五に目視
自分の目で見たものだけを信じて
本当にいい人なら
あんなことはしない
それが、全てだ