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少女歌劇レヴュースタァライト 感想・考察のようなもの

皆様はじめまして。スタァライトはお好きですか?私は好きです。2023年9月〜なので新人舞台創造科です。感想ツイートまとめ的なもの。

以下、本編や劇場版のネタバレしかありません。書き殴ったメモを貼っつけただけ、構成も何もないです。あっちこっち話が飛びます。テーマごとにまとめようかとも思ったけどそれは別でやります。やらないかも。覚悟の準備をしておいて下さい。

(いきなり本文(?))

◉何かを演じている意識が強く表層まで上がってくればそこで世界が舞台になって言葉はセリフになる?
じゃあ元の人(?)は誰なのかってなるけど、そもそもみんな日常の中でも自分を演じてる訳で


◉劇場版が偉いのは華恋に🍅ぶん投げて終わりじゃなくて、その後オーディション?のカットになるとこ
ちゃんと「帰ってくる」


◉「死と再生」は割と重要な気がする
「虚構の死」とは何か、そもそもそれは「死」なのか
みたいな


◉彼女らは何らかの「役」を演じている
そのセリフは本人の感情とかけ離れているわけではない(偽りや繕いを目的とした「役」ではない)

むしろ本人の感情をより大きく、先鋭化したように見える

つまり彼女たちは「普段の自分」から抜け出して「役」になることで、その「役」をメディア(媒介)として、「普段の自分」が容易には表に出せない「思い(?)」のみを抽出し、まるで彼女らが手にする武器のように先鋭化(クソデカ感情化)させ相手にぶつけているのではないか

→現実(普段、日常)ではなかなかできないことも、虚構の力を借りて成し遂げられる?

舞台に立つ=演じる(舞台に立って演じないのはありえないから)と考えれば、他のシーンにも当てはめられるかも


◉現実?からいきなり舞台(レヴューシーンとか)に立っても全く動じないのが舞台に生きる人間として当然なのは真矢を見れば分かる→現実と虚構の境界を生きる者の生き様、覚悟、人生そのもの
彼女たちの現実にはいつでも虚構が付き纏い、逆も然り

→舞台そのものが境界、それを一貫して表現しており、本作が異常なのではなくむしろ「正しい」?

舞台は戯曲の時点では完全なる虚構なわけだよね、だってただの文字列、記号だから
それが演者たちがリアルに動いて話して1秒の時間が1秒で進んでそれを生で観客と共有して、しかも同じものは二度となくて
こうなると一気に現実に近づいてくるわけだ
まさにその「場」は境界そのものじゃないか


◉🍅を食べて、消化してエネルギーに変え、使い果たすと腹が減り、次の🍅が欲しくなる
次の舞台へ→次の🍅を食べると同義
私たち、もう死んでるよ→🍅を食べてないから
でも実際には死んでない(サルバトーレ観に行ってる
→狼狽えるな、舞台装置だ→本当に死んではいない
そもそも🍅が虚構なので、その死も虚構である必要がある
🍅が虚構なら、舞台少女の存在そのもの、そしてその生も虚構
虚構の死=死ぬ演技とも考えられる訳だけど


◉映画館の座席に座った瞬間から、我々は『劇ス』のキラめきに目を奪われた敗者(観客)であることが確定している?負けイベ
→奪われたなら、また奪う(えるようになってみせる)だけだ!!!


◉オーディションについて
キラめきの量(?)でトップスタァを決めるもの、それ以外の者はキラめきを奪われる

→確定事項かのように描かれていた(多分🦒もそう思ってた)が、ひかりは奪われてもキラめきが残った&アタシ再生産、奪われたって終わりじゃない(ひかりが罪を背負ったので分からないが、多分天堂真矢は負けてないのでキラめき奪われなさそう)

それが明らかになった今(劇場版)、わざわざ再びオーディションをやる意味は無い
→次の舞台へ進むためのワイ(ル)ドスクリーンバロック

そもそも「キラめきを奪う」っていうのはキラめきそのものを奪うことじゃなくて、「相手のキラめきに目を奪われたから自分のキラめきを出せなくなる」ってことじゃないか
だから見た目では「奪われた」ように見える
それだとずっと引っかかってた違和感が解消される
トップスタァはキラめきを敗者から貰ってるんじゃなくて、敗者が目を奪われてしまうことによってそれだけキラめいていると示される、ということになる
そもそもロンドンでのオーディション後、ひかり以外の敗者の様子は分からない、真矢みたいに負けなかったり、華恋みたいに諦めなかった人がいたかもしれない
じゃあひかりが失った130gは?←これはそのまま「キラめき」で良いと思う
となるとひかりの罪を正しく(?)言語化するとみんなのキラめきを奪わなかったことじゃなくて、「私のキラめきに(かつての私のように)目を奪われた華恋(とみんな)がキラめけなくなってしまうかもしれないと恐れたこと」、つまり「怖がったこと」になる(劇場版のひかり像と繋がる!)
だってその後華恋に「奪っていいよ、アタシの全部!!!」って言われるもんね!

多分「どっちが勝つか」はきらめきの量で決まる
で、相手のきらめきに目を奪われてしまうと「負け」
だと思っています


◉華恋は本作の言わば主役であり、本編での扱いも別格だった(一人だけ変身バンクあり、戦闘シーン多数、純那やまひる、ななを吹っ切れさせるヒーロームーブなど主役としての格を保っていた、そのために他キャラの時間を奪っているのは事実)
が、華恋自身が行動で示したように、奪われてもキラめきは消えない→華恋の「主役」が揺らいでくる→『少女⭐︎歌劇レヴュースタァライト』の「次」の可能性

劇場版もなんやかんや華恋が主役と言って何も問題ない作り
→(主役として)演じ切っちゃった、レヴュースタァライトを
→🍅ぶん投げられ、主役ではなく、イチからオーディション(現実?の)に挑む

→愛城華恋は次の舞台へ!!!

いやとんでもない作品ですよこれ

「誰でも主役になる可能性」から

役は役目とも言う 仕事、見せ場とも言える

本編ではかれひか以外の7人は最終的には華恋を立てるための脇役(心得幕間がまさに)

劇場版で7人に「役」が与えられたのは何故か?
→それぞれのチャプターでは彼女らが「主役」である
→レヴューシーン(見せ場)の長さはだいたい同じくらいたっぷり、それぞれの対戦相手は自分を最もきらめかせてくれるライバル、そこで「真のライバルになる」ことがお互いの役目(仕事)、そして繰り返すがその瞬間彼女らは「主役」、彼女ら以外の全てが舞台装置となる(怨みのレヴューではクロはんがいるけどそれも幕開けのきっかけにすぎないので序盤だけ)

→(メタレベルで)今までの「脇役」だった自分から脱するための「役」、そしてレヴュー終盤彼女らはその瞬間の「真の主役」となり、(与えられていた仮の)「役」を突き抜ける

役を突き抜け主役に〜のとこは純那の引用の弓矢→刀を握って自分の言葉で、のとこが分かりやすいか
本編で「負けられない」と歌っていた彼女が、何度殺されても次の舞台を望む舞台少女、そしてその瞬間の主役に生まれ変わった

真矢の神の器→欲深い人間もそうじゃん
「そこから突き抜けるための役」が与えられたのに、真矢はその役そのものを完璧に演じることが役目だと思っちゃった
それだと役そのものの仕事は果たせるんだけど、フローラという役から突き抜けた華恋には勝てない
だから負けてないんだけど、勝てない
それでThis isキャンセルされた

華恋とひかりにはなぜ役がないのか?
→既に主役だから。しかし劇場版においてのそれは脇役に立てられたものではなく、上述の7人と同様お互いがお互いで(&自分自身で)立てあった結果

しかし誰もが主役になり得る可能性を孕みながらも、差し込まれる幼少期のシーンやレヴューのトリを務めるなど、あくまで「レヴュースタァライト」の主役としての仕事はしっかりと務めあげる、このあたりの加減が流石としか言いようがない


◉ななが目を奪われたのはあのときの光景と自分が過ごした日々であり、そこにおいて舞台に立ちながら観客にもなりたがった(キラめきの理からするとあり得ない二刀流)、しかも過去の光景をもう一度見たくて「舞台の神」になりたがった、そして実際なった
でも過去は過去だから進化しないし、ライバルにもなれない
そりゃいつまでも満たされずに絶望の輪廻繰り返す訳だ
強欲な壺もびっくりだよ
🦒よりも強欲なんだから


じゃあここでななは純那が「今は、よ!」とか言い出した時点で
「(見上げた星を諦めない)私の(好きな、思い通りの)純那ちゃん」の観客じゃなくなったから「観客の刀」を手放した(しかもそれで死ねと言う鬼畜、観客は演者を殺せないからか)
んだけど、それに反して純那が諦めなかったから「私の刀、返してよ!(やっぱり(私の純那ちゃんの)観客でいさせろ)」
→しかしその刀は宝石がつけられ今や純那のもの、「殺してみせろよ、大場なな(私は貴女とキラめき合う関係になる覚悟ができている」
→「(私の思い通りの)純那ちゃんはそんなこと言わない、お前は何者だ!(私は舞台の神だ言うことを聞け→聞かない!?今私は誰の観客だ!?)」
そして覚醒した純那のキラめきに目を奪われ(「新・純那(?)の観客になり)、負けてしまう
ここでも二刀流の矛盾が出てるわ
ある意味一番人間味あるキャラクターかもしれない


◉劇場版の冒頭、
・そもそもの戯曲スタァライト
・華恋の観客になるのが怖くて逃げたひかり
・卒業による別れ
・レヴュースタァライトの終わり
・しかし悲劇ではなく、続きがある
これ全部あるの天才ですね?

劇スの結末はスタァライトから抜け出してるのに最後のセリフの行動自体はスタァライトそのもの
美しすぎ??


◉(劇場版)思い返せばどのレヴューでも最後は必ず舞台から降りてたわ(落下の演出と共に)
舞台の上で輝き合い、降りたらそれぞれ次へ進む
全部これだ

で、それぞれのレヴューで勝ってるのは本編で「より負けた」組、負けたら「落とされる」(戯曲スタァライトじゃん)
ここも主役関連の話と合ってる

「最後のセリフ」の🗼ぶった斬りロケット発射からの落下ポジションゼロもそうで、「今こそ塔を下りる時」→「舞台はひかりちゃん」&「レヴュースタァライト」からの卒業(発射)&その舞台から下りる(落下)、そしてその行為そのものによって「レヴュースタァライト」の主役を演じ切る(ポジションゼロ)

◉あれ、じゃあひかりの受けた罰とななの再演って大きな意味では同じか

自分で星を積んで→自分で頂上に登って→星を掴もうとするけど届かない→ぶっ壊される→再演

自分自身のキラめきで→運命の舞台を叶えて過去に戻って当事者として日々を過ごして→最高の日々だったけど→過去は過ぎ去る→再演

◉レヴューシーンでは戦闘と同時に会話も行われている
会話は時に痛みを伴う 互いに決して分かり合えないという絶望も
しかし彼女らは舞台を降りれば仲良し&全員が舞台に生きる者という共通項を持つ
つまり、一切肉体を傷つけないレヴュー中の戦闘と同様、その会話も根本的な破綻の可能性を排除したものであり、結果的に見せ物として成立している

◉今更だけどロンドンってロンドの終わりだよね
あ、だからばなな王立演劇学院行ったんだ

◉私たち、まだ未成年……←地雷底まで踏み抜いてて草

◉普通なら解決に向けた対話は色々な葛藤のフェーズがあって相手との対峙に向かう
ところをすっ飛ばしてまず(自分のことが良く分からなかったとしても)役として言ってみる、これは新しいんじゃないか
結果としてテンポも良いしダイナミックだし

◉99期生は2001年生まれ
2001年は21世紀のはじめ
ななは99に囚われて100に進めなかったけど、本当の終わりは100で
100から101に進めなかったのは華恋じゃん

◉答えは出されてるのにヒントが作品の中にあって、それを整理&繋ぎ合わせてみると、答えは変わってないというかそこにあるものは変わってないのに全然違って見えてくるの凄い、しかもヒントをよく見なくてもそれはそれで楽しめるのが最強すぎる

単に「諦めなかった方が勝ち」と見ても良いし、初見だと展開知らないから絶対そこが一番感動するポイントになるんよ
良くできてるどころじゃないわ

これを脳内で0から作った人間がいる←?

国語の教科書に入れて良いよマジで
中学と高校で1回づつやるとか



以上、ただただスタァライトに目を奪われた人の感想でした。

エルドラドと新曲楽しみ!

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