あれから20年の月日
20年前に家をでました。
1月12日でした。前日に夜勤明けで家に帰ると元夫から私の伯母が来ると連絡があったと言われました。
夜勤明けだからと断ってくれたら良いのにと言ったのを覚えています。断れる訳ないだろってやりとりをしたかな。
どのぐらい前からかは記憶はないですが、常に浮気を疑われていました。
自分が私と知り合い浮気をしたからなんでしょうね。私とは不倫関係でしたしね。
相手の奥さまは私にいってくれて、ほっとしたのではないでしょうか。暴力をふるわれなくなりますからね。
捌け口?
伯母たちが帰ってから私のそばに来て、ずっと『浮気をしているんだろ、正直に言ってみろと』言ったら何をされるかわからないですよね。浮気は全くしたことないですよ。
食事の支度をして包丁を持っている時にも言われ続けていました。包丁で刺したらどんなに良いか考えていました。ただ子どもたちがいるからできなかった。犯罪者の子どもにはしたくなかったです。
1度だけしていないって言っているでしょと突飛ばし棚にぶつかりました。
反抗できるならば、力では男性にはかないません。
人の横に座っているから、顔が腫れ上がるぐらい殴られています。
次の日子どもたちが学校へ行った後に、元夫は洗濯物を干しに2階へ上がりました。
手にとれるものを持って、年賀状、携帯電話、充電器、あと上着を持って車に乗りました。そしてあてもなく走りました。
1人だけうちのことを話をしていた友人のところへ行きました。お金すら持っていなかったため、貸してくださいました。
その後はどうしたのかわからず。
甥の嫁さんに連絡をしていました。そうしたら来てと言ってくれて世話になりました。
甥は元夫の身内ですが、うちのことを知っていたし、自分の親が同じことをして、母が家をでています。
だから私のことをいつも気にかけてくれていました。
2週間ぐらいかな?世話になり、実家へ帰ってきました。
実家にいてこのままではと母にも言われ、役所へ行きました。家庭相談に行き話を始めたら、担当がいるからとすぐに連絡をしてくれました。
その時に出会った母子相談員の方が素敵な方でした。私に寄り添ってくれて、話を聞いてくれました。
何度も家に戻ったほうがと思ってきたかわかりません。ただ自分が家を出たら2度と戻らない時と思っていました。
なんでなのかはわかりません。
どうしてそう思っていたのかな。
女性の安全と健康のための支援教育センターで勉強をしてDVの方が何度も戻る気持ちもわかります。不安におそわれるから。1人では何もできないなどと言われていました。だからなんだと言うことも理解できました。
あれから20年。忘れることはできない。
記憶は薄れますが、家をでる前のことは鮮明に残っています。
所々記憶がないこともあります。
解離していたこともあります。
でも生きていられるのは家を出たから。
一番心残りはなぜ子どもを引き取ることができなかったのか。今は知りたい。
弁護士さんにも親権は難しいと言われました。なぜ?どちらに住んでいるかが優先だと。
家を出る時に子どもを連れて出ることができなかったのは自分が死んだら子どもを守れないと思っていたから。
昨年娘から聞いた話ですが、離婚が決まった時にどちらへ行っても良いと言われたと。
娘は中学1年。息子は小学5年。
毎日のように母は誰かに連れていかれて監禁されているだとか、浮気をしていると聞かされていたのでしょうね。
娘は今の自分の生活を捨てられなかったと言っていました。
昨年ようやく息子にも会えるようになり、気持ちは落ち着いています。
20年の月日は長かったけれど、必要な月日なんだと思っています。
読んでくださりありがとうございます。